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講演会②工藤勇一先生「かわりゆく じだいと ともにある まなび」 その4 


4 対立を対話で解決するスキル

 

人はみんな違っている
対立を「思いやりの心」で解決しようとするのは乱暴だ

対話っていう話に移ります。対話がなぜ難しいかですね。
なぜ麹町中、横浜創英は対話ができて、合意していけることができるのか。
例えば、よくあの横浜創英は、僕が来る前までは職員会議が月1回あったんですけど、2時間経っても終わらず、よく紛糾したそうです。怒鳴る教員もいたって聞いています。今は横浜創英の職員会議は同じく月1回なんですけど、大体長くても15分ぐらいで終わります。
議題はたくさんあるんですけど、議題にかけるルールがあるんですね。横浜創英のルールは、上位目標。上位目標は、自立ってのと、対話ってのがあるんですけど、自立する子供を育てよう。対話ができる子供にしよう、 この2大目標を実現する提案さえなされたら、基本的には全部ゴーサインなので、職員会議にかけることはありません。
でも、職員会議にかけるルールは?っていうと、提案した時にあまりにも皆さんの職員の考え方が違いすぎて、これは、きっと対立が起きるなっていう可能性がある時だけ、職員会議にかけることにしています。ですから、1年目、このやり方に変えた2年目、僕が校長2年目の時にこのやり方に変えたんですけど、 最初のうちは職員会議がそれなりに時間がかかりました。でも、2時間かかることはありませんでした。大体50分。定例の時間の50分で終わっていました。
今はもう紛糾することがなくなって、理解がされやすくなった。上位目標に戻って提案をすることがわかるから、大体15分ぐらいで終わりますし、今年度については、4月はやりました。5月、6月流れました。7月に職員会やりました。9月はやっていません。
10月はこれからですね。ですから、2回しかやってないんですね。
そんなふうになれるのも、今日、これからお話しする内容がわかるから。

多様性の中で生きる(ダイバーシティ)

さて、子供たちは、我々とは違って、多様性の中で生きていく必要があります。国際的にもジェンダーも障害のあるなしも、いろんな人たちが一緒に暮らす。 人はみんな違っているってことは、素敵なことだけではありません。むしろ、苦しいことです。
人がみんな違っているとは、対立が起こることなんですけど、日本の文化は実は対立をすごく嫌がります。同一性、同調圧力の文化があって、対立を心で起こさないようにしようとか。我が大事とか、そういった言葉が優先されすぎて、 対立を思いやりの心で解決しようとする、実は国際的にはとても乱暴な国だってことです。
実は対立を対話で解決するってのはとてもめんどくさい、難しいことなんですけど、その教え、そのことを教える教育が実は子供の頃からなされてなくて、真逆なんですね。そのことをお伝えしたいと思うんです。

互いの自由は成り立たない

僕の自由とあなたの自由は基本的に違う。
ということは、当然互いの自由は成り立たない。これが人間の基本です。これが、それぞれが自由に生きることなんですけど、当然対立が起こる。

人はずっと争いごとをしてきた
第二次世界大戦 8000万人以上の被害
そこでヨーロッパの人は考えた

ですから、人類はずっと昔から戦争し続けてきました。もしかするとびっくりすることなんですけど、人間が人間を殺すっていう割合で行くと太古の方が遥かに、人は殺し合っていたんです。
どんどん文化が発展してきて、殺し合いが少なくなってきます。今の時代、現代ですね。実は人類史上最も平和な時代ってこれでですよ。
今の時代が、人間が人間を殺すって割合がとても少ない。それが今だと言われています。ですから人類はまだ、成長途中なんです。

もっと前だったら魔女狩りがあったり、めちゃくちゃなことやっていた、生贄があったりとか。ま、酷い時代がいっぱいあったわけです。
ですから、今の方がまだいい時代なんですけど、それでも戦争がこんだけあって 危うい時代になったのは、化学の技術があまりにも進歩したために、一瞬で大勢の人があっという間になくなってしまう。そういう怖さを合わせ持った時代ってことです。戦争をずっとしてきたと。

ヨーロッパの方々にとって1番大きかったのは、第1次世界大戦と第2次世界大戦です。
日本と違ってヨーロッパの方々は地続きなので平和な時代がありませんでした。ウクライナも、自分の国が消えたり、どっかに統合されたり、併合されたり、 何度も何度も苦しい思いをしてきた国々です。

例えば、フランス一国だけ見ても、30の言語があったって言われるぐらい。国内でも戦争がずっとあった。それがヨーロッパの方々だってことです。
国ができて、第一次世界大戦があって、大勢の方が亡くなった。
これでもまだヨーロッパの方々は、まだダメだったんです。で、第2次世界大戦の間に、ドイツは民主主義国家に変わります。

王政から民主主義国家になったのに、ヒットラーが選挙で選ばれます。第2次世界ペ繋がっていく。 この時には勝った国々も、負けた国々もなく、みんなが苦しんだんです。もうみんな焼け野原になりました。イギリスでも、どこもかしこもです。自分の国が全くダメージなかったのはアメリカぐらいです。ヨーロッパの方々は考えたんですよ。科学の技術がこれだけ進歩したら、第3次世界大戦があったら人類は終わるんじゃないかっていう風に考えたわけですね。
教育は自分の国さえよければいいって、富国強兵みたいな時代がヨーロッパにもずっと長く続きました。
でも、第2次世界大戦の後に、自分の国さえよければいいって考え方では、どうも人類は持たないってことに気がつき始めて、教育を変え始めたってことです。

