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映画「笑いのカイブツ」の感想。信念、妥協、仕事とは?

気になっている映画があった。映画「笑いのカイブツ」。

タイトルを見て最初に感じた印象は「芸人が主人公のよくある成長物語」…かなと思った。

全然違った。

あらすじを読むと「大喜利番組にネタを投稿する」とあった。しかも実話。

大阪。何をするにも不器用で人間関係も不得意な16歳のツチヤタカユキの生きがいは、「レジェンド」になるためにテレビの大喜利番組にネタを投稿すること。

映画「笑いのカイブツ」公式サイト:https://sundae-films.com/warai-kaibutsu/#

ん?実話?
レジェンドを目指す大喜利番組?

あれだ。知ってるぞ。その番組。よく見ていた。というか投稿もしたことある。何歳ごろの記憶か定かではないが、テレビに噛り付いてガラケーを片手に観ていた記憶がある。

これだ。

NHKだということに驚くが、この番組に間違いない。俄然この映画に興味が湧いてきた。

観に行ったのは1月末。もう既に上映している映画館は少なく(1月5日公開なのに終わるの早くないかと思いつつ)車で1時間ほどの映画館に向かった。

映画が始まる。

スクリーンには2時間、「笑い」に命を賭けた「ツチヤさん」の生き様が描かれ続けた。

2時間。本当に2時間もたったのか?時計を確認する暇もないほど映画に夢中になっていたことに、終わってから気づいた。

主人公である「ツチヤさん」を見ていると、もう少し上手に生きることもできたのではないかと思った。匿名の大喜利番組で評価される、つまり実力があるのは間違いない。ならそれを上手く使えばいいのに、と。

スクリーンを見ながら歯がゆい気持ちに何度もなった。「お願い。ひとことだけ謝れば。ほんの少しだけでも気を遣えば。」と。

ただ、それは自分が何にも真剣に、何にもこだわり無くやってきた、信念も何もない故の意見だったなと、映画を観終わった後に気づいた。

仕事をしていると「ツチヤさん」が遭遇する様な場面には多く出くわすと思う。会議で上司の意見を窺ったり、お客さんの意見に反対したくないので折衷案を出したり、そうやってきた。いや、そうせざるを得なかった。

自分の中に信念というものがないのだ。いや、あったとしてもそれを貫き通すことはしない。真っ向から対立することを避けて穏便に済まそうとする。

それは「正しい」ことなのか?
本当に自分の仕事はそれでいいのか?

「ツチヤさん」の信念は、「ただ面白いものをお客さんに届けたい」というシンプルなものだったと私は感じた。そこに妥協は一切ない。

妥協。

大人なんだから、とか。大人にならないと、とか。それは勝手な大人の都合ではないだろうか?

信念を持って仕事をする。
誰かの為に仕事をする。

それの何がいけないことなのだろうか。

自分の中の「信念」とは。
自分の中の「妥協」とは。
自分の中の「仕事」とは。

これらのことを考える良いきっかけになった映画だった。

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