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これからのこと|27歳、どんな最期を迎えたいかを考えてみた。

Ciao!
こんにちは、いくにです。

暑い日々が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか!
私ですか?私はエアコンと仲良ししてます!時折ヤツの気分次第で部屋が真冬になってしまうことがありますが…そこも可愛いやつです!(買い替えろ)

なかなかに物々しい雰囲気のタイトルですが、興味持ってもらえるかなと思ってこんな感じにしました。
ところでヘッダー可愛くないですか。
ヘッダー画像作るのは半ば趣味みたいな感じですが、今回は特にお気に入りです。

シチリア島🇮🇹パレルモでとった写真を使いました。
私の中学生からの夢であった、「シチリア島に行きたい」が叶った瞬間です。


はてさてなぜこんな記事を書くに至ったかというと。
まず初めましての方のために、ちょっとした自己紹介から始めたいと思います!

オメェのことはもう知っとるわ!って方のために目次もあるので、是非ご活用くださいませ。



人生の目標だったもの

フィレンツェ最後の日に撮った写真。このあとすごい雷雨になった

🧑‍🎨「あすか いくに」という名前で漫画家をしているものです。2023年4月末まで、イタリアへ留学に行ってました。理由?好きだからです!

そんな留学のこととか、漫画のこととかをこのnoteに書かせていただいてます。いつも読んでくださりありがとうございます!

もっと詳しく私のことが知りたい♡という方は下記記事を読んでください。自分語りダイスキなので色々いらんことも書いてます。


1995年生まれの超絶ゆとり世代の私は、元々かなり目標思考(あってる?)な子供でした。あれになりたい、これしたい、と欲求がかなり多かった記憶。

そんな変化する欲求が少しずつ固まり始めたのが、中学生の頃。
廊下に貼ってあった「交換留学」のチラシを見て、海の向こうに住んでみたいという気持ちが芽生え始めました。

そして高校生になって、それまで小さな田舎町の中だけだった私の世界が隣町までちょっと広がった頃。オタクに囲まれた生活を送る中で、「私の漫画を誰かに読んで欲しい」という思いから漫画家を志すようになりました。


“海外に住む”
“漫画家になる”


この二つが、この後の人生の道となり、意志の基盤になります。今思っても、本当に脇目もふらずにこの二つに向かって歩いてきた人生でした。まだ27年と10ヶ月しか生きてないけど。



“人生の目標”のためだけに生きてきた27年間


イタリアの公園で


高校生になってからは最低限の勉強だけをして留年を防ぎ、高三になると先生の反対を何一つ聞かず勝手にAO入試に申し込んで進学先を【漫画の専門学校】に決め、その後は自習時間も絵を描いて過ごす日々。

恋愛のれの字もない学生生活を送り、その後も「自分で自分の人生の基盤を作るまで、パートナーなんて作ってられない。頼るだけの人間になりたくない。」と、フリーターをしながら漫画制作を(マイペースに)続ける毎日。


思えば20前半なんて、ちょっと遊び感覚の恋愛くらい経験すればよかったなんて今になって思ったりもする。「恋愛=結婚」とドクソ真面目に恋愛をとらえていた私にはそんな高度な芸当ムリだった…
星座?太陽蠍の月山羊です。(お察し)(人間関係においてクソマジメ)


ふと思い出したけど、壇蜜さんがご結婚されたときに仰られていた、「1人で生きていけるから結婚しました。」の発言には本当に救われた。私もそうなりたい、と思ったし、同じように考えてる人がいるんだと安心した記憶があります。「それは壇蜜さんだからだろ!」って批判は一切受け付けません。瀬戸内海に捨てんぞ?


話はずれましたが、本当に“海外での生活”“漫画家になる”のためだけに生きてきたと宣言できますし、それを達成しない限りは死ねない!とずっと思ってました。
今思うとそれは一種の“執着”だったように思います。

達成した今だから楽しかったと言えるけど、当時の私にとってそれはただ幸せな道ではなくて、無理やり遠回りして富士山登頂するようなもんだったような気もします。

もっと楽な道あったんじゃね、と。笑
これは以前漫画家になるまでのことを書いた時にも言った気が…。もしご興味あれば読んでくださると嬉しいです。
夢追い人の葛藤とか汚い部分も隠さず書きました。



人生・第一章のエンディング

イタリアに強く憧れるきっかけになった、チェファルーの景色。

2018年、新卒で入った会社を半年で辞めた後ありがたいご縁に恵まれて、翌年に漫画家としてデビュー。2本目の読み切り掲載を経て初連載をスタートさせることができました。一つの夢が叶った瞬間でした。

そして連載終了の影が見えてきたとき、ふと思いました。
「留学するなら今しかない。」と。


思い立ったが吉日。
次の日には留学相談をして、数ヶ月の間に留学先と学校を決め、申し込みまで終わらせ、半年間の留学に行きました。留学先はもちろん、中学生の時に写真を見てからずっと憧れていた国、イタリアです。