対立
感情(気持ち)・感性(好き嫌い)
考え方・価値観
利益・損害

誰1人が置き去りにしない対話の方法がないだろうかって考えたわけです。市民教育って名前がついて、施設シップ教育です。
日本ではこれは全くなされてなくて、むしろ心の教育をずっと続けてきました。ヨーロッパでは 感情と理性を切り分けて、理性的に物事を考えないと平和が来ないって教えるんですけど、日本は心の教育ってのはとても曖昧で、理性的に物事考えるのも心の教育だけど、人の気持ちを考えてやるのも心の教育だっていうことですね。実は、人の気持ちを考えれば考えるほど、 対立は解決しづらいっていう構造があるんです。どういうことかというと、 対立が起きた時に人間は大きく感情の対立と考え方の対立と理解の対立が起こります。

この3つの対立の中で1番重要なのは、考え方を変えて合意して握手しないといけないってことですね。
握手するっていうのはとても難。色々考え方違うと、特に邪魔をするのは感情の問題です。対立が起きた時に感情が優先されると、考え方をもう変えられなくなります。
第2次世界大戦の時にドイツの国はあちこちに当然うらまれるわけですけど、 もし昔のヨーロッパだったら、いや、ドイツをもう1回叩きのめそうっていう人はいっぱいいたと思いますよね。つまり、家族を殺されたからドイツは許せないって話になります。でも、第2次世界大戦後、その教育をやめようって、ちゃんと仲良くならなければ平和が来ないという風に考えたわけです。
ですから、ドイツに対して、第一次世界大戦では多額の賠償金を求めてドイツを混乱させた。その結果、第2次世界大戦が来たわけですけど、第2次世界大戦が終わった時に戦勝国はドイツに賠償金を求めなかった。こういったところにも現れているわけです。
日本って国が近隣の国々にとても、嫌われたりするっていうのも、その戦争があったからってことは行為否定できないわけですけど、 やっぱり我々はやらなきゃいけないのは、感情はコントロールして、考え方を変える必要がある。ここでポイントになるのは利害の対立ですね。

みんながOKな最上位目標は?

ここに目を向ける訓練を子供の頃からさせなきゃいけないんですよ。みんながオッケーな最終目標は?って言われれば、それは戦争を起こさないこと。 ということですよね。これを学校教育の中にちょっと取り入れて、 横浜創英とか麹町中で僕らがどういう対立の解決の仕方をしていたのかってことをご紹介します。

大人は警察署・裁判所になってはいけない
対立するものに 当事者意識をもたせる

まずは、一般的に行われる学校の解決の仕方ですね。A君とB君がある日殴り合いの喧嘩をしました。
先生たちは慌てて止めに入ります。聞き取りをするわけですね。そうするB君はこう言います。
先生、A君は入学以来ずっとや僕に嫌がらせをするんです。本当に嫌なこと言って、今日は思わず手が出ちゃいましたって彼は言いました。
A君に聞き取り。別室のA君に聞き取り、A君はこう言うんですね。いや、Bは本当嫌なやつだよと。いきなり殴りかかってきたから俺は殴り返しただけだと。
まだ殴り足りないですよ。それに先生だって知っているでしょ。って。Bは本当に入学以来ずっと自分勝手なやつで、みんなで話し合おうっていう時も絶対来ない 。いつも自分勝手なことばかりして、授業中だって好きな勉強は勝手にバンバン質問して、自分の答えが外れているとパニックになってわーって飛び出していく。ほんと迷惑なやつですよ。
僕は毎回ちゃんとしろって注意しに行くと、その度ごとに僕は嫌なこと言われるんですって彼は言うわけですね。で、 A君とB君のトラブルをなんとか解決しなきゃいけなくて、学校は謝る機会を作って。B君、殴ったこと謝ろう。A君も同じだよ。殴られたから、殴ったのはわかるけど。

やっぱりダメだよって。それに、言い方ってのもあるから、言い方も気をつけようよって。B君も同じだよって言って、謝る機会作って返すわけですよ。
そうすると、A君のうちからクレームの電話が来ます。先生どういうことですか。うちの子は殴られたから殴り返しただけでしょ。それに今日も注意しに行ったんですよ。
あの、なんでうちの子が謝んなきゃいけないんですか。やらなきゃいけない、学校がちゃんとしなきゃいけないのは、B君の対応でしょうって話をするんですね。B君の親に電話すると、先生、うちの子は入学以来、発達障害で、あの、入学の時言ったでしょ。って。
いつも突拍子のない行動をするから、みんなに馬鹿にされて、からかわれると、友達は1人もいませんと。
なんとかうちの子がみんなと一緒に暮らせるようにしてくださいって言ったじゃないですか。っていうわけですね。これが今、日本中で起こっていますね。 
で、学校はA君とB君の間に入ったのに、対応の仕方が悪いって言われるわけです。
これ、おかしな教育なんですよ。本当は、A君とB君の間に入って感謝されなきゃいけないのに感謝されない世の中になったんですね。なんでダメなのかっていうと、やっぱり学校の対応が 根本から違っているんですね。解決するのはA君B君であって学校じゃないんですよ。

いつの間にか学校のトラブルは学校が解決するもんだっていう風に勘違いしているんですね。学校は警察署になり、裁判所になれって言われてる。
だから違うんですよ。じゃあどうすればいいのかってことなんですが、このストーリーが日本中の学校が描けないですね。
ちょっと話変えますね。なんでダメなのかです。日本の幼児教育、特に専業主婦のお母さんが幼稚園に入れる時に、一番悩む話をします。
専業主婦のお母さんが、自分の子供が大きくなってきて、他の子供たちと遊べるだろうか。
幼稚園に通わせるお母さんの悩みですね。まず、自分の友達に子供がいたら、友達んち遊びに行ったら子供同士遊ばせます。さらに、不特定多数の子供たちと遊ばせたいために、お母さんは、公園デビューします。公園に子供を連れて遊ばせようとする。

