見出し画像

1000人のインド人と恋をした インド交換留学雑記②

15の夏にインドに来た。

入国審査を終えた。沢山の手印のモニュメントを通り過ぎると別世界だった。
けたたましい乗り物のクラクション音とどこからか漂うスパイスの匂い、そして街にいる人の多さに驚いた。



これから1年、ここで過ごすのか 。目の前の風景や現実に他人事だった。目に見える景色が自分の見てきたもの全てと違うのか脳は現実をしっかりと認識していない。
太陽がいつもより眩しく、道路に舞った褐色の砂のせいで街が少し赤い。汗が額を通り過ぎ、目尻に入ってしみる。身体はすでにインドを味わっていた。足が一歩一歩前に進む。

空気はカラッとしているはずなのに、周りがジトジトして見える。身体中の水気を吸いとられている気分だ。

旅行者感覚で街を眺めていると、深い皺が刻まれた黒褐色の男らが僕ら留学生に集まってきた。頭に輪っかのなにかを乗っけた彼らが、なにかを言っている。言葉は理解できないが、意味としてはこうだろう。荷物を持つから運搬賃をくれ。彼らののびる手を現地のスタッフが振り払う。

タクシーに乗ってオリエンテーションの会場に向かった。
タクシーのなかでは同期の日本人二人と牛って本当に街にいるんだ、とか私なんの準備もしてきてないけどどうしよう、おれもおれも、だとか呑気に呑気を勤しんでいた。
タクシーが止まった。止まっている間に人、牛が道路を横切る。どこかしこから色んなクラクションの音が聞こえる。視界の奥の方で警官が交通整理をしていた。警官を無視してバイクが横切る。それに追随した人やリキシャ、車が右から左へ過ぎ去っていく。一度生まれた流れは止まらない。それでも警官は車を叩いて道路を塞ぐ。目の前に道が生まれた。身を挺して道を作ってくれた警官のシャツはびしゃびしゃ。街の交通を守る為、疲れた顔ひとつせず鋭い眼光を十字路に向ける。信号機つけりゃいいのに。
タクシーが止まる度に物乞いのお姉さんやバイクの兄ちゃんと目が合う。ヘルメット越しのひげや、その後ろに乗っている女の人の服装に目が行く。パンジャビドレスを着た女性はバイクを跨がず横向きにして座っている。前の兄ちゃんはサングラス越しにこちらの顔や車の中を物色する。ATフィールド展開。窓一枚で隔たれた動物園。互いにじろじろ覗き合う。

会場のホテルに到着して荷物をおろす。一週間のオリエンテーションが始まった。世界各国から留学生がやってきていた。といってもそのほとんどが西欧諸国でイタリアからの学生が多かった。イタリア生まれのソニア・ガンディーという女性がいる。義祖父がインド初代首相ネルー、義母がインド女性初の首相インディラ・ガンディー、夫も首相、そして自身も義母と夫が暗殺された後に、首相の座に就いている。そんな経緯からイタリアとインドの政治関係はとてもよく、公民ともに交流が盛んだ。イタリアからは15名、フランスから5名、アメリカから10名、その他それぞれ若干名ベルギー、ドイツ、スイス、ブラジル、オーストラリア、タイ、ロシア。日本からは4人の留学生が集まった。
15歳から20歳の若者がこれから1年インド各地で生活する。当時自分の知ってる外国人は中学校の英語の授業でやってくるいつも気分のいいアメリカンなおっちゃんとかテレビのタレントくらい。同世代の彼らがワイワイしている様子を脇目に日本人の留学生にあの人どこの人やろね、とひそひそ話を繰り広げた。

会長らしき人の話が始まった。なにを言っているのかさっぱりだった。インド訛りの英語が聞き取れない、というわけではない。昔葬式で流れていたお坊さんの歌声を思い出した。数分経ったところでさっぱりわかんねえやと諦め、周りを見渡す。皆が真剣に話を聞いてる顔をしていたのでその真似をした。1時間のセッションが数回、チャイタイムを挟んで行われた。へー、これがチャイってやつか。休憩中の会話に入れない自分は仏頂面を浮かべながらやけに甘ったるいチャイの味を噛み締める。