留学先であるイタリアの街・フィレンツェを飛行機の窓から捉えた時に思いました。「私の人生の第一章が、ここで終わるんだ」と。ポエマーなのは、作家の長所だと思ってスルーしてください。ポエマーになると人生が盛り上がるので。😂

アムステルダムからフィレンツェまでの空路にて


半年間の留学は大変なこともあったけど、楽しい毎日でした。芸術に溢れ、笑顔に溢れ、たまにバール(カフェ)にいってカプチーノとコルネット(クロワッサン)に溺れて学校に行く。

人のことを気にしない、でもそばにいる人のことは気になる、気になるなら話しかける!そんな【人と人が同じ世界に生きている】という当たり前だけど忘れかけていた感覚を肌で感じる半年間。言うなれば、昔の日本のような、「ご近所」という繋がりを深く感じる日々。

良くも悪くも日本で生きていく中で変わっていった、幼い頃持っていたはずの価値観や感覚を再認識する時間でした。


そして私がネットで見て感動した写真が撮られた街、シチリア島・チェファルーにも足を運び、その旅行を最後に私のイタリア生活は幕を閉じました。


チェファルーの街並み。


ローマの空港で日本に帰国する前に食べた最後のピスタチオクロワッサン。


帰国する飛行機の中で考えていたことはただ一つ。
「これからどうしようかな」ということ。


本当にずっと2つの夢を追いかけて生きてきた人生だった私は、日本に帰ってこれからどう生きたいだろう?

イタリアから離れる寂しさと、久々の日本にワクワクしながら、謎時間で進む機内でのんびりと過ごしていました。

飛行機よ、頼むから到着国と同じ時間帯で生活させてくれ。なんで日本は夕方なのに寝ろって言われなきゃならないんだ。


“今”を生きる

アグリジェントの神殿群


日本へ無事に帰国し、ぼーっと考えていた時に思いついた言葉です。

「今を生きよう」


これまでは先に何度もあげた、2つの目標のために生きてきた人生でした。

わたしの視線はいつもその「叶った未来」を見ていた。もちろんそのためにその時々で努力していたけれど、そこに視点が合っていないというか、今努力していたとしてもその“努力してる時間”には一切フォーカスしていない状態でした。

あくまで『努力している今』が、通過点でしかなかった。特急電車が途中の田舎駅を気にも止めず走り去っていくような、そんな感じ。車窓から景色を楽しむ時間も勿体無い、今すべきことは「着いた先で何をするか」を考えプランを練ること。

そうやって夢を叶えるまでの道中を、悪い言い方をすればおざなりにしてきたなと思います。


でもこれからは違う。

もちろん未来のことを考えたり、こうなりたいという欲求はある。でもそのために頑張るのではなく、そのために“今できること”を考えて、そこに全力を注ぐ感覚。未来の幸せのために生きるのではなくて、未来の幸せを考えながら今の幸せを追い求めるというか…

とにかく違うんです!!!!!!!!!!!😂


特急電車が通り過ぎる駅にも目をやって、そこにある景色を楽しみながら到着駅へ期待を膨らませる。そんな感じ。伝われ!!!!


もっと漫画家として有名になりたい、その前にまずもっと漫画が売れて欲しい、重版して欲しい、全部紙で出て欲しい。そんな欲求や目標はあれど、「そのために今この原稿に全力で取り組む」ことに焦点を当てる。
こんな感じ…です…


その選択をすると、今の生き方がちょっと変わる。


目標はあるし頑張るけど、今の私のための行動が増えていく。例えば、恋人が欲しいなって思ったり、今一緒に切磋琢磨できる新しい交友関係が欲しいなって思ったり。ちょっとした別の趣味を持ってみたり…

目標だけが人生じゃない、という感覚に変わっていく。ちょっと寄り道してもいいじゃない。だってそのオプションが、をより豊かにしてくれるのだから!


そんな考え方にガラリと変わりました。
インスタでもちょっと言った気がする。

簡単に言えば、もっとプライベートの充実を望んでおる😂


未来の私の幸せも大切だけど、今の私は“その過程という通り道”ではなくて、今幸せに生きることが未来の幸せになっていくみたいな。みたいな。
あかん何回言葉を変えてもわかりにくい気がするぞ。。。


これからのこと

念願だった、初連載作品の舞台・ローマへ。


(散々申し上げた)2つの夢を叶えた今、なんだか私の人生は終息へ向かっている気がする。しかし、私はまだ27歳。100年時代に則れば、まだ50年以上人生が残っている。


イタリアに行って、一番言われた言葉があります。
それは、「27歳なんてまだまだジョバネ(子供)だよ!!!」という言葉。

日本だと、「三十路」だとか「おばさん」だとか言われ始める年齢ですが、私はまだ人生の4分の1程度しか生きていない。私個人で言えば、まだ一人歩きすらままならないようなガキもいいとこです。

この、「過剰に年齢を重く捉える文化」は、私たちの本来の人生の長さを狂わせる気がしています。「お姉さん」とか「おばさん」とか「おばあちゃん」とか、他人が見た目で勝手に決めた代名詞に振り回されて、自分の本来の「重ねた年数」を大雑把に捉えすぎてしまう気がするんです…あれ?私だけ?


