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大阪万博が面白いかも(雑記)

地元の小さな本屋で村上春樹と柴田元幸の『本当の翻訳の話をしよう』と加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を購入。早速『本当の翻訳の話をしよう』を読みはじめる。

最初の対談で二人がカポーティの『無頭の鷹』について触れていて、面白そうだったのでキンドルでカポーティの英語の短編集を購入。少し読んでみたが、冒頭からさっそくかっこいい。

Vincent switched off the lights in the gallery. Outside, after locking the door, he smoothed the brim of an elegant Panama, and started toward Third Avenue, his umbrella-cane tap-tap-tapping along the pavement.

Capote, Truman. The Complete Stories of Truman Capote (Vintage International) (English Edition) (p.91). Knopf Doubleday Publishing Group. Kindle 版.

対談では同じ英文に対する村上春樹と柴田元幸の翻訳の比較なども扱っていて、読み進めるのが大変楽しみです。


区が運営しているスポーツセンターを発見。かなり安い値段で様々なトレーニングマシーンを使える。ということで、先日ジムも解約したばかりだし、しばらく運動はこのスポーツセンターでやろうと思う。


ランチを食べながら、なんとはなしに大阪万博について調べてみた。落合陽一や福岡伸一など、主体の解体系のメンバーがプロデュースしているパビリオンの公式サイトができていたので、チェックしてみた。ちょっと面白そう。

動的平衡をテーマにした福岡伸一のパビリオンの紹介文には、こんな文章がある。「あなたと環境とのあいだには実は明確な境界線はない。あなたを構成している原子や分子は絶えず環境との間で交換されている。」ベイトソンを彷彿とさせるようなテーマ設定。その上で、このパビリオンに入ると自分の身体が粒子化し、流れ出すような体験ができるとのこと。

福岡伸一のパビリオンに共鳴するような形で、落合陽一のパビリオンでは自分の身体がデジタル化され、「擬似的な臨死体験」ができる(とのこと。)これ、デジタルネイチャーを標榜する落合流の身体の粒子化、そして再構築のようにも思われる。また、メンバーを考えれば当然かもしれないが、内閣府が発表しているムーンショット目標につながる実験な気もする。

身体を通して自分の生命観に揺さぶりをかける、そのような場としての劇場空間、と言う意味において、二人の試みが成功すればこれはアントナン・アルトーが構想した残酷劇の実現にもなるのかもしれない。アルトーは、それまで言葉を中心に構築されてきた西洋演劇に大きな疑問符を叩きつけ、その空間に入ればまるで「手術」を受けたかのように人間そのものが変容する演劇空間を夢見た。

また、今回のパビリオンはオノ・ヨーコに象徴されるフルクサスの系譜の上に位置づけられるかもしれない。舞台の上に座るオノ・ヨーコの服をハサミを持った観客が切り刻んでいく"Cut Piece"において、観客は自身の隠されていた欲望に直面させられる。

2050年の実現に向けて内閣府が掲げているムーンショット目標は、一国の政府がまじめに作成したものとしてはかなりぶっ飛んでいるので、どうせなら大阪万博、そこに向けた中間発表くらいの感じでまずは思い切り飛ばして欲しい。数年前の一橋大学の英作文の入試問題で「西暦3000年の世界について書きなさい」というのがあったが、さらに言うのであれば、西暦3000年から見返した時、あそこで提示されたイメージはある種の予言だった、くらいの感じになると面白い。一方で2024年の現在、世界中に実際に苦しむ人がいる現実に対してテクノロジーに何ができるのか、そのあたりもしっかりと伝えられるとよいと思うのだが。

いずれにしても、落合陽一と福岡伸一のパビリオンはちょっと面白そう。ここで提示された問題系に対して、世界中の哲学者をネットで繋いでディープな哲学対話などが繰り広げられると、思想史的にも一つの事件となりうると思うのだが、どうなのだろう。どうせやるなら、エンタテイメント的な要素を追いかけつつも、学術的にも歴史に残るイベントにして欲しい。

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