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「物心」がついたとき。

いわゆる、「物心」が自分自身についたのはいつか。人は幼少期の記憶を語るときに、ほぼ必ずと言っていいほど「物心がついてからは〜」と話し始めて、そこから自分自身の経験を語る気がする。とはいえ、誰もが「物心ついたころ」について、内省することなんか、ほとんどないんじゃないか。と思って、今日のnoteのお題にしてみた。

ものごころ【物心】が付(つ)く
 ー世の中の物事がわかる年頃になる。幼年期を過ぎる。ものごころづく。

精選版 日本国語大辞典より

「世の中の物事がわかる年頃になる。」
なんて大それたものを僕は感じながら生きていなかったけど、幼少の僕(おそらく4歳〜とかそれぐらい?)当時大好きだった車の本を何冊か常にボロボロになるまで持ち歩いて、興味の対象が常々変わる子どもだったことだけは覚えている。母からは、「当時のあなたは街行く車を指さしては、車の名前を大きな声で叫ぶ子だったよ」と言われる。そんなことをしていた記憶があるような気もするし、ないような気もする。

ただ、幼稚園の年少期に通っていた幼稚園のお遊戯室や、放課後(というか幼稚園が終わった後?)に、そのお遊戯室でヤマハの出張ピアノ教室に通っていたこと。当時大好きだった車の本のページの一節がなんとなく頭の中に残っていること、他にも幼稚園のクラスで露骨に仲間はずれにしてきた同級生の名前はフルネームで覚えていたりする。多分死ぬまでずっと覚えているし、ずっと不幸を願い続けている。(もちろん、これを書いている今も。)

周りより自分は精神年齢が高いものだと思って、「みんな自分よりも遥かに幼稚で子どもだなあ」と思いながら過ごしていたことも、はっきり覚えている。いつしか、周りをそういう風に見なくなってしまったのは、いつ頃からかは、もう覚えていない。ただ、異常なまでに「自分は周囲とは異なる、体は子どもだけれど頭の中は遥かに大人びている」と執着していたような気さえしていた。はやく、「こんな子どもの時間なんて終わってほしい」と思ってさえいた。

そんな時期が自分自身の中で、「物心がついたころから…」と思うようになった瞬間、「ああ、自分は周りよりも早く”社会”をわかったんだ!」と思っていたのではないか。そんな気さえする。

”社会”なんて、30歳を過ぎた今でもわからない。なおさら、10代や20代のうちに”社会”について考えた時間なんて、あったか。

自分の頭の中をこうして省みて、文章を書くことでやっと色々なものと向き合っている自覚が生まれてきている。そうしてみると、やっと「物心がつく」ことの意味を理解して、自分自身もそこに少しずつ踏み入れてきたのではのではないか。

30歳を過ぎてから、30数年ぽっちしかない人生の中で自分のルールや自分の人生への取捨選択、なんとなくの選択の繰り返しから確立されてきたものがある。そう言った意味で、”社会”と自分のルールとの折り合いをどこか見つけようと、毎日もがいているのかもしれない。



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