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「今」への思索~夫の退院から5年。夫との「今」を記すということ~

果たして 自分には 思想はあるか。

西行の歌を読んで いて、 ふと自分の中が、 がらんどうに なったんだった。

私には、 色彩 と 筆致の他に 追い求めるものもなく、 日々の暮らしは その疲弊 の中に うずもれるばかりである。

ストーリーは 数 限りなく 鉛筆で ノートを埋めていくけれど、 私の思想は、 平成31年、 あの1年間で止まっている。

あれ以前もなく、 あれ以後 もなく。

今はそれを 描き 現そうとして いるのだから、 むしろ そこに集中すべきかもしれない。

だが今現在生きている私の 未発達は、 夫の「 1日」 という 年月の速さに 置いてきぼりを 喰らって やしないだろうか。

毎日毎日私は、「 平成31年」 の中に立ち返り、 埋没し、 その時の フラッシュバック と共に、 あの時に得た、 強烈な感覚 と想い、 そればかり 注視している。

時は すでに 令和5年であり、 夫の肉体は、 確実にあれから 5年経っているのだ。

私自身も 日々 YouTube という 好き勝手をやっているが、 如実にその顔は あれから5年 老けた、 やつれたおばさんの顔である。

むしろ今、 今一度私は 自分の 思想をしっかりと見つけ、 そのかけらを掴み、 探求すべきではないのだろうか。

平凡な言葉でもいい。
朴訥と、「 1日」 というものに、 詰まり詰まりしてもいい。

私が今、 何かを詠むとしたら、 そこにあるのが 萎びた 51歳の私自身 の肉体であったとしても、 痩せて小さくなった もうじき 77歳になる 夫の肉体であったとしても、 枕詞をつけるべきである。

そして私は、 日々 の思想を詠むべきである。

たとえそれが、 歌の体を成さなくても、 日々を 刻むべきではないだろうか。

今朝は 我々はこうであった。

( 汗びっしょりで起きた。 室温が上がり、 腹を 下して トイレを往復するも、 水もコーヒーも 喉を通らず。 体加減は悪く、 夫用の 経口補水液 を飲む。目が 光に耐えられず、 暗がりで 西行 を読む)

さりてなお もの 思わずば 月日とは 我置きてゆく覚え落として

( 夕べ 髪の毛を切った夫は、 長湯して疲れたせいか、 滾々と眠っており 水分を取ってくれない。 しばらくして 一言「 暑い、 窓を開けろ」とうわ言で言った)

さわやかに 白髪切りし 額には こよりのように また増えし皺

ふたまわり 小さき 顔に なりし君 乾く 唇 たしかめるわれ

せめては、 日常を このようにでも 残すべきではないだろうか。

うまい下手なぞどうでもいい。

そして私は、「 平成31年」 というものを描きながら、「 令和5年」の 思想を持たねばならぬ。

今の立ち位置に於いて、描かれていない 自分たち、 それを踏まえねば、 おそらく今 描いている 物語 も、 命を宿すことは ないのではないだろうかと思う。

夫と生きた 歳月。

そして 夫と生きる 歳月。

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25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。

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