初日のセッションが終わり、それぞれの部屋に移動する。自分の部屋の鍵が用意されていなかった。どうすればいいのか、そもそも鍵がないこの状況を英語でなんというのかわからない。必死に身振り手振りで伝えた。インド人スタッフが僕に何か言った。
「%$a&!」
聞き取れなかったから聞き直した。
「%$a&!!」
聞き取れなかったから聞き直した。
「%$a&!!!」
聞き取れなかったから諦めた。
彼は廊下の向こうに行ってしまった。取り残された自分は彼が何と言ったのか考えていた。数分経ってようやく分かった。
「Stay here!(ここにいて!)」
中3英語の限界を知った。いや、ただの準備不足だ。
何とかしようにも何ともならんことから少々の教訓を得た。
どうも無鉄砲にも無鉄砲なりの作法があるらしい。

マークという名のフランス人と相部屋になった。
フランス人は日本のことをよく知っている、と聞いてはいたが実際によく知っていた。彼含め出会ったフランス人の友人は皆日本のアニメや文化について知っていた。彼とは住む都市が隣であったことからその夜は色々話した記憶が今も残っている。

2日目の昼飯にカレーが出た。ホテルのレストランにはスプーンとフォークがあった。インドカレーはスパイシーだと聞いていたが、こんなにも辛いもんかと額を汗一杯になんとか食べ終えた。
お昼を終えた後、皆でホテルの屋上に行ってインドの街並みを観た。白い壁に反射される強い日射し、何を言ってるかわからない英語での説明、わちゃわちゃした街。自分の中で何かがいっぱいになったのか気づいたら鼻から血が垂れていた。鼻血って英語でなんて言うんだろ、と考えている間に隣の留学生がトイレ行きなよ、と。トイレットペーパーを鼻に突っ込み会場に戻る。

留学生皆で自己紹介ついでに交流しましょう、とゲームが始まった。
12人くらいの小グループを作って自己紹介を順にした。何を話したか覚えていない。大人になると仕事経験や肩書が増え、出身地のプチ情報や趣味等をかいつまんで話せば自己紹介が成り立つが、高校生なり立てのチビにそんなものはない。そして人並みの自己紹介を話すだけの英語力がない。
自己の確立していない人間に自己を語らせるのは残酷だ。自分が何者であるかを否応なく突きつける。
以降、異国で、新しい環境に行くたびに自己紹介、自己存在の証明を求められた。何度経験しても疲れる。

自己紹介終了後、皆の名前を順に言っていくゲームが始まった。周りの留学生の名はファブリツィオとかフェデリカ、ライヤン。聞いたことがない名前だらけだ。外国人の名前ってジョンとかポールとかジョージとかリンゴスターではないのか。殆どの名前が言えず消沈。他の留学生も初耳の名前に苦心していた。ゲームがグダグダになったところで終了。その後のセッションもだらだらと、気づけば夜になっていた。
晩ご飯のカレーを半泣きになりながら食べた。
晩飯のあと、僕らは再びホールに集められた。まだ何かあるのか。部屋に戻って寝たいと思っていた矢先、部屋全体の明かりが消え、一ヶ所に照らされたライトに目が行く。爆音の音楽とともに1人の伝統衣装をまとったインド人青年が踊りだした。独特なステップと腕使い、煌びやかな衣装。。決して速い動きのダンスではないが、その妖麗な動きに魅了された。凄いものを目にしたとき、人はそれを自分のものにしたくなる衝動に駆られるのだろうか。一人二人と彼の動きを真似して踊り始めた。他の留学生も集まりいつの間にか彼を中心に大きな輪ができていた。踊り終わった後の爽快感たるや。疲労やストレスはなんの事やらで全て吹き飛び、気がとても晴れた。