そこに、別の男の子、なんかこう、女の子が遊んでると、自分の子供を連れていくんですけど、もうすでに臆病になってしまった子供なんかだと声が出せません。
それで、お母さんがこう言うんですよ。ねえねえって。うちの子も一緒に遊んでいいかなっていうわけですねと。近くにいたお母さんが、どうぞって言うんですよ。
で、そのさらにその、近くにいたお母さんが、シャベル貸してあげたらっていうわけですね。で、えー、こっちのお母さんが、ありがとうって、

ほら、ありがとうは?って言って、子供に言うわけですね。これは日本の教育ですね。これ、欧米だったらほっときますね。
下手すると喧嘩します。言い争いになったり、あのー、手出したりなんかして大きな怪我をしない限り、ほとんどほっときます。
何が違うのかですね。ほっとかれた子供は、次の日になってまた公園に遊びに行くと、今度は知っている子なので遊びに行くわけですね。で、また遊ぼうって言ったら、えー、その女の子が、やだ。 だって昨日もシャベル貸したら返してくれないんだもん。ってみたいなこと言うわけですね。これ大事な社会性ですね。で、またトラブルになったりするわけですよ。
でも、トラブルになっても大人が全然声かけないと、解決するのは自分たちでしかないってことを覚えていくんですね。で、どうなるかと折り合いをどうつけようかって話です。どうしても怪我しそうなった場合に、大人が介入するとしても、どっちがいいとか悪いとかってしません。
基本はどうすれば一緒に楽しく遊べるか考えてごらんよっていう言葉ですね。
日本の子供たちは手かけられるので、トラブルが起こると必ずお母さんに助けを求めたり、先生に助けを求めます。

この習慣がもうちっちゃい子がついてるわけです。トラブルは自分が解決するもんじゃなくて、えー、大人が解決してくれるものって勘違いをしていくわけ。
A君 B君
君たちは殴り合いを始めたら。先生たちは殴り合いを止めに入ることはできるけど、殴り合いが始まらないようにすることはできないよ。

利害の対立に注目
対話を支援(翻訳)する
共通の目的(最上位)で合意する

重要なのは、A君とB君がトラブった場合に、我々は彼らがこれを解決するのは君らだよって教える作業です。
横浜創英では、入学式後に保護者に集まってもらう保護者会で必ず僕からこの話をします。中学1年生はよく殴り合いもありますよ。怪我することもあります。でも普通ですからね。でも、僕らの学校は、 これを当然止めに入るし、支えます。でも、支え方が違いますから、覚悟しておいてください。どういうことかっていうと、 殴り合いを始めたら、僕らは殴り合いを止めることはできるよ、って子供たちに教えます。でも、殴り合いが始まらないようにすることは僕らにはできないよ。
それができるのは君らだよ。必ず教えます。だから、こんなトラブルになった時にもある質問をするんです。B君、もう気持ちもわかったけど、 明日から殴り合い続けたいのって聞きます。いや、嫌ですって。でも、感情的になったらまた言い合いになるんでしょ。って。その延長線であの殴り合いになることもあるんじゃないかな。
でも、殴り合いしたくないのは本当ねって。わかったよって。A君に聞きに行くと、A君にも同じ質問すると同じように答える。そうか、殴り合いはしたくないんだよねって。えそりゃそうだもんね。怪我する可能性もあるもんな。面白いなって。A君とB君は殴り合いしたくないってことについては一致しているじゃん。
じゃあ、なんか合意できそうだけどな。いいかい。A君がB君を好きになれとも言わない。嫌いなままでもいいよって。B君もそうだよねって。自分の気持ちはどうにもならないもんな。
それが変わるまでには時間かかるから、そこはね、僕らは何も言わない。でも、殴り合いが始まってしまうとお互いに傷つくから、それは見たくないな。
でも止められるのは君らだけど、というと、彼らは考えるわけですよ。これ、日本の教育がなかなかできないことですね。で、彼らが 一番上で合意してるのかってことに気がつくと、そうか。って。それを実現するための手段だけを2人で相談すればいいじゃないか。いいかい、気持ちじゃないぞ。
気持ちは置いとけ、感情は置いて、理性的に明日から殴り合いしないためのえ方法だけを2人で相談できるかって言われてね。子供がやっぱり僕、話し合いさせてもらいますって言ったりします。
謝る機会を作らせるって無理やりやると、子供は先生恨みますね。自己決定するかどうかですね。
皆さんのご家庭に兄弟喧嘩がよく起こるんであれば、兄弟喧嘩の解決の仕方も同じだってことです。お兄ちゃんなんだから我慢しろって言うと、お兄ちゃんは、弟を恨むようになりますね。聞いてあげればいいんですね。お互いに揉み合いをする生活を続けたい、続けたくないか考えれば、お兄ちゃんが我慢するかもしれないですね。ただ、自分の意思で いや、弟はわかんないから、じゃあ俺が我慢するよって自分で自己決定した子供は幸せになりますよね。たまには、お兄ちゃんの方が発達特性があって、弟の方がしっかりしてる家庭なんかもあります。お兄ちゃん無理だから僕が諦めるよ、とかっていう弟だっていますね。その延長線上に、 将来のいろんなトラブルを解決する力がつくってことです。

教室で行われている勘違い
仲良くできない子を非難する差別する排除する

「みんな仲良く」の勘違い(心ひとつに)


