【完璧主義?】思ったよりも自分は上手くやれてるのかもしれない話。
タイトルの通りです。
すっごい「え、あそうなんだ…。」と周りとの【自分への評価の差】を感じて、今気持ちに任せてこの記事を書いてます。
一応私は絵描きで活動をしてるんですけど、先日instaとかtwitterに「ダンスカバー動画」をアップしたんです。
なんと言うか、出来心?それこそ好奇心で。
あと踊ったダンスが推しグループの曲で、とにかく!振り付けが!本当に大好きなので頼むから見てほしいと言った気持ちもありました。
去年「踊った動画あげる!」と言ってたもんだから、有言実行したとも言える。
そういうと聞こえがいいですね。それでいきましょう。
有言実行した私ですが、実は「ダンスは自信がない」のです。
はぁ?動画公開しといて何ほざいとんねん。
と思われるかもしれませんが、あれは、推しへの愛を表現したのと、後やっぱり「好きな振り付け」なので、当然「自分の理想」に近づけるべくある程度納得のいくレベルに持ってったからでもありまして…。
根底は自信ないんです。
と言うのも、実は昔ダンサーになりたかった時期もあったんです。バク転を習得すべく体操教室に入るくらいにはダンスに熱中してました。
でも、小学生ながらに「自分の理想が体現できない」ことにめちゃくちゃ悩んでました。今思うと本当に悩んでて、上手な上級生に聞くくらい「なんで私はみっともないんだろう?」と思ってました。
今思うと、筋力面とか、小学生ではどうしようもない部分も多少あったように感じますが、当時悔しくて悲しかったのを覚えてます。
そんなこんなであんまり自分のダンスに自信がないまま、かれこれ10数年経過。体はでかくなり、心はあの頃のまま。
ずっと忘れてたけど、KPOPにはまって、本当に好みの振り付けを見つけ、「このダンスを踊ってみたい!」と家で細々と練習し。先日、在宅ワークの限界を感じストレス発散も兼ねて、体育館に足を運んだのでした。
で、ここからが本題。
ダンスは鏡越しで見ると上手く見えるんですが、実際動画で見ると結構力強くやっても弱々しく見えたり、なんか「様にならない」ってことが結構あるので毎回撮影するんですね。
で、うち何本かSNSにあげた、訳なんです。
そしたらなんか反応いいし、「今度一緒に踊ろうよ!」とダンスの上手な友人からメッセージをもらったりして。
「あれ?」と。
何本かあげたけど、正直どれもイマイチだなと思っていた私、驚き。
「下手だけどなんか動画上げたいから、いいや明日にでも消せばいいしあげちゃえ!」と『なんか嫌だけど、なんかやってみたい』というリストの一つを消化すべくやった「ダンス動画の投稿」。
でも周りは自分の思ってるよりも褒めてくれるし、嬉しい言葉をかけてくれる。
アレ?
「努力を惜しまないのはいいことだけど、だからって萎縮して“踊りをみてほしい”という自分の気持ちを殺してたのは、自分自身なんじゃね?」
「え、てか今まで誰にも“下手だ”って言われてなくね…?」
えっ、「下手だって思ってたの、自分自身じゃね?」
私は今回こういう出来事があって、わかりやすく判明しましたが。
みなさん意外とあるんじゃないですか?
『自分で勝手に“下手だ”と思ってること』。
一回、【下手だと思ってること】【不得意だと思ってること】を書き出してみて、『なんでそう思うようになったか』深く考えてみると案外対して不得意でもなんででもなかったりするかもしれませんね。
コミュ障とかも言いますが、あれも「他人から言われた人」ってそうそういないんじゃないかな…。
そういえば、最近料理を毎日するようになったのですが。あんなに「料理は無理!」と思ってたのになんとかなってるし。
「国語無理。正しく話すなんて無理。」と思ってたのにこうして記事1つ書いてるんでした。
意外と「無理!」と思ってることって、それだけ「ちゃんとしたい!」と思えてるってことなので。向き合うとめっちゃ才能になったりしそう。
…それでも料理人にだけは、向いてないと思いますけどね!
(鳥の下処理や魚の鱗がグロテスクで出来ない。)
生理的に…ってやつはさておき。
苦手に一度向き合ってみるというのは、いいかもしれない。
そう思う体験でした。
いくにあすか
日本生まれのイタリア大好き漫画家です。好きすぎて留学してました。漫画をきっかけにイタリアに興味をもち、5年以上とあるカフェでバリスタとして勤務していました。