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「車でお遍路」別格6番札所 龍光院(霊場開創発願の札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国別格二十霊場巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、6番目のお寺は、

臨海山りんかいさん 龍光院りゅうこういん (福壽寺ふくじゅじ


別格5番札所の大善寺から約100㎞、車で約120分の場所、

土佐高知「修行の道場」では1ヶ寺のみの大善寺を参拝し、伊予愛媛「菩提ぼだいの道場」に入る
ここでは、土佐での厳しい修行を経て迷いから解かれる道場となる。

龍光院は、四国八十八ヶ所霊場で1番札所から最も遠い第40番札所「観自在寺」の奥之院。

車の場合、先ず戸惑ったのは駐車場。
それほど広くない境内石段の前のスペースに停めることに不安となるが、住職さんに聞くとそれで良しとのこと。
別格二十霊場は、駐車場の場所に戸惑うことが多い。

この宇和島の地は、大師が巡錫の際、都から一番離れた僻地で文化も伝わりにくいことを憂い、四国霊場開創を発願した地と伝わる。

では、「四国霊場開創発願の地」である「龍光院」へ参りましょう。


ご詠歌

みめぐみの 杖をたよりに 有為の山 越えてくもらぬ 月を見るかな


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 弘仁7年(816年)、巡錫中の弘法大師がこの地を訪れた時、都から一番離れた僻地で文化も伝わりにくいことを憂い、四国霊場開創を発願。宇和島湾の離島「九島くしま」に遍照山へんじょうざん 願成寺がんじょうじ」(通称「鯨大師」)を建立

  • 元和元年(1615年)宇和島藩主伊達公が藩と藩民の安泰を祈願して宇和島城の鬼門にあたるこの地を鎮めるため、栄瑜上人を迎え堂宇を建立して龍光院を開基

  • 寛永8年(1631年)遍照山へんじょうざん 願成寺がんじょうじ」(通称「鯨大師」)は離島のため、お参りが不便なことから対岸の「元結掛」に遥拝所として大師堂「馬目木大師まめきだいし建立

  • 寛永15年(1638年)、京都大覚寺の二品宮親王がこの地を巡錫した際、龍光院に風光明媚と讃え「臨海山福壽寺」の山号と寺号を下賜

  • 明治時代(1868-1912年)、御本尊を龍光院に合わせて祀られ、四国八十八ヶ所開創発願の寺として第40番観自在寺奥之院、別格第6番札所として信仰を集める

  • 平成2年(1990年)、中国四川省からお迎えした西日本随一である一石彫の除災招福大観音を裏山山頂に安置


大師伝説(鯨大師くじらだいし伝説)

弘仁7年(816年)のこと、大師は九島へ渡ろうとして、草抜きをしていた農夫に船を出すよう頼んだところ「忙しい」と断られた。
そこで大師は、「もし九島へ渡してくれたら、雑草が生えないようにしてあげよう」と約束。

農夫が「水が足りない」というと、大師は錫杖で地面を突くと清水が湧き出たため、農夫は喜んで大師を九島に連れて行ってあげた。
それ以来、農夫の田は、雑草は生えず、今もなお枯れることのない「お大師井戸」と呼ばれています。

九島へ渡った大師は、堂宇の一夜建立を試みたが、一棟を建てたところで対岸から鶏の鳴き声が聞こえ朝だと思い、お寺は未完成なるも遍照山へんじょうざん 願成寺がんじょうじと名付けて念願虚しく立ち去ったという。
完成していれば四国八十八ヶ所にするつもりであったとか。

愛媛県九島HP、宇和島市観光情報センターHPより


寺号について

山号は、寛永15年(1638年)に京都大覚寺の二品宮親王が下賜


ご利益

  • 御本尊の十一面観世音菩薩
    ・・・10種の現世利益(十種勝利)4種の後世利益(四種果報)。(様々な災難、病気治癒、財福授与、勝利等の現世利益と延命、極楽浄土等への後世利益)


御本尊・ご真言

御本尊:十一面観世音菩薩
ご真言:おん まか きゃろにきゃ そわか


見どころ

  • 本堂 
    ・・・御本尊に十一面観世音菩薩像が祀られている

  • 稲荷大明神
    ・・・龍光院の境内、弘法大師修行像の横に朱の鳥居と神社がある

  • 遥拝石(除災招福大観音)
    ・・・この下にある石の上に立ち本堂と大師堂の屋根の奥に中国四川省からお迎えした西日本随一の一石彫の観音様を拝めるという

  • 龍光院奥之院 遍照山願成寺(鯨大師)
    ・・・弘法大師が九島に創建(大師伝説参照)、龍光院から約10㎞、車で約30分


写真

次は、別格第7番札所出石寺しゅっせきじへ参ります。

合掌

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