人はね。仲良くすることは簡単ではないんだよ。
でも、仲良くできるようになったら素敵だね。

でも、日本の学校教育は、教室で、もうすでに間違った教育をしています。あ、本当は素敵なはずだったのに。

何かって言うと、みんな仲良くって目標を立てたりするんですよ。先生たちはみんな仲良くしなさいって言っちゃうんですね。大好きな言葉が心一つにとか、気持ち1つにです。
とても日本的な同一性を、僕も好きですよ。心を一つにって言葉は素敵な言葉だと思うんですけど、とても日本的な言葉であって、一緒になろうよってこと。だから、 心を一つにするっていうのは、え、国際的にはあり得ないですよね。人は自由であっていいでしょうっていうことが前提にあるから。
そうしなきゃいけないのに。日本は真逆のことを教えるので、この文化で、この風土で育ったB君は必ずこう言われます。
先生って、またB君が言うこと聞いてくれません、いくら言っても来てくれませんって。もうなんとかしてくださいって言いますね。
B君は非難され、差別され、排除されてきますね。いじめの原因になる人のことですね。

先生たち大人は、言わなきゃいけないのは、大人でも、仲良くするのは難しいんだな。仲良くできるようになるためには、人のことも知らなきゃいけない。練習もいるよって。
でも、そうなれたら素敵だねっていう目標を教えてあげればいいということです。
もう1つの問題点は、小学校からやたら多数決を使う文化ですね。

これは日本が、戦争が終わってから民主主義をもらいましたけど。欧米から民主主義をもらって仕組みを作りましたけど、民主主義が理解できなかったんですね。
ですから、議会制民主主義を民主主義そのものだって勘違いしたので、国会で多数決使うんだから、学級でも多数決使っていいっていう風に勘違いしました。
ヨーロッパの市民教育では、多数決は可能な限り使わないって仰ってます。使っていい時と使って悪い時があるっておっしゃいますね。

どういう時か。なぜかっていうと、多数決っていうのは、数でマイノリティを切り捨てろってことを沁み付かせることなので、 そうやって学んだ子供たちが大人になっていくと数で勝とうとしますね。日本は対話ができないっていうのは、まずこういうところに原因があります。
多数決使っていい時はどういう時か。これ、ヨーロッパで教えるのは、誰かが困って、B案だったら誰が困る。だったら誰も困らないC案を探そうよっていう話し合いをひたすらさせます。どんだけ少数であっても。
でもA案でもB案でも結局はみんなが嫌、どっちでもいいんだけど、どっちかと言えばA案がいい、どっちかと言えばB案がいいっていう時には多数決を取るべきだってことです。
結論が出やすいから、どっちでもみんながいいっていうんで、あれっ?ていうことをきちんと概念化して教えていく必要があるのに、日本は、このことを、日本中の学校の先生たちがほぼ教えられないです。それは、習ったことがないからです。
日本は長くヨーロッパのように、ものすごく傷ついた文化の歴史を持っているわけではなくて、 やっぱり島国だったってことが影響しているんだと思います。
これで終わりになります。

生まれた時の主体性を奪わない

今日の話を復習すると、 子供っていうのは、実は生まれた時は全員が主体性です。主体的です。だから、その主体性を損ねないように教育していくことが 本当は大事ってことです。もう1つ、いろんな人たちが生きてく中で解決する時には、自分が当事者として解決することを大人は支援していく。

決して大人がその解決を奪ってはいけないってことです。この教育をしていく。そういった子供たちを育てることができれば、 その地域の本物の当事者が生まれてきて、きちんと対話ができていくっていうことです。

世界の幸福度ランキング (国連2020 資料)
1位 フィンランド
2位デンマーク
5位ノルウェー
7位スウェーデン
62位日本

これ、世界の幸福度ランキングですけど、今現在、日本は62番目です。上位を見てみると、フィンランドとかデンマークとかノルウェーとかスウェーデンとか、北欧が多いです。今日公演の中でも言いましたけど、 北欧の国々は、資源も、いい温暖な気候もないと。やっぱ彼らが生き残っていくためには、 みんなが幸せになる国を作らなきゃいけないし、教育が自分たちの頭で考える教育にしなきゃいけなかったのは当然だったと思います。でも、フィンランドとか、スウェーデンとかこういった国々も初めからそうなったわけじゃないんです。

国会議員の女性議員の割合 
5位 スウェーデン
14位ノルウェー
109位韓国
160位 日本

これちょっと見てほしいんですけど、国会議員の女性議員の割合です。1番上にあるのがスウェーデンで、その次、ノルウェーがありますけど、 本当に半分、男女が半分ぐらい、40何パーセントってありますけど、そのぐらい女性議員が多いんですね。
でも、このスウェーデンは、1970年、 戦後が終わって1945年から25年経った時点では14パーセント、ノルウェーは9.3パーセント、 今の日本と変わらないんですよ。つまり、日本はこの70年間、さっきみたいな教育はできなかった。なぜできなかったかというと、人口がとんでもなく増えて、経済が発展して、このままでいいんだっていうような気が日本の中にはあったと思います。
でも、日本のような、そういったことが全くできなかった、人口も増えない。スウェーデンとかノルウェーたちにとっては、 1つ1つ教育をして、だんだんその教育をした人間が大人社会に出て、だんだん年寄りがなくなっていって、自然に亡くなっていって、教育を受けた子供たちが大人になっていくことによって社会が変わっていったんですね。
日本は今がスタートで、これからもし同じようにかかれば、これから50年とか経つと、このレベルになるのかもしれません。

学校が変わってこそ社会が変わる

でも、これをもっと早くしたいってことであれば、教育をしっかり変えて当事者に育てていくっていうことが大事。

これから日本がやらなければいけないこと


1,幼児教育から本質的な教育に書き換える
2,すでに従来型の教育を受けて主体性と当事者意識を失った子どもたちをリハビリする

社会が変わって学校が変わるんじゃなくて、学校が先に変わって社会が変わる。そういった目で 皆さん、地域の方々は学校教育を見ていっていただきたいし、学校に本物の教育をしてもらうような、 そういった働きかけで学校が本物の教育を始めたら、それを地域が支えてあげる、そういう、環境になってくれるといいと思います。今、日本中でやらなきゃいけないことは、実は幼児教育から本質的な教育に書き換えていくことだし、 もうすでに従来型の教育を受けて傷ついている子供たちをもう一回きちんとしたこう路線に、主体性と当事者意識を持った子供たちに 戻してあげる、そのリハビリが必要だってことですね。以上でお話を終わりたいと思います。
講演はここまでとさせてもらいます。質問があったらお答えしていこうと思います。

