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「車でお遍路」第35番札所 清瀧寺(厄除け祈願の名刹)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、35番目のお寺は、

醫王山いおうざん 鏡池院きょうちいん 清瀧寺きよたきじ


34番札所の種間寺から約12.2㎞、車で約30分の場所、

34番札所の種間寺からしばらく気楽に走り高知自動車道の高架下を横切ったところで、小さな手書きの道案内に従うと細い道へ入る。

不安もありつつ走っていくと狭い道路に車用(?)の石柱門が現れる。ここからが「車でお遍路ころがし」のはじまり。

「清瀧寺」と書かれた石柱門を通過すると、約1㎞のあいだ対向車とすれ違う場所がないような細い道をひたすら走る。

ドキドキ冷や冷やしながらのドライブの末、最終的には約15mの厄除け薬師如来さまがいらっしゃる境内の中に到着。

ここ「清瀧寺」は、弘法大師が掘りあてた湧水が、今では「土佐和紙」「手漉き障子紙」で有名な土佐の和紙産業に発展したという。

しかし、ご褒美の絶景。これまでの疲れを忘れホッとする一時です。

では、大師が和紙産業発展に貢献したという厄除け祈願の名刹「清瀧寺」へ参りましょう。


ご詠歌

澄む水を 汲めば心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 養老7年(723年)行基菩薩はこの地で霊気を感得して薬師如来を彫り本堂を建て御本尊として安置して「景山密院 繹木寺」と称して開基

  • 弘仁年間(810~824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、本堂より北方約300mほどの岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して十七日修法を行い、院号寺号鏡池院きょうちいん 清瀧寺きよたきじとして札所定めた

  • 寛文8年(1668年)、火災により本堂が全焼したが再興

  • 江戸時代(1603-1868年)には、土佐藩主の山内公からの帰依は厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え末寺10数ヶ寺を有する土佐路の大寺院となり栄える

  • 明治4年(1871年)神仏分離令により廃寺

  • 明治13年(1880年)、再興して現在に至る


大師伝説

弘法大師は、十七日修法満願の日にこの地で金剛杖を突くと、地面から清水が瀧のように湧いて出て、鏡のような池が出来たという

この伝説が、院号鏡池院きょうちいん、寺号清瀧寺きよたきじの名の由来

因みに、この清水のお陰で、山の麓の田畑を潤すばかりでなく、「みつまた」をさらし紙を漉くうえで重宝し、弘法大師は、土佐を「土佐和紙」「手漉き障子紙」等日本三大和紙で有名な和紙産業発展に貢献したという


寺号について

  • 寺号と院号の由来
    ・・・大師伝説の通り


ご利益

  • 御本尊の薬師如来
    ・・・大医王仏だいいおうぶつ医王如来いおうにょらいとも呼ばれ、十二誓願じゅうにせいがん現世利益げんせいりえきの仏さま(病気平癒、他)

  • 厄除け薬師如来像の台座の中での戒壇巡り
    ・・・厄除けにご利益


御本尊・ご真言

御本尊:厄除薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか


見どころ

  • 山門(仁王門)
    ・・・車で参拝する場合は境内が駐車場となっているため、本堂正面の急な石段を下りる必要がある 龍の天井画を見ることが出来る

  • 本堂
    ・・・御本尊の薬師如来像を祀る 向拝には干支恵方盤がある 当初の薬師如来像【重要文化財】は仏像収蔵庫に保管

  • 厄除け薬師如来像
    ・・・境内中央に立つ像高15mの大きな薬師如来像 足下台座の中で戒壇巡りをすると厄除けの御利益があるという

  • 本堂裏手の湧水
    ・・・弘法大師伝説の湧水

  • 入らずの山(清瀧寺周辺)
    ・・・「入らずの山」とは、平城天皇の第3皇子にあたる高岳親王(後の真如)は大師を慕い四国に渡り清瀧寺に来て弟子となり、唐に渡るべく逆修塔(生前に建てる自身の墓)を建てた場所
    真如は大師十大弟子の1人


写真


次は、第36番札所青龍寺しょうりゅうじへ参ります。

2022年4月13日投稿
2022年9月22日改訂

合掌

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