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新卒で屋久島に住み始めたきっかけを振り返ってみる vol.1

3月に大学を卒業して屋久島に住み始めてから、もうすぐで半年が過ぎようとしています。

有難いことに毎日が充実していてあっという間に9月になってしまいました。ここ2年間旅をしていて転々と拠点が変わる生活も刺激的で楽しかったのですが、腰を下ろしてその土地を深掘りしていく生活は異なる面白さがあって良いですね。

9月に入り生活もガイドも少しだけ落ち着いてきて何故この島に腰を下ろしたのか振り返ってみました。

大きな分岐点は世界中で流行したコロナウイルスです。東京もロックダウンし大学の春休みも延長、再会したと思ったらオンライン授業のため自宅で完結してしまう。1年生の時に経験した学生生活では考えもしなかった予想外の出来事です。
元々、大学には何かを勉強しにいってたというよりも就職を有利にするためへの大学卒業という肩書が欲しかっただけでしたので、単位の取りやすいオンライン授業は自分にとっては好都合でした。趣味やアルバイトに時間を費やし空いた時間で課題を出せば卒業できる、なんてラッキーなんだろうと思い残りの3年間は気楽に過ごす予定でした。客観的に見たら相当つまらない生活をしていました。笑

そんな生活を変えた選択が旅を始めるキッカケにもなった3年次の春から始めた住み込みバイトです。
大学の友達地方でアルバイトをしながらオンラインで授業を受けていたのに影響され、当時21年間住んでいた東京から始めて離れてみようと思い、北海道の帯広にて3ヶ月間の酪農バイトへと向かいました。その時はあまり旅や旅行に興味がなかったため知らない土地へ足を踏みいれるの新鮮なことで緊張したのを覚えています。
牧場への志望動機は単純で給料が良かったのが一つと牛さんと戯れて仕事するのが楽しそうだったからです。3ヶ月働いてそのお金でバイクの免許とバイクを買おうと夢見ていたのですが、現実はそう甘くもなく3日で夜逃げしました。
大変非常識でやってはいけないことをしたなと思います。面と向かって辞めることも言えず情けない自分です。逃げた理由は乳牛の牛たちが生き物として全く扱われていなかったことです。
牛小屋の清掃は1日1度だけで、多くの牛は屎尿まみれの床の上に寝ているため体が糞と尿にまみれた状態。1日2回搾乳があり搾乳室に連れていくのですが動かない牛や歩くのが遅い牛には頭を殴ります、牛の体は大きく筋肉と脂肪で包まれているため普通の人が殴っても痛くも痒くもありません。しかし、頭には脂肪や筋肉が多くつかないので頭を狙うんです。殴られ慣れて恐れているのか休憩中に撫でようとすると多くの牛が顔を背き殴られないようにしていました、恐れないのは仔牛ぐらいでしたね。
他にも人工授精、乾乳期の牛は小さい小屋にまとめて収容、同じ哺乳類の人間に置き換えたら大分凄まじいことが行われてました、日本の乳牛全てがこの牧場と同じことをされているかは知りませんが他にもある可能性は大きくあると思います。
ここまでして牛乳も飲みたくなく、搾乳もしたい気持ちもなく精神的に耐えれず弱い自分は脱走することを決め出たのですが、夜逃げするのが1人じゃなかったんですよね。
夜逃げする前日に新しく住み込みでTくんって人が来たんですが、自己紹介で喋ってるときに明日出ることを伝えるとその子も一緒に出ることになったんです。Tくんの理由は待遇も悪くは住む部屋がまず搾乳室の横の倉庫で常に肥溜めの匂いが充満していたのと、牛への扱いだった気がします。
深夜0時に携帯のライトでパッシングして音を立てずスーツケースを運び、暗闇の農道を携帯で照らし歩いたのは今でも鮮明に思い出せます、笑
自己紹介では名前と出身地しか知らなかったのでそれ以外のプロフィール情報を真っ暗な農道で共有しました、初対面なのに中々濃い時間を共に過ごしていたかもしれないです。
最初の駅について始発まで待っていた時に外を歩いていたキツネをみて本当に北海道にいるんだと体感し、そのあと寒くて結局2駅先まで歩いきまっすぐな農道で朝日を迎えました。東京と違いは北海道は一駅一駅の間隔が長い。

ほぼ初対面のTくんと農道で迎えた朝日


あの時の太陽は僕らに安堵と希望を与えてくれたのと同時に北海道来て何してんの?と小馬鹿にされた気がしましたね、その1時間後には目的の駅につき無事始発に乗れて暗闇の中20km近く歩いたためか爆睡しました。
電車に揺られ1時間少し栄えた街に到着、あれほど牛がモノように扱われていたの数時間前に見ていたのに初めて食べた食事は何故か豚丼でした。いつもより感謝の気持ちを込めたこと、そして歩き疲れた僕たちの体にはいつもの何倍も美味しく感じた。この豚はどんな過程で肉になったのか今まで考えなかったことも頭の中に浮かびましたね。
これからどうするのか、東京に戻るのか他の仕事見つけるのか考えた結果後者にしました、この時はまだ旅を始めることは頭の隅にもありませんでした。

その後お金もないのになぜか古着屋でボブ・マーリーのtシャツを買い、仕事探ししながらゲストハウスで一泊。結局仕事も見つからず次の日を迎えました、近くのパン屋で買った惣菜パンを口に頬張りながらバスターミナルへ。
このままでは何も進まないと思い10分後出発の札幌行きのバスが掲示されていたので、その券を購入し急遽Tくんに別れを告げました。
もう会わないんだろうと思いながら、会って浅い仲なはずなのに一夜を共に歩いたからか少し悲しかったです。またいつか会えたらいいなと思いその地を離れました。
バスに乗り札幌につくとWi-Fiのあるカフェで仕事を探していたのですが、住み込みのバイトは限られていて北海道だからか酪農系ばかり出てきたため苦戦しましたが、その中からホタテ漁みつけます。時給もよく寮費も安かったため即電話しOKをもらい気分も良かったのでTくんに連絡するとまさかの同じ職場だったんです。こんな早い再会は予想もしていなく、北海道という限られた土地、住み込みという限られた条件だから再会したのか、それとも必然的に巡り合わせてくれたのか、なんとも不思議な出会いです。
旅をした人なら共感できると思うのですが、不思議な出会いが本当に多いですよね。神様も旅好きなのかな?それとも止まらず進んでいるから色ん出会いを捕まえてるのか、こういう経験を積み重ねると旅が楽しくやめれなくなってしまいます。

次の投稿は北海道ホタテ漁編を書いていきます、ちなみTくんとは去年の和歌山県のみかん収穫バイトでもたまたま再会しました、しかも友達の相部屋の住人としてでした。旅人の界隈狭いのかな?

新しい記憶が来ると昔の記憶が薄れてしまうので徐々に思い出しながら綴っていきます、自分の記憶整理の傍誰かが楽しんでくれたり、旅や新しい挑戦の後押しができたら良いな

#あの選択をしたから


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