そして他人と比較して、「自分はもう⚪︎歳なのに××だ…」と勝手に落ち込む。はい、ちょっと前の私です。覚えてるよ昔の私!


でも、そんなん自分の人生。
ぐーたらしても、バリバリ働いても、遊んでばっかりでも、家事育児に追われても、自分が「好きだ!」と思える自分ならそれでいいじゃない。

そこに他人なんて関係ない。だって所詮他人は他人、私が生まれてから死ぬまでずーっと一緒にいるのは、私だけ。だったら私のために生きないと、私が可哀想だ!!!!!

…と頭でわかっていても社会の中で生きる以上難しいこともたくさんある。誰かに譲らないといけない時だってあるし、ムカつくこともある。それでも、自分と対話して、納得のいく答えを見つける。【それを諦めない】。自分のために、自分がスッキリするまでとことん突き詰める。これが、『これからの私』に約束したことの一つです。


そして、『人のために生きる』こと。
これもまた、これからの私に約束したことです。

さっきと矛盾してるじゃん!と思うかもですが、実はしてないんだな。なぜなら望んだのは私自身だから。


昔から、根っからの利己主義でした。
「人のため」「見返りなしで」何かをすることがイマイチ納得できない自分がいました。もちろん素敵なことだとは思うけど、自分がやりたいかと言われると「NO」。

そんな労力があるなら、別のことに使いたい。
それが長らくの考え方でした。

でも今は少し違う。

もちろん、仕事に対して正当な対価を求めることは社会人として間違っているとは思いません。でも、「やりたい!やってあげたい!」と思った素直な自分の気持ちを、「見返りはないぞ!」なんて言葉で止めないであげたい。


27年という長いような短いような月日を、自分のためだけに生きてきた。だから今度は、誰かに与えるような人生でありたい。

心からそう思うようになりました。


漫画も、自分がただ楽しく楽に描くことが目的じゃない。私の作品を通じて、その読んでる時間だけはちょっと嫌なこととかを忘れて幸せな気持ちになってほしい。日常の、ささやかな安らぎになれば。


人は少しずつ変わっていく。
それは何かきっかけがある時もあるし、急に稲妻が走ったように変化が訪れる時もある。そしてそのタイミングは早いから良いとか遅いから悪いとかもないと思っています。人それぞれ、適した時が必ずやってくる。

私は同年代に比べて“気付く”のが3年程度遅れてる自覚があるのですが(比較するなと言った側から進んでしてく)、それが悪いとは思いません。それが私の成長スピードで、その時じゃないと理解できないから、その時にやってきてるんだと思います。

そうやって変わっていくなかで別れもあれば、出会いもある。至極当然のことです。その一期一会を、今そばにいてくれる人達を心から大切にしながら、過去にも未来にもあまり執着せず生きていきたい。というのがこれからの私の願いです。



おしまい

ヴェネツィアで


実はこれ、特に見直さず書き殴ってるんですけど大丈夫でしょうか!???見直さないのはいつものことですが、なんか支離滅裂になってんじゃないかって心配してます。心配するだけですけど。


とにかくみなさん、やりたいことはやっちゃいましょう!!!特に数年間考え続けてることはやった方がいい!やらぬ後悔よりやる失敗です!(違う気がする)

お金も時間も、がんばりゃ捻出できます!行動に移すのが怖い人には、とっておきの秘策があります。それは、「とりあえず無料でできるとこまでやってみる」です。留学なら、無料相談に申し込んでみるとかね。

私のイタリア留学のことは、下記にいろいろ書いてるのでもし興味があれば!


ともあれみなさんが、もっとみなさん自身のことを好きになれますように!もっと幸せになれますように!私もnoteやら漫画やらでそんなサポートができていたらとっても嬉しいです!

漫画!読んでね!
全2巻出てるよ!
とっても心温まる、居場所を探す物語だよ!



あと留学マンガもよかったら読んでね!



ということで、長々と書きましたが…
最後に私の大好きなイタリア語で締めたいと思います!



Andrà  tutto bene!
(全てはうまくいく!)




いくに

日本生まれのイタリア大好き漫画家です。好きすぎて留学してました。漫画をきっかけにイタリアに興味をもち、5年以上とあるカフェでバリスタとして勤務していました。