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雪が降る町

はい、知る人ぞ知るユニコーンです

この曲はシングルカットされてるのかな? ちょっと詳しくはわからないのだけれど、妹の車の中でよく聞いていたことを思い出したので、いつもとは違うスタイルで昭和歌謡を紹介したいと思います

当時のわたしはいわゆるニートで、車は免許証こそ持ってはいたけれど、完全なるペーパードライバーで、自分で車を買おうなんてこともこれっぽっちも思ってはいなかった。結婚してからもいつも妹に送り迎えをしてもらっていたくらいに、とにかく自分で運転するなんて考えられなかった頃。懐かしいな・・・・
そんなわたしが今じゃ、ワゴン車になんか乗っちゃって、そしてこの曲を聞いている。寒くなると思い出すんだよね、あの頃のこと

もう何年前になるだろうか…雪深い田舎道を妹とふたり、この曲を聴きながら父のバイト先に夜食を運んでいた。思えばあの頃からようやっと妹と仲良くなったんだよね…( ̄▽ ̄;) 昔は本当に嫌われてたから、そんな日が来るなんて思いもよらなかったけれど、家族ってそんなものかな

わたしの父親は自営業というやつで、自宅の横にあった(多分、昔住んでた家)小さな工場で母親とふたりで仕事をしていた。下請けの下請けのそのまた下請けのような父親の仕事は、わたしたちが学校を卒業したあたりから、不景気の煽りを食ってだんだんと減り、やむなくたたんだ。母親は家政婦協会みたいなところに所属して泊まり掛けの仕事をするようになり、それまで他の仕事をしたことのなかった父はコンビニで深夜のバイトを始めた
そんな状態だというのにわたしはニートで、妹は既に働いていたから「長女の仕事」なんて体よく押しつけられ、結果家事をするのは自動的にわたしの仕事になった。とにかくそれまでわたしたち姉妹は手伝う程度しかしてこなかった料理をやらなきゃならなくなった
その頃からわたしは「どうやったら手抜きできるか」と考えていて「ひき肉三段活用」とか、とにかく長く台所に立たなくてもいいよう、大量生産やら、冷凍保存できるものを試行錯誤していたように記憶しているが、その話はまた違う機会に・・・・

口うるさい祖母と日中家に居なきゃならなかったわたしは、とにかく夜は家に居たくなくて、当時彼氏がいなくて暇だった妹と(当然わたしにもいなかったけど)ふたりでよく、両親の仕事場に弁当を届けていた。弁当といってもちゃんとしたものではなく、失敗したハンバーグの残りだとか、余った食材をオムレツにしたものだとか、おかずの一品をただタッパーに詰めて運んでいただけだったが、とにかく、今まで家にいた両親が外で働いていることに不安を感じ、理由をつけて職場訪問することが目的だった

妹とふたり、街灯もまばらな細い田舎道を歌いながらドライブするのが楽しかった。なによりそれまで仲が悪かった彼女と近づけたことが嬉しかったように思う。それまで当たり前に稼いでいた両親がふたりともアルバイトになり、困窮した家庭環境にあったにもかかわらず、自分たちは「なんてしあわせなんだろう」って話をしていた。貧乏だけどどこか楽しくて、ニートのわたしも家事を任され、協力できることが嬉しかったし、家族の絆というものを身にしみて感じていた。だからこの曲は、わたしたち家族の歌と言ってもいい

あの当時はよくよく歌詞を理解もせずに聞いていたけれど、この曲は年末に実家に帰るという歌で、最近のわたしには特に染みる曲になった。CDだったのか、MDだったのか、このほか「フーガ」とか「自転車泥棒」なんかも入っていたアルバムだったと思う

お正月には実家に帰省しようと思っていた。でも、関東から帰省するには田舎に住む母親に迷惑がかかるかもしれないと思った。ただでさえ毎日、TVではいやなニュースが流れ、決して景気がいいわけではない数字を律儀に告げている
お正月だからといってひょっこり帰ったら、その時はいいかもしれないが、わたしたちが帰ったあと、近所の人に「(関東圏の身内が)来てたんだね」って言われるだろうし、もしかしたら「菌を運んで来たんじゃないか」という目で見られるかもしれない。もちろん近所の人たちは昔から知っている人たちで、そんなに悪い人なわけではないけれど、でもね、やっぱり残された母親に肩身の狭い思いをさせてしまうかもしれないと思った
だから、わざわざお正月じゃなくて、様子を見ながらなんでもない日に日帰りで行こうということにした

今年のお正月に帰った時、確か隣の家の幼馴染がユニコーンのファンだったから、もしかしたらと思って「CD持ってない」って聞いたら貸してくれた。それを車に入れていて、なんとなく懐かしさからずっと聞いている。そしてまた1年が経とうとしていて、年末が近づいてきたこともあり、なんとなくあの頃の景色を思い浮かべている

妹がユニコーンの歌の中でこの曲が「いちばん好きだ」と言っていたのを思い出し、この曲が流れるたびにあの寒くて暗い雪道を思い出す。貧乏なのに笑顔だったわたしたち
父が亡くなって4年経った。でも未だに失くした感覚はなくて、あの頃みたいに笑顔で迎えてくれるんじゃないか…と錯覚すらしている時がある。妹とも離れて暮らしていながら、連絡はマメだし、実家ともなんだかんだと荷物のやり取りをしていたりして、帰省しないことにそれほど不便は感じてはいない。でも、やっぱりさみしい
早く世の中が落ち着くといいなぁ・・・・


僕らの町に 今年も雪が降る
いつもと同じ 白い雪さ つもるつもる
あと何日かで今年も終わるけど

世の中は いろいろあるから 
どうか元気で お気をつけて


なんだか本当に、今のわたしたちのことを言っているような歌だよね



まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します