進行:

ありがとうございました。
会場の方でご質問がありましたら承りたいと思います。


質問 参加者1


工藤先生、初めまして。三重県の方から参りました、小学校校長の○○と申します。よろしくお願いいたします。
今日、新しい地域のあり方ということで、多賀町へ来させていただきました。
地域と企業が学校にリアルをもたらしていただいているという、教育を展開してらっしゃるとお聞きしましたので。地域や企業をどのようにこう学校に、主体的に関わっていただくように、持って行っていらっしゃったのか、教えていただけたらと思います。よろしくお願いします。


工藤先生:

ありがとうございます、横浜創英でも、それから、麹町もそうでしたけど、基本的には、ボランティアを中心としているんです。なんですかね、お金を払って、企業さんに入ってきてもらおうっていうような考え方は、あまり僕はないんです。ま、中には、そういう教育活動をやっている部分も、今もありますけど。

重要なのは、企業と連携をすればいいとか、 大人社会で頑張ってる人たちを学校の中に入れればいいとは僕は全然思ってなくて、実は今日のような講演の内容に 賛同してくれる人ですね。だから、子供たちに話をするとすれば、例えば民間で活躍している人を呼んできた時に、この人にまず話をしてもらいたい1番基本があります。それは何かって言うと、いやいや、世の中って結構面白いよって。それから、大人って結構素敵だしって。
僕はね、こんな挫折をいっぱいしたんだけど、今あるよって。例えば、学校来れない子いるじゃない。へっちゃらだよとかですね。
真逆のこと教えてくれる人ですね。学校来なきゃダメだろって、そんなんしたらうまくいけない、生きていけないだろうとか。例えば、うちの学校って、僕が校長になってから校則も全部自由にしたので、今は金髪の子もいるし、ピアスをしてる子もいるし、化粧してる子もいます。 自由になりました。4年前までとは全く、180度、本当にもう全く違う学校です。
文化祭やっても化粧してないか、パトロールを教員がするとかですね。ものすごい、あの、なんか、ちょっとでも髪の毛がなんかなると、もうすごい指導が入るって、そんな学校でした。でも、今、そうじゃなくなってきているんですけど、それも、 いや、昔だったら、そんな髪の毛で仕事できると思ってんのか?っていうわけですよ。そういう大人がいるわけですよ。いや、できますよね。そんな大人山ほどいますよね。
で、忍耐強くなくて、そんな我慢ができなくて、世の中通用すると思ってんのかって。いや、その、仕事選ばなきゃいいですよね。

また、3時間ぐらいの集中しかできないって、発達特性ある人が活躍すると、山ほどいますよね。なんで子供のうちに 勝手に大人は脅すんですかってことですね。脅しまくるわけですよ。そんなんだったらダメだろう、こうだったらダメだろうって、 常に、常に心理的不安、あの不安定さを子供たちに与えていくわけですけど、僕が企業の方を入れたりするのは、必ずこの基準ですね。

この基準で人を選びますし、企業を選びます。だから、必ず子供たちに夢を与えてくれて大丈夫よって、失敗なんかいくらでもしろよ、 失敗が大事だよって、失敗は人に奪われちゃいけないよとかですね。そういった話をする方々を基本的に呼んでくるんですね。
で、やっぱそういうことで教員たちも大きく変化するし、価値観も変化するしで、いろんな企業さんが賛同してくれるようにもなっていくってのは、そんなイメージですかね。ちょっとお答えにはなってないんですけど、あの企業入れればいいって問題でもないってことですね。
大学との連携もそうです。みんな、基本的には僕の教育観とか我々が今進めようとする教育観に賛同してくれる方々が 次から次へと、いや、うちも一緒にさせてくださいってみたいな感じで名乗り出てくれていますね。今、専門家の方々は、各会のいろんな方々、40人ぐらい参加してくれています。その中には、もう本当著名人で、例えば、僕が一緒に本書いた鴻上尚史さんが授業してくれたり、サッカーの、あの岡田監督が授業してくれたり、今、筑波大学の副学長やっている加藤さんって方が授業してくれたり、いろんな方々が、授業してくれていますね。そんな感じでしょうか。


質問 参加者2 

彦根から参りました〇〇と申します。ありがとうございます。今少しお話があったんですけれども、すでに、学校に今来ている子たちに、先生のような、学校で教育ができれば、本当に魅力的な学校に、グンっと、こうなると思うんですが、現在、やっぱり、学校に 来たくないと思っている子、たまに来ている子、来られなくなっている子っていうのもたくさんいます。そういう子たちに対して、どういうふうに今学校が、具体的にしていけばいいかっていうところとが1点と、もう一つ、教育委員会っていうところ、文科省トップにいろいろ現在の教育が事細かに決められているわけなんですけれども、そこを実際、先生のように、 あの考え方で教育を、変えていく、学校の校長先生が変わると、あの麹町中のように変わることがダイナミックにできると思うんですけれども、 校長先生がなかなか変わらない今までの中で、先生のような、教育を現実的にしようと思うということ、どういうふうに進めて、考え方、共感者を増やすってことは今お話されましたけれども、具体的にどういうふうにちょっとしていければ、 足元から、草の根からですね、していけばいいかなっていうところも教えていただければと思います。

