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入学式と、父の眉間の深いシワ

私の父はやっかいな人だった

20年ほど前に亡くなった私の父は、とてもやっかいな人だった。傲慢で自分勝手でワガママで、でもどこか可愛げがあるので憎みきれないというか。例えていうなら、故・石原慎太郎さんに近い・・・かもしれない。テレビでお見かけすると、傍若無人な物言いに少し父を思いだしたりした。

父との思い出は、いいことも悪いこともたくさんあるのだが、この時季になると小学校の入学式を思い出す。

当時、私が住んでいたのは京都市のはずれのはずれで、田んぼと畑の真ん中に突如として現れた一戸建ての住宅地であった。高度経済成長によってぐんぐんと賃金が上昇し、購買意欲を増している中産階級に向けて、京都市が売り出した大人気の住宅地で、母と抽選会場にいったことを覚えている。当選したとき母は小躍りして喜んでいた。小学校入学の前の年に、私たち家族はここに引っ越してきた。
その住宅地からバス停7個分ほど離れたところに、これまた京都市が造った巨大団地群があった。辺鄙な場所に、数年で一気に人口が増えたのである。そのため、その団地の真ん中に新しく小学校が造られた。私は、家からはかなり離れたその小学校に入学することになった。

入学式の朝、父はいきなり「わしが行く!」と言い出した

入学式の日の朝、父は突如として「わしが入学式に行く!」と言い出した。今でこそ、小学校の入学式や卒業式は両親揃って参加するのがあたりまえだが、私が子どもの頃は母親だけが行くのが普通であった。まだ、働くのは父親、家庭のことは母親にという時代である。
なぜ急に「行く!」と言い出したのか、きちんと理由を聞いたことはない。私が初めて通う学校を、見ておきたかったのかもしれない。
母は驚き、「父親が入学式に行く家なんてあらへんで。私が行く!もう用意もしてるし」というようなことを言って父を止めようとしていたが、人の言うことをきく父ではない。私は、よくわからないが母の様子を見ていると、父が来るのは恥ずかしいことではないのか?と思い、暗澹たる気持ちになった。
しかも、母が入学式のために用意した新しいワンピースは、どこかで誂えた上等らしいのだが地味な茶色で、私はものすごく気に入らなかった。これを着ると思うだけでも嫌なのに、さらにやっかいなことが持ち上がるとは。しかし、抗う術はない。気に入らない茶色のワンピースを着せられ、私は父と家を出た

母親たちしかいない入学式で、父は一人眉間にシワを寄せて立っていた

小学校は遠かった。
大人の脚で30分。小学1年生の子どもの足ではゆうに45分。しかも、当時は舗装されていない道も多く、上り坂も下り坂もあった。
父はみるみる不機嫌になっていった。「なんで、小さい子どもをこんなに歩かせるんや」と、いま思えば私が不憫で腹が立ってきたのだとわかるが、当時の私は「パパが怒ったはる」とメソメソした気持ちになっていたのである。

学校に着くと、やはり保護者は母親たちしかいなかった。父親は父だけで、私たち親子は好奇の目に晒された。ものすごく居心地が悪い。入学式の喜びにあふれた表情のお母さんたちの中で、にこりともせず眉間にシワを寄せて立つ父はただただ浮いていた。校庭に桜は咲いていたのか、なんの歌を歌ったのか、式のことは何も覚えていない。覚えているのは、父の眉間のシワだけである。

入学式の記念写真には、コロコロとしたおばさんたちに混じり、背筋を伸ばし、眉間にシワを寄せ前をにらみつけている父と憂鬱そうな表情の私がいる。父は背が高いので一際目立っている。母親たちは、みんな着物を着ていた。写真を見ると、私の子どもの頃って昔だったんだなあと思う。

式が終わり学校を出ると二人とも少しホッとし、手を繋いで帰った。それだけのことだが、忘れられない。4月になると必ず思い出す。


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