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わかってはいたけど急すぎる

その日がいつかくるって分かってはいても
頭の隅に追いやってごまかしていた。
数か月ぶりの父の様子は、毎日仕事に出てはいるものの
だいぶ体が弱った感じだった。
実家に10日間ほど滞在して「来月また来るね」と戻って2週間後、
電話で父の訃報を聞くことになるとは思ってもいなかった。

父は晩酌の後、机で趣味の写真を並べて椅子に座ったまま
寝ているかのようだったらしい。
直前には遠方に住む実弟と通話していたという。
出勤して来ない父を心配した会社の人が翌日に発見してくれた。
場所が場所だけに警察の検視(死)が必要で
医師の死亡診断のもとで亡くなっていないと色々ある。ただ、
病歴と通話記録、状況からすぐに事件性なしと検視結果が出た。

家で亡くなったけど、上着に少し血がついていただけで
他はきれいなままだった。なんか最後まで父らしい。
怒涛のように葬儀やらなんやら過ぎてきたけど
机の上や部屋は片付ける気にならずしばらくそのままだった。

誰にも話してないことだけど、実は亡くなった時刻に私
気晴らしにマイクラやってて、
大きな谷へ下りる途中でスケルトンの矢に打たれて
「しんでしまいました」で持ち物が散らばっている状態だった。
ちょうど、たぶん、ちょうど
なんとも言えない感じだ。

母のときは母の弟が迎えに来たようだった。
父にはきっと母が来たのだろう。
病室で死を待つような母の最期も辛かったけど、
誰もそばにいないまま一人で父を逝かせてしまった悲しみがある。
苦しむことなく瞬間的に生を終えたことは父には幸いだっただろう。
「あとで私も迎えに来てね」と話しかけ
納骨まで骨壺の入った白い箱を何度も抱きしめた。

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