工藤先生:
ありがとうございます。一言で言うと、 とても難しいですよね。現実はとても苦しんでいますよね、皆さん。日本中そうだし。その理由はっていうと、今日の講演の通りなんですよ。
日本っていうのは、民主主義をやっぱり教えられないと。元々文化としてないわけですよね。

ヨーロッパは自分たちで、民主主義とイデオロギーは、ギリシャの時代から、もう、その、考え方はあったし。
ただ、なぜかって、ヨーロッパは地続きでずっと争いごとして殺し合ってきたから、その反省のもとに、だんだん、イデオロギーが変わってきたわけですね。
今1番その世の中を救っていく方法は、多分民主主義っていう方法なんだろうってこと。そこのベースに立って、今先進国があるわけですけど、その歴史を日本はこれから自前でやってくってわけですけど、まず、民主主義っていうことを、 民主主義って言葉を使わずに、民主主義を喋れる人をどれだけ増やすかです。今日僕が話したのは、その一部です。ですから、子供たちに民主義を教えようって本を書いたのも、なんとしてもこの考え方を日本中の教員たちに知らしめたかったからですね。当事者を作っていかないと、将来的にこういう子供たちが救われないってことになりますよね。まず制度的に考えた時に、不登校って言葉もそうなんですけど、不登校って、概念がない国もあるんですよ。例えば、この間、僕、デンマークのある方と対談をさせてもらう機会がありました。そのデンマークの方に不登校って概念あるんですか。ったら、いや、そんな言葉もないし、そもそもないと。ま、いろんな学校に通えるようになっていると、
やっぱ勉強って、そのものがとても苦手だし、好きじゃない子もいて、 そうだとすると、そういうタイプじゃない学校に通える制度を作ってる、ってのがデンマークだそうですね。例えばアメリカだったら義務教育って考え方はありますけど、就学義務ってのはないんですね。学校に通わなければいけないって義務がないので。ホームスクーリングでうちで勉強していても誰も責められないですよね。それだから、文化とか法の問題ですね。
日本は就学義務があるし、ドイツも就学義務があるって言いますかね。でも、ドイツでは多分不登校ってことがそんなに問題にならないんじゃないでしょうかね。
世界で不登校が問題になってんのは日本と韓国ぐらいじゃないかなと思うんですけど、そういった考え方そのものもやっぱり変えていく必要があるってことですね。
横浜創英にも、小学校時代にずっと不登校でしたとか、中学校時代も不登校でしたって子が受験して入ってきますし。
その子供たちにはまず、不登校が何にも問題ないよってことから教えていきますね。例えばですね、学校来れないっていう子が、小学校時代も来れなくて、うちに来てもなかなか来れない子がいますが、必ず保護者の方とか子供たちと、僕は全員と面談をしています。これ、麹町の時もそうでした。全ての子供を最低でも学期2回以上。
それは個別です。頃に応じてあります。最初に教えていくことは、今僕が話したように、不登校なんてなんでもないのよ。 全然オッケーだよ、何も困らないよって教えなきゃいけないんですけど、多くの不登校の子どもたちが苦しむのは、不登校は人生が終わっちゃうんじゃないかっていうような変な脅しみたいなものがあるからですね。
例えば、不登校だったら、いや、進学できなくなるよとかですね。それから、いや、人との関わりが減ってしまって、 人間が偏るよとかですね、変なこと言うわけですよ。そんなことはありませんよね。それは、勝手にそうなる可能性がありますよってみたいなこと言っているかもしれないけど、

全然そうじゃないですよね。例えば大学、僕は必ず中学生にも高校の不登校の子にも言いますけど、 いや、大丈夫よって、学校来なくたって、いや、学校でやめたって大丈夫だけど、例えば、大検ってあるじゃないって、こう、高等学校卒業等資格試験ってありますけど、 あれって満16歳になったら受けることができて、1年間に2回ぐらいテストがあるんです。国のテストがあって、8科目分ぐらい取ると大学受験できるよって言います。例えば、高校1年生で、どうしても病気で学年が上がれなくて、病気のために休学をせざるを得なくて1年留年したとしますね。
この子にとってはショックかもしれないけど、大検取れば、みんなと同じ年で受験できるわけ。18歳で受験できますよね。
だから、例えば高校1年生でも高校2年生でも、大学受験っていうのは、18歳になったら、とりあえず日本の法律は18歳の年で受験できるので、
そういうことができると、例えば、高校1年生で、1年生はとりあえず頑張って1年間終わった、2年生になりましたって言うと、 1年間終了しているんだから、2年生になると、体験の科目数って8科目中、多分1科目ぐらいしかもうないんですよ。
1年生終わっちゃうと、もう7科目分ぐらい取ったことになっているので、いや、高校2年生になったら、学校辞めたっていいんじゃないかってみたいな話もするし、
全然大丈夫な話をしていくんですね。何にも問題ないよって。ただ、中にこんな子がいました。
あ、そうなん。それを聞いてまず驚いたわけですよね。で、驚いた子供が、でもやっぱり学校来ないと勉強できないんじゃないですかとか?っていうわけですね。で、僕はそれで、いやいや、 例えば今ねって、僕、40年ぶりぐらいで英語の勉強始めたんだってさ、あの、去年ぐらいから。で、ちょっと皆さんに見えますかね、僕のスマホの中に英語の勉強のアプリが入っているんですね。
1つはリオリンゴっていうソフトで、1つはタンザっていうソフトで、それからgoogle翻訳と、あとチャットGPTが入っているんですけど、 これあったら先生いらないよって。発音も、自分の発音もそうだし、ヒアリングもできるし。英語の文章って、なんかわかんないのがあったら、
チャットGPTに聞くと色々教えてくれるよって。いや、この間もね、あの、lieっていう単語あるじゃないって。lieって嘘をつくっていうのと、横になるってあるでしょ。
なんで同じ綴りで同じ発音なんだろうと思って、チャットGPT に聞いてみたんだよ。そしたら、チャットgptが教えてくれたんだなって。
これ、語源が元々違うのがたまたま一緒になっているだけなんだよねって教えてくれて。こんなこと教えてくれないじゃん、先生たちって。教えられる先生もいると思うんですけどね。
例えば、on my ownとby myselfって言って、どっちも1人でってあるけど、by myselfの場合にこのニュアンスの違いって教えてっていうと、チャットGPTが すごい詳しく教えてくれて、で、by myselfは単純に1人でだけど、on my ownだったら自分の意思があって何かをやり遂げるみたいな感じだよとか、 そういうことを、教えてくれたりするんだ。たら、その子また驚いて、そうかって。
勉強は、教材と方法さえわかれば、勉強が自分でできるのかって。みたいになっていくわけですね。我々は勝手に 問題を作っているんですね。大人が問題だって言わない限り子供は問題だと思わないのに、 我々はその問題をわざわざ大きくしていくってことをやっていると。だから、それを解いていく作業がとても大事だと思いますね。

