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熊楠の神

熊楠の神   戸矢学   2022年

私の周りで、縄文や熊楠という言葉が飛び交っています。
古事記より前のホツマツタヱにも出会いました。
日本での神道と仏教の関係にも関心が有ります。
そのような事から、この本は興味深かったです。
仏教は哲学だというのにも共感しました。

以下、本文から引用します。

私たちは熊楠に会うことで熊野を発見し、縄文の精霊、や神道信仰の原点に立ち返ることができるかもしれない。熊野を繰り返し訪ねるうちに私の中によみがえってきたものは熊野との一体化である。日々の生活の中で喪失している「精霊たちとの共生」を熊楠は熊野という異界で取り戻したのだ。

熊野は海人族(あまぞく)が切り開いた土地である。その子孫を熊野人(くまのびと)という。

熊楠はこの地に生まれ育った生粋の熊野人である。

一方ヤマト朝廷は、海人族=国造(くにのみやつこ、こくぞう)の「横のネットワーク」に対して「縦のネットワーク」構築にひたすら邁進し。内陸の盆地という自然の城塞城郭に拠点を建設する。これが日本における中央集権の始まりである。

熊楠が愛した熊野の森、その正体は「縄文信仰」にあるのだろう。そして熊野信仰の本来の姿は縄文時代にほぼ完成されたと言ってよい。神社建築が誕生するより数千年前に。

そもそも神社・神道の神体は、突き詰めれば神籬(ひもろぎ)(森)、神奈備(かむなび)(山)、磐座(いわくら)(岩)、であって、まさに「大自然そのもの」である。人工的な物品を神体・依り代とするのは後発のことであって、本来の信仰にはなかった。

熊野の信仰形態にはいささか特異なところがあって、すでに本書の別の頁でも述べていることであるが、社殿のない神社が圧倒的に多いことである。熊野三社にかぎっても本宮大社も神倉神社ももともとは社殿はなく、那智大社はただ滝があるばかりであって、速玉大社のみが当初から社殿を有していたのは創建が他社より新しいからである。

ところで熊楠の神道観は「神社合祀に関する意見」によって、きわめて多くの人々が神社保護の主張と誤解してしまったが、すでに本書の他の項でも指摘しているように、彼の目的は神社建築の保護ではなく、鎮守の森の保護である。そして重要なことは、この保護活動においては三足烏も鳥居も不可欠な要素(アイテム)ではないということである。

さて熊楠翁は、科学は因果律、とも言っていた。
「今日の科学、因果はわかるが(もしくは分かるべき見込みはあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するが我々の任なり。」(土宜法龍宛書簡)
熊楠の研究方法に当て嵌めるなら、さしずめ因果律は「萃点(すいてん)」となり、縁は「やりあて」となるのかもしれない。換言すれば、過去と現在はわかるが、未来はわからない、これを追求するのがわれわれの使命である、というような意味であろう。

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