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さよならだけが人生だけど、さよならだけが人生じゃないよね

超高齢者と話してわりとよく言われることがある。

もういい(死んでも)から早くお迎えが来ないかと思います。

超高齢になって身体の自由が利かなくなり、一人でできることがどんどん減って介助や見守りが必要になれば、生きる張り合いも薄れるだろう。

相手の話を否定しない、神客を前にした販売員のような介護サービス相談員だが「死んでもいい」には肯首しない。

職員さんの中には、

そげかねー
でもまだお迎えがこらんから、もうちょんぼし がんばるか!
◯◯さん いてくれたら嬉しいわー☺️

なんてうまくかわす方もいらっしゃる。
尊敬!である。
言われた方はニコニコと幸せそうだ。
淋しい老人なのである。

ほとんど場合初対面(認知症の利用者さんにとっては)である私にはそんな返しはできない。

とても良い人生だったので思い残すことはないのですよ、と言われる方もある。
悟りの境地に達したのだろうか。
けれども不思議なことに「だからもういい」とは続かない。

悟ったのであれ、絶望したのであれ、ほんとうに「もういい」と身も心もそうなったなら、たぶん何もせずそこに横たわり、静かに死が訪れるのを待つのだろうと思う。

私がまだ子どもだったころに、母がそう言ったことがあった。
若く幼い母親は、なにかの映画やテレビドラマに触発されてそんな生き方や考え方に魅力を感じたのかもしれない。
文脈を無視してこう言い放った。

いつ死んだっていいんだい。
人間いつか死ぬんだから。

いつもの江戸っ子口調である。

人間はいつか死ぬのは分かっているが、それでいつ死んでもいいなら生まれる意味がないのでは?
と思った。

母が死んでこの世からいなくなることを想像するだけで胸が詰まり涙が溢れてくる。
母はそのことについてどう思っているのだろう?
そして母自身も、私や弟妹や、あんまり仲の良くない夫を残していなくなることが、悲しかったり寂しかったり辛かったり悔やまれたりしないのだろうか?

まあ、子どもだったのでこんな多くの語彙を持たなかったが、当時の思いを整理すればそんなところである。

夫の会社に二十年間勤めた事務員の女性が、昨日癌で亡くなった。
高校生二人の母親だ。

私は直接お会いしたことはないが、結婚されてすぐに家を建てた際に、棟上げの餅まきに夫と駆けつけたことがあった。 

五年前に会社の健康診断で胃癌が見つかり、東京まで治療に通った。
進行性のよくない癌だったらしい。
どうにか持ち直し正月に、この一月から少しずつ職場に復帰したいと夫に電話で話していたと言う。

夫は静かに悲しんでいる。
ほんとうに悲しそうである。
ご主人や二人の息子さんを始め、彼女を知るたくさんの人たちが悲しみに包まれていることだろう。

やがて立ち直り彼女がいない日々が当たり前になっていく。
ときに記憶から呼び覚ますのは、生き生きと生きて、笑っている姿に違いない。




私は夫が「俺はいつ死んでもいいのだ」と言ったなら、緑のインクの用紙をモノクロでプリントアウトして、サインしてから投げつけてやるのだ。



※ヘッダー画像はAngie-BXLさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪

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