あの答えにはならないのかもしれないんですけど、今みたいな考え方。だから、今日僕が講演した話は、 やっぱきちんと日本中に浸透していくまでには相当時間がかかると思います。ただし、チャンスがあると思うんですね。去年なんか、今日も僕はあの、オンラインでやっていますけど、去年1年間で公演した数は117回やっています。で、日本中でいろんな動きがあって、例えば、今日の公演を自治体全部の教員がいっぺんに聞いてる自治体もあります。ちょっと名前出すとあれになるかもしれないですけど、 兵庫県にもあるし、大阪にもあるし、それから岐阜県にも静岡県にも、ま、いろんな自治体、自治体で、 小中学校全員をですね、今日みたいに、今、皆さんは会場とオンラインですけど、すべての小中学校の会議室に全員を集めて、僕の話を一斉に聞かせてくださいっていう教育委員会とか校長会があるんですね。
そうすると、100人レベルで僕の話を今日聞くわけですよ。そしたら、この続きが聞きたいっていうので、2回目、3回目って、多いとこでは3回やっている自治体があります。
で、この続きはっていうと、さっきのリハビリの部分ですね。

従来の教育を受けても、やる気を失ったり、不登校になってしまったり、または喧嘩のトラブルの解決の仕方知らなかったり、やる気を失った子供たちを復活させる方法とか、またはトラブルになった時にどんな声がけをすればいいのか、 また、保護者にはどんな話をすると保護者は味方になってくれるのかとか、そういった講演をしてる自治体もあります。日本中のあちこちで、今、本当に本質的な教育改革が始まってるんですね。
例えば岐阜県の教育委員会は、今、横浜創英たった1校の、うちの学校と協定を結んでいます。岐阜県で、横浜創英と連携したい学校はあって、わざわざ教育委員会が手を挙げさせてくれました。

中学校が4校手上がって、高校が2校手上がって、その6校に、我々は5月からずっといろんなノウハウを、 お伝えする、伝えている作業もしていますから。今日ご参加の方々がこの地域にいらっしゃると思うんですけど、 ぜひ、なんかキーマンですね、例えば教育委員会のキーマンとか校長会のキーマンとか、そういった方々が、一歩でも動く、例えば僕の講演から始めてもいいんですけど、何かそういうところから始めて意識を変えていくって作業をすれば、 ま、同一性の国なので、もしかすると一気に、オセロの駒がひっくり返るように日本中の教育が変わっていく、 そういった可能性を秘めた国だなと僕は思っています。是非頑張って行きましょうっていうかね、一緒にやっていければと思います。


工藤先生:
はい、ありがとうございます。じゃあ最後に1人だけもしあればいいですか。


質問 参加者3

工藤先生、ありがとうございました。多賀町に住む、0歳と4歳の母です。失礼ながら、今日初めて工藤先生のお話を聞きまして、大変感銘を受けました。生まれたばかりの、子供たちの、主体性を失わない、育ちを、助けていきたいなと思っています。
私は、何から勉強していこうかなっていうのを考えています。それから、先ほどのお話に続くと思うんですけれども、工藤先生に、また、多賀町、滋賀県で講演をしていただきたいなと思っていますが、可能でしょうか。以上です。工藤先生:
そうですね、1つ目の質問っていうのは、何をしたらいいかってことでしょうか。何から始めたらいいかってことなんでしょうかね。
ちょっと1つ目の質問がよくわからなかったんですけど、
そうですね。よくわからないですね。僕どうした方がいいっていうのはなかなかわからないですけど、やっぱ子育てって難しいですよね。自分の子供を育てるのも難しいと思いますよ。時々思い出しては、 最上位ってなんだろうって。あ、この子独り立ちさせんだなってああだこうだ言いたくなるけど、我慢しなきゃいけないし、どうやって褒めようかなって思う時に、褒めるっていうか。その、勝ちづける時にも、なんかついつい1等賞取ると1等賞でよかったってみたいな感じの褒め方しちゃうんですけど、 それって全然育ちにならないですもんね。むしろ、結果を褒めないで、プロセスを褒めるっていう習慣をつけなきゃいけない。頭でわかっていても、これ、 あの、変な話ですけど、人のお子さんというかね、預かっているお子さんたちのたのためには、とてもこう、意識をしてプロとしての仕事ができるんですけど、息子たちには本当にそんな教育ができたかなっていうと、全然違いますもんね。やっぱり感情的になって、ついつい変なこと言ったりとかもしているし。
ま、うちの息子たちは、もうすでに、上も37で、下も、33か4かな、 もう、随分大人になったので、恨んではいないと思いますけどね、