1週間の長い長い説法から解放され、これから派遣先に向かう。ホテルを出て再びバスに乗りデリー駅へ。
駅に着くと人がごった返していて、見ているだけで暑苦しかった。エレベーターがあったか覚えてないが、階段でホームまで向かった。10キロのバッグと23キロのスーツケースを持って階段を登って下りて、少し歩いたらまた荷物を両手に階段を上り下り。女の子はとても大変そうだったが、かまう体力も余裕もない。駅のホームに着き、スーツケースにもたれかかる。
出発まで少し時間があるから休んでてとスタッフに言われ周りを見渡す。文字がくねくねしていて読めない。文字情報を追うのはやめ、人々に目をやる。

通りかかる人は自分の荷物や服装、顔をなめ回す。なめられたらなめかえす。なめていいのはアメとチョコとお偉いさんのくつ。
これらはなめればなめるほど味が出る。そういえばいつか大学生の時、バイクに乗って1年ぶりに妹と牧場に行った。牛がずっと自分の着ていた一張羅の革ジャンを舐めるから、共舐めだねえ、この牛のベロ美味しいそうだね、と久々に微笑ましい家族団欒を楽しんだ。
話が逸れた。
偉い人の靴を舐めるとどんな味かするのだろう。革の染料と埃と味がするだけで大して美味しくはなさそうだが、牛はペロペロと革を舐めていたなあ。

こんな話でもなかったか、いつも話が脱線して結論が不時着する。1文に2つの乗り物があるととても収まりが悪い。電車なのか飛行機なのかどっちかにしよう。そうだ、インド列車の駅での話だった。

彼らはなにも敷かずに平気で道に座り込んでいた。道というべきなのか家のリビングよろしく、プラットホームに鎮座していた。。胡座、体操座り、うんこ座り、雑魚寝しているものもいる。体操座りしてる者の骨格がそうなのか身体が柔らかいのか膝が頭を隠すくらい脚が長かった。
これから16時間の長旅が始まる。ホテルでトイレに行っておけばよかったと後悔。バスで駅に向かう途中にある光景に出くわした。大通りの沿道に少しの囲いがあり男がそこで用を足していた。囲いといっても横にしきりがあるだけで車道からは丸見え。壁の小便器に向かって用を足していた。景色に溶け込んだ青空トイレから用を済ました男が道路に向かって歩いていく。沿道のトイレがカジュアルに、さもバス停かのような佇まいでいるから誰も気にならないのか。確かに外の小便は気持ちいいが、壁に垂れ流しは大分汚い。小便源泉掛け流し、想像して気持ちが悪くなった。
衛生環境が異なることはインドに行く前から、行ってから街の様子を少し見ただけでわかった。
駅のトイレに行ったが鼻がよじれるくらいの臭いだった。息を止め、身体の穴という穴を閉じ、膀胱にこれでもかと力をいれ小便をすまして外に出た。肩で呼吸をし、外に出る。生暖かい外の空気をひんやりと感じながら集合場所に戻る。

駅で財布は出すなとスタッフに何度も注意を受けていたから、軽食を買うことはできなかった。
列車がやってきてスタッフが僕らを誘導する。
先に乗り込んだスタッフにスーツケースを預け、ステップに足をかけ乗り込んだ。これから長い旅がはじまる。目が覚めて駅に着いたら留学生活が始まる。期待や不安の情緒に浸る余裕はなかった。目にはいるもの全てが初めてで、キャパはとっくに越えていた。車窓から見える空は真っ暗。列車で提供される夕食を早々に平らげ眠りについた。

1年で知り得たことはたかが知れているが、15の自分を程々に狂わすには充分過ぎる時間だった。

僕はその地で1000人のインド人と恋をした。


過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい。
台湾の友人に教えてもらった森山大道さんの言葉が頭の片隅から聞こえてくる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?