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ただ「今」だけを生きるために、旅に出る

海外へ旅に出るとき、いつも思うことがある。

いや、正確に言えば、国際線の飛行機に乗り込んで、機体がふわっと離陸する瞬間、思うことがある。

たとえば、それが1週間の東南アジアへの旅だとしたら、僕はこんなふうに思うのだ。

これからの1週間は、ほとんどすべてのことを忘れて、ただ旅という日々を夢中で生きるだけでいいんだな、と。

心地良い解放感とともに湧いてくるその思いにこそ、僕が旅に惹かれてしまう理由がある気がする。

旅に出れば、「今」という瞬間を、夢中で生きることができる。

朝ホテルで目を覚まし、今日はどこを回ろうかなとぼんやり考えながら朝食を食べて、軽快な足取りで街へと出ていく。

気ままに街を歩いて、主な名所を見て回り、ローカルな市場を覗いてみたり、夕方はカフェでのんびり過ごしたりする。

ときに悪い人に騙されそうになったり、でも親切な人に助けられたりしながら、だんだんと街に溶け込んできた自分を感じる頃、気づけば1日が終わっていく……。

たぶん僕は、ただ「今」という瞬間だけを生きられる、旅のそんなシンプルさが好きなのだ。

もちろん、日常だって、「今」を生きていることには変わりない。

でも、どうしても日常には、「今」だけではなく、「未来」のために生きている、という要素が入り込んでくる。

たとえば、仕事をする、という行為もそうだ。

仕事をしたいから仕事をしている、という人もいるかもしれないけれど、たぶん多くの場合、生きていくためのお金を稼ぐという、「未来」のための目的がある。

あるいは、買い物に行く、という行為もそうかもしれない。

今夜や明日の食材を買うためにスーパーへ行き、この夏に着るTシャツを買うために洋服屋さんへ行き、新しいエアコンに買い換えるために家電量販店へ行く。

そこにはやはり、「未来」を生きるためという目的があるはずなのだ。

そう考えていくと、日常で必要な行為の多くに、「未来」という要素が付着していることに気づく。

部屋の掃除をするのも、歯医者へ通うのも、確定申告をするのも、「今」だけではなく、「未来」のための行為であるはずだからだ。

しかし、飛行機に乗って、ひとたび異国への旅に出てしまえば、その束の間だけは、「今」という瞬間だけを存分に生きることができる。

「未来」のための行為のすべてを一旦停止して、「今」のためだけに、全力を注ぐことができるのだ。

いつか訪れる「未来」ではなく、ただ「今」この瞬間を、自由に輝かせるために……。

旅に出ても、ときに、仕事や生活のことがふっと思い浮かぶこともないではない。

でも、それが長く続くことはなく、旅の風に吹かれているうちに、その思いはまたどこかへ消えていく。

そして、シンプルに「今」を生きるという、心が身軽になったような日々を過ごせるのだ。

将来のお金を稼ぐために仕事をする必要はないし、3日分の食材を手に入れるために買い物へ行く必要もない。

ただ単純に、目の前に広がる世界を歩いて、誰かに出会い、また別れ、やがて夕暮れが訪れる。

たったそれだけで、旅はいいのだ。

もちろん、旅は束の間のものでしかない。

また日本へ戻れば、「今」だけではなく、「未来」のために生きる日常が待っている。

でも僕にとって、そんな日常を楽しく生きられるのも、やっぱり旅があるからだ。

お金を稼ぐのも、体力を維持するのも、「未来」のためであると同時に、旅という「今」を生きるためだ。

異国への旅ほど、「今」という瞬間を全力で生きられる日々を、僕は他に知らない。

旅はいつでも、刺激や癒しとともに、この世界に「生きている」という確かな実感を与えてくれる。

たとえ束の間でも、「未来」のことは忘れて、「今」だけを夢中で生きられる日々が、僕には必要なのだと思う。

だからこそ、見知らぬどこかへと、また旅に出たくなるのだ。

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