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ひとり旅の夜、食事するときの心地良さについて

つい先日、岩手県をひとりで旅したときのことだった。

水沢という町のホテルに泊まり、その夜、夕食をとるために町へ出た。

お店を探し回るのも面倒なので、あらかじめGoogle検索で調べておいた、評判の良い定食屋へ向かうことにした。

夜の地方都市らしく、あまり人通りもない道を歩いて行くと、定食屋の灯りが見えてきた。

旅先のお店へ入るときは、ちょっと緊張する。とくに、それが夜の場合は。

でも、その夜の僕は、事前にスマホで調べていたこともあって、とくに躊躇せず、すぐに入ることができた。

しかし、その定食屋に入ってすぐに、これは失敗したかな、と思ってしまった。

定食屋の雰囲気は悪くなく、気取ることのない、庶民的な風情のあるお店だった。

ただ、その小さな店内に、お客さんは、カップルが1組いるだけだったのだ。

お客さんが少ないことに、がっかりしたわけではない。

カップルがたった1組だけいるということに、妙な気まずさを感じてしまったのだ。

もしも、他にもお客さんが何組かいるとか、逆にまったくお客さんがいないとか、それなら何も感じることはなかっただろう。

たぶん、カップルだけで気兼ねなく過ごしていただろう空間に、男ひとりが入ってしまうことに、ちょっと抵抗感を覚えてしまったのだ。

とはいえ、もうお店に入ってしまった以上、やっぱりやめますなんて言って出て行くわけにもいかない。

僕は仕方なく、カップルと3席空けたカウンター席に座り、メニューの中から、鶏ステーキの定食を注文した。

ひとり旅の悲しみは、料理を待っている間も、誰かと会話を楽しむことができないところだ。

そこで、スマホを出して、Twitterを眺めたり、明日乗る電車を検索したり、そんな時間つぶしをすることになる。

店内には、ご主人が厨房でお肉を焼く音やテレビのバラエティ番組の音も聞こえていたけれど、それよりも耳に届くのは、すぐ横でお酒を飲んでいるカップルの会話だった。

ディズニーランドの魅力を話す女性に対し、男性は大きなリアクションで、話題を盛り上げようとしていた。

そんな会話を聞くともなく聞きながら、ふっと思うことがあった。

ここがもし、海外だったら、と。

ここが異国のレストランだったら、たとえ隣にカップルがいようとも、心地良い時間を過ごすことができるのにな、と。

国内でも、海外でも、ひとり旅の本質は、そんなに変わらないと思う。

寂しいこともあるけれど、同時に自由な解放感を味わえるのが、ひとり旅というものだ。

でも、国内ひとり旅と海外ひとり旅が、決定的に違っていることがひとつある、と僕は思う。

それは、夜、ひとりで食事するときの心地良さだ。

もちろん、海外であっても、夕食をひとりで食べるのは、ときに寂しく感じたりもする。

それでも、海外でひとりで食べる夕食は、なぜだかいつも心地良い。

きっとそれは、周りのお客さんの会話が、ほとんど意味を伴って聞こえないからなんだと、僕は思うのだ。

たとえば、ヨーロッパの小さな町で、ある夜、ひとりでレストランへ入る。

案内された席に着くと、静かな店内に、カップルが1組だけ……ということは、ヨーロッパでもある。

しかし、国内ひとり旅と違うのは、そのカップルの会話が、外国語で話されるということだ。

僕は英語すら、大してできない旅人なので、たとえカップルが英語でおしゃべりしていたとしても、その意味はほとんどわからない。

すると、そのとき、不思議なことが起きる。

そのカップルの会話が、まるで美しいBGMのように、心地良い響きを伴って、耳に届いてくるのだ。

カップルではなく、賑やかなグループ客だったとしても、その心地良さは変わらない。

アメリカのニューヨークで、隣のカップルが囁き合っていたとしても、ギリシャのアテネで、向かいの学生グループが笑い合っていたとしても、やっぱり耳に心地良い。

会話の意味はわからないけれど、いや、意味がわからないからこそ、余計な何かを考えることなく、ただのBGMとしてそれを聞くことができる。

そして、そんな美しいBGMを聞きながら食べる夕食は、なんだかすごく幸せなのだ……。

国内ひとり旅も、海外ひとり旅も、僕はどっちも好きだと思う。

でも、ひとりで夕食をとるときの心地良さだけは、やっぱり海外の方に軍配が上がってしまう。

あの美しいBGMを聞きたくて、また海外ひとり旅へ出てしまう。

そんな気もするくらいなのだ。

その夜、水沢の小さな定食屋で、ちょっと気まずさを感じながら、僕は鶏ステーキの定食を食べた。

横に座っているカップルの会話は、次はいつディズニーランドへ行こうか……という話に変わっていた。

意味を伴って聞こえる会話に、海外ひとり旅のような心地良さは感じなかった。

ただ、と思った。

きっと、「ひとり」を強く実感してしまう、こうした時間こそ、国内ひとり旅の忘れられない思い出になっていくんだろうな、と。

海外ひとり旅で、あの美しいBGMを聞きながら、心地良く「ひとり」を実感するときのように。

やがて、大切な思い出に変わっていくところだけは、どちらのひとり旅も、同じなのかもしれないのだ。

ほんの少し、海外の旅を恋しく思いながら、夜の定食屋でひとり、そんなことも思った。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!