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パン屋と京都と札幌と

職業に貴賤は、ある。
いちばん褒められるのはパン屋さん。
男の子女の子、みんなの夢想の的。

子供時代、あるいは筆が進まぬ今夜
ふと考える。郊外の知らない駅に
パン屋を構え、日の出とともに仕込みをし、
朝夕の忙しなさを見守りながら、
パンを焼く。やさしい湿気に包まれる。
パンを売る。そのことで
別の喜びを得るために。

だから、宇宙飛行士とか、
トップアイドルとかではなくて。
同じ飲食店でも、カツ丼屋さんじゃ駄目で。
パン屋さんが一番、偉い。

パン屋さんみたいな偉い街が、ある。
僕が昔、嫌いだった街。
京都の引力は凄まじい。

計画都市の系譜

京都を真似て作られた、
札幌って街に住んでいた。
ちなみにもっと北、豊原って街は
札幌を真似て作られたらしい。

札幌の街は、ジオラマみたいに行儀がいい。
北三条通の向こうから近づく、
赤れんが庁舎は格好がいい。
近代都市建設技術の結実。
総じて気持がいい。

でも、それだけ。瑕疵かしの無さとはつまり、
時代に埋もれた権威と、
時代を埋め尽くす権威との代替わりで
北辺の地を統べる殖民地主義の地鳴りは、
最早聞こえない。

あるじ知らずの格子部屋には、
支店経済が入居している。
二十一世紀も立派な自己管理棟として、
日夜稼働を続ける。

色が無い。公園や赤敷きの歩道を作っても、
起伏のない目抜き通りの左右にガラス張り。
イヤホンで耳を塞いで条丁目を、ジグザグ。
気分不転換に打ってつけだった。

色が無い。雪が降ればなおさら。
ジャミロクワイは冬の札幌に
カソウヘンシツVirtual Insanityに満ちた未来」
を見たそうな。もしも桃色だったなら…

だから、京都はもっと嫌いだった。
もっと抜け殻なんでしょう?
札幌が時間をかけて壊れたら…
あぁ、想像したくない!

京都河原町

北摂に住んでいるから、関西三都へは
もっぱら阪急電車を使う。
京都側のターミナル駅は河原町。
西院を過ぎて、急に地下へ潜るなぁ
と思ったら、えんじ色の特急電車は
本物のタイムマシンだった。

地上に出たら、八坂神社の表参道
四条通は、思いのほか和を感じさせない。
溢れているのは、
市内バス・モダンな軒並み・人だかり。

アーケードに揃えられたビルヂングは、
色彩不足なコンクリートが虹色。

僕はお上りの客、客体であるから、
人々がせわしなく出入りするのを眺める。
同時に主体でもあり、人の波に乗っては、
四条大橋の向こうを覗いたり、
高島屋に入ったり。

ここらの建物は、実のところ
そこまで古くないらしい。
戸口の狭いビルが横に並び、
人が往来する景色に、僕はなぜか
旧炭都・美唄の国道沿いを思い出す。
五重塔のためだろうと、見当がつく。

高いビルを建てられないから
貴重な表通り沿いの土地に
歩道の際の際に定規を当てて
みっちり、ぎっちり。

それは高度成長と安定成長の狭間まで
地方都市の駅前通りや国道沿いに、
直方体のビルが整列していたのと同じ。

もしも完成してなお繁栄が続いたなら…
シャッター街に想う夢想の続きが、
河原町なのである。

「プチ時間旅行!」は、立案時点で失敗だ。
歴史体験は、名付けた時点で抜け殻だ。
提供者と体験者。その時代は誰のモノ?

誰も知らない過去の未来を今、目にする。
これ以上の時間旅行など、一体どこにある?

三本の川・通り・京都

ここらへんで分かりやすく、
京都は三層に分かれている。
四条大橋から南へ。

遊歩道の整備された川端通は
鴨川沿いの幹線道路である。
水辺の猶予は豊平公園あたりに似ていて、
ニューカマーの関心事は、目当ての市バスが
遅れずに走っているかな?なんて日常!
京都と言えど、少し外れれば
大都市の郊外らしい空気で満ちている。

川端の川端から川向い、目線を向ける。
ご丁寧にも河川敷と並行して
整えられた、みそそぎ川は
人工水路が流しソーメンみたいで可愛い。
軒を連ねる現役民家と納涼床の数だけ、
都住まいは見られて、都住まいに見られて。
それは境界線である。

もう一本内側、細い道を入ル。
江戸時代に掘削された高瀬川。
かつての最新物流装置は、
古さのうちでは新しい。
一方通行・街路樹・歩道付きの木屋町通。
カーブは『近隣住区論』の理想通りで
新しさの源は古い。

京都流のアーバン・デモンストレーション。
他人の暮らしをウインドウ・ショッピング。
気味の悪さはしかし、京都の粋な問いかけ。
「君だって、高い所へと上っては無邪気に
武蔵から武蔵を見下ろすんでしょう?」

といちちょう

河原や川端と、やけに一般名詞が目立つ街。
ありふれた地名が唯一性を裏付ける、逆説パラドクス
その極致かと期待してしまう、五条大橋のたもと
三本の結び目には、都市町といちちょうがぶら下がる。

結び目だから、入り乱れる。
百メートル四方にもすっぽり入る狭さには
古さも新しさも、高潔さも雑然も、あるいは
信仰が二つも、東西を越えて入居している。

天然の川と人工の川とに挟まれて
往来は小橋に頼るほかなくて
新しい古風旅館と、古い新型住居の並びは
大都会の離れ小島みたい。

最近やけに目にする「まちづくり」は
人が街を変えようという取り組みだ。
だれだって、故郷が寂れるのは忍びない。
自分の街の時計が欲しい。

都市町を美しいと思う人は少ないだろう。
街が街を変える気が無さそうに見える。
いつだって、古京は寂れすらも厭わない。
針がもつれても、直しも買い替えもせず…

どうしよう。
僕の地元はとうにデジタル仕掛けだけど
東京の時計が壊れたとき、
いったい何ができるんだろう?

京都の玄関口と、街らしさ

結局、東京行の新幹線が横切ったところで
右に曲がり歩くと、程なく京都駅に着いた。
そぞろ歩きは二条城も清水にも、
触れてないけど。疲れちゃったからおわり。

京都駅舎や京都タワーは、古都のお客が
最初に目にする景色に、ふさわしいか?
古都観光の玄関口、らしくないだろう?
そんな議論があったという。

僕はいいとか悪いとかは、わからないけど
京都らしくなさがふさわしいな、と思う。
だって、街がそうしたくて建ったんだよね。
人じゃなくて、街が。

京都盆地という全体集合に並立する
らしさもらしくなさも、本当は
等価なのかもしれない。


京都は、抜け殻ではなかった。
鼻が曲がるほどの異臭らしくなさ
先入観を覆すのに充分だった。

札幌も、抜け殻じゃないかも?
山鼻が曲がって座っているから、
大丈夫かな、なんて思った。

碁盤なのに碁盤じゃない。
和風なのか洋風なのか。
京都の文化なのか、京都が文化なのか。
猫も杓子も、鴨と桂に抗えない。

起こり得ないはずの揺らぎが宇宙となり、
碁盤の目のほつれが計画都市に色を塗る。
物理法則を無視した星空には息を飲み、
不揃いな街は有りったけの表情を見せる。

パンを売ることの外側にも
パン屋の魅力があるように。

京都らしくない物ですら
京都らしさである。

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