そんな感じですかね。で、後者の方ですけど、後者はですね、今日は、また、長さんの、いろんな、あの、ま、担当者のお話を聞いて、ま、 あの、とりあえず、きっかけ作りとして、やりましょうって、 1人でも2人でも、ここに学校関係者とか、教育か、教育委員会関係者がいてくれると嬉しいですよねってぐらいで、今はこういう形の講演は、僕は基本的に断っています。なんでかというとですね、例えば、教育委員会が、 僕の講演を開きますって、希望者集まってくださいっていうと、僕を好きな人が集まるんです。で、僕に対して好感を持っている人たちだけが集まるわけです。
その人はまた刺激を受けて学校に戻るんですけど、何も変わらないんですよね。なぜかというと、対立軸ができてる。全く考え方の違う先生方と、ますます対立軸が深まったりするんですよ。対立が深まったり、 何にもいいことないんですね。で、やっぱり対話の技術がとても苦手だからです。敵味方になっちゃうっていうか。
僕が校長でいつも心がけてんのは、例えば、僕の考えを受けて、あれをやめたい、いや、これは始めたいってみたいな先生がいたとします。従来の、先生方が中には、いや、それはダメだよって、うちの伝統だし、それをなくしたらいけないよっていう人が、 そうすると感情的になりやすいんですけど、僕は必ずどっちにも、新しいことをやろうとする人たちには特にいますけど、怒って、 これやめちゃいけないって君らに反対する人たちも、実はねって、よかれと思って言ってんのよ、って。この学校のことが大事で言っているわけだから、
1回そこだけ考えたら敵でもなんでもないのよ。ただ、うちの学校にはまだ、一致する上位目標、例えばうちで言ったら、自分で考えて行動するっていう、その子供を育てよう。多様性を受け入れて、 会話ができて、解決できる子供にしよう。この2つの目標を掲げたのは2年目からですね。で、これがきちっとこれ全員の目標だからね。
で、これを実現する方法で出たら、僕は全部ゴーサイン出すからって教員に全部言いました。でも、対立が起きたら必ず1番上の目標に沿って、今まではこれが課題だったから、それを解決するために新しいアイデアを出した。 でも、新しいこの案は、当然、ハレーションおきたり、副作用があるかもしれない。
でも、その副作用も覚悟してやってみて、もしうまくいかなかったら戻してもいいから、とにかくやってみようよっていう、そういう風土っていうのかな、

そういう空間を作っていくことが大事ですね。ですから、もし、多賀町さんが、やりたいっていうんであれば、 今度は教育委員会さんとか校長会さんとか誰か本気になってくれる人がいて、 全教員に聞かせたいんですって言ってくれれば、したいと思います、この続きを。いや、前回参加してない人は1から聞かなきゃいけないし、いや、続きを聞きたい人もいるし、もう講演会にならないんですよね。
だから、ぜひ、そんな動きを皆さんでしてもらえて、みんなが参加できるようなものを、もしやってくれるんだったら、もちろんやりますので、よろしくお願いします。

司会:
ありがとうございました。ちょっと時間が来ちゃったんですけども、先ほど質問が出た、校長先生の話もありましたが、1番最初に工藤先生が書いたこの本の中に、 工藤先生、小さな学校を作るっていう 話がちょっと後半になったと思うんですけど、多分10年以上前にコミュニティースクールっていう考え方があって、それで、あの小さな学校を作るっていう理想がここに書いてありまして、まさしく、私どもは、今やってる活動の中でこういう学校を作ってもらえると何もかもうまくいくんじゃないかなというふうに思っておりました。
今日お願いしたっていうことがあるんですけど、実際に、先日福島県の大熊町立学びの舎 ゆめの森っていうの知っておられますかね。あ、何人かおられるみたいですけど、あの認定子ども園と小中高校はなかったんですね。小中学校までが一緒になっていて、図書館が真ん中にあって、 地域の人も、年齢も関係なく、みんなで学べるっていう場所があるんですけど、多分、工藤先生もそういう学校を作ろうとおっしゃっていたのかなっていうこともありまして、そういうところも、ちょっとずつ実現してきているっていうこともあります。工藤先生の本ばっかりですけど。さっき、文科省はどうだこうだっていう話がありましたが、こういう本を出されていまして、 これが、あの合田さんっていう文部科学省の調査官でしたっけ、政策局の職員の方なんですけども、

工藤先生:

今、文化庁の次長やっていますね。だから、事務方のトップですね、
司会:
もうめちゃくちゃ、偉いさんなんですけど、その方が、工藤先生と、今日はご紹介なかったんですけど、大阪の、みんなの学校で有名になった木村先生と一緒に、対談されたものがあるんですけど、もうまさしく文化庁が、工藤先生、木村先生の学校感を広げたいということで、国が押している政策でもあります。残念ながら、あの麹町学校が先生がおられなくなって、PTAの会長さんがすごく困っておられまして、 次に入ってこられた校長先生が真逆のことをまたやられかけたということで、ゼミで一緒に喋らしてもらったんですけど、なかなか先生のお話にもありましたように、うまいこといかないというのが現状かもわかりませんが、少しでもこういう考え方というか、地域を広げていきたいということで、本日は無理やり工藤先生に何回かメールでお願いしまして、 受けていただいたという経緯はございます。

工藤先生のお話、ほとんどYouTubeで、公開されているいくつかのやつを、合わせると7割ぐらい 資料があり、うちももし可能であれば公開したいなと思うんですけども、もう1回そういうのは見ていただいたりしながら、少しずつでもいいので広がっていけばいいかなというふうに思っております。
工藤先生、本日はありがとうございました。
これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

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