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なぜ僕がローカルに進出するのか。

私たちは世界で強い、科学立国日本を目指すのか。
日本の古き良き自然との共存した世界観を取り戻し、東洋の真珠を目指すのか。

この問いにみなさんはどのように答えるでしょうか。

これは私が実際に環境省の元事務次官から問われた内容でした。

僕がここ10数年、聞き続けてきたのは、アベノミクスやら円安やら失われた30年やら、日本が世界で負け続け、必死になって昭和的経済モデルを取り戻そうとしている様子でした。

異次元の金融緩和で、経済を刺激するのは、弱り果てた老人にドーパミンの入った薬を注射するようなものに見えた。どうも世の中のおじさんたちは、バブルの頃の浮かれた時代を忘れられずにいるように見えます。

そんなバブルを知らない世代からみると、失われた30年という言葉はどうも違和感が大きい。それは最初から失われていた世代だからでしょうか。

冒頭の問いに答えるならば日本という国(少なくとも政府として)は未だに世界で強い、科学立国日本を目指していると言っても差し支えないのではないでしょうか。


僕が投げかけたいものはまさに次官が問うた内容と同様の点で、果たして強い国日本を追い続けることで良いのでしょうか。30年も失敗し続けた道をさらに追い続けていいのだろうか。そもそも強さとは何でしょうか。GDPが高いことでしょうか。優れた技術力でしょうか。軍隊を多く背負っていることでしょうか。

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地球環境問題というとてつもなく大きな、そして重大な問題に気づいたのは約10年前の高校生の時です。そして実際に何かしらの行動を取り始めたのが今から大体5年前。その間、この大きすぎる問題に対するできるアプローチをひたすらに模索してきました。

世の中の大きな流れは再エネでした。太陽光、風力を中心として自然エネルギーを活用していく。そこに経済や社会モデルを組み込んでいくこと。それだけを聞けばいいことのように思いますし、実際それを世界全体で目指していこうとしています。

ただし、この取組を知れば知るほど、小さな違和感が膨らんでいくことを感じました。太陽光パネルや風車がそこら中に立ち、油断をすればたちまち大規模開発で自然が破壊されていく。これは私たちが本当に目指すべき社会像なのでしょうか。それは消費モデルの延長上ではないでしょうか。GX(グリーントランスフォーメーション)は経済と環境の両輪を回す、経済社会自体の構造転換ではあるけれども、それは本当に地球とのつながりを取り戻し、人と自然の共存の世界に向かうのでしょうか。

そういうことを考えていくと自分がやりたかったことは、地球環境問題の解決という範囲を超えて、人と自然、人と地球(マザーアース)とのつながりを取り戻すことなのだと思います。

縄文時代は、人と自然が共存し戦いのない平和な一万年という時代を築きました。日本人は虫の音が美しく聞こえます。実は鈴虫の音を楽しむというようなことできるのは、ポリネシア系と日本人だけなのだそう。そして里山を通して、人と生き物が共存していく世界を築けたこと。

こうしたことは、資本主義の社会ではなかなか評価されづらいことではあるけれども、人の幸せということを考えていくととても大事な要素の一つに思えます。こうした日本人として古来大事にしてきた感性や、ローカルに根付く文化にこのグローバルな問題、そして我々が進むべき道への可能性を強く感じるのです。

こうした人として元来大切にすべき価値観を僕は、「スローでウェルビーイングな価値観」と呼びたいと思います。

スローライフとは自分の言葉で言えば、世界全体のつながりを含めて自分を認知できるようになることです。時の早さに惑わされず、自分と周囲との関係を大切にするということ。その周囲というのは、最初は家族やパートナーかもしれませんが、その範囲を地域、社会、自然、次世代と広げていくこと。そういうところまで積極的に気に掛けること。それは愛の行為でもあり、世界のためでありながら自分のためでもあります。一言で言えば「自然を大切にすること=自分を大切にすること」となる世界観です。

このような価値観はやはり都市ではなかなか形成しづらい。むしろ都市の構造自体が人と人を隔て、システム化し、分断を引き起こすものになっています。そして分断された隙間を容赦なくマーケティングが埋めてきます。

僕らは様々な商品に溢れた世界を生きていますが、残念なことに大概の場合は商品を”買っている”のではなく、マーケティングによって”買わされて”います。そしてその市場は肥大化して私たちは理想の生き方ですら自ら描けず、社会に提示されたままの奴隷に成り下がっています。

ローカルでもそういった都市的価値観はすでに色濃くインストールされています。地方の街で一番賑わっているのは、イオンモールと駅前のデパートで、それはどこも個性が埋没した画一的な社会です。それでも、そういう場所から少し離れれば田園風景や山や森が広がり、自然との接点がある。僕はこうした自然が常に私たちの生き方を教えてくれると思うのです。

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人と大地とのつながりを取り戻すことから、私たちの新しい生き方を取り戻すことが始まります。それはどんな社会なのでしょうか。すでに先駆者はたくさんいて、ヒントはたくさん転がっているように思います。パーマカルチャーなのか、丁寧に野菜を作り、ゆっくりご飯を食べるという基本的な生き方なのか、もっと先進的な循環型社会のモデルなのか。古き良き価値観を街にインストールが求められてきます。そうした価値観を大切にできる街とはどんな街なのでしょうか。そして市民が自ら街づくりに関わっていく主体性を生み出していけるのか、こうしたことに僕は挑戦したいのです。

さらにいえば、ローカルを大切にしながら新たなまちモデルを横展開していく必要があります。日本という多様で広い国をその街が持つものを使いながら変革を起こしていくことが求められます。そうして様々なローカルが知見やノウハウを共有しながらローカルネットが作り上げられて、ローカル全体の変革が生まれてくると、その街だけでなく周りの街、ネットワークを持つ街全体に影響が生まれてきます。そうするとどこかでティッピングポイントを越えて、社会全体の変革、すなわちソーシャルインパクトが生まれると信じています。

そうしたローカルネットはレジリエンスの向上にも寄与します。今の時代何が原因で国家が倒れるとも限りません。気候変動、地震、台風、戦争、疫病、財政破綻、あらゆるリスクが想定され、その全てに対処していくことは不可能です。でも、どこかの地域が健全であれば、そういった地域をハブに社会を立て直すことができます。そういったしなやかな強さを私たちは追求していかなければなりません。

もし、日本がそういう国家に生まれ変わることができたなら、そうした新たな生き方の形はグローバルスタンダードにもなりうると僕は思います。自然を大切にするのは日本人だけの特権という訳ではありません。むしろ、世界全体で自然との関係性が損なわれ、世界の環境危機は地球の限界をすでに遥かに超えています。

こうした自然観は日本が先導すべき価値観なのではないでしょうか。明治維新やら戦後復興で忘れてしまっているだけで、僕らには自然と共存してきた歴史があり、それは世界に誇れる文化なのです。

そうやって、グローバルで自然との関係を紡ぎ直すこと、マザーアースとの関係を紡ぎ直すことでしか、気候変動問題含めた地球環境問題の解決に至らないのではないかと僕は思うのです。

それは単に省エネを進め再エネを入れるということや、石炭火力を低炭素にすること、二酸化炭素をエネルギーを使って固定化することとは全然違う世界なのです。

そういった物事の先、私たちは何によって幸せを感じるのかという根源的なライフスタイルへの問い、価値観の変革こそが私たちが進めていくべき事柄だと思います。そしてそれは都市的価値観から離れた日本のローカルだからこそ可能性が秘められ、そこに僕は地球環境問題という巨視的な問題への解決策を見出しているのです。

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