田口まこ

フリーのコピーライター ふと口から出た言葉、耳にした、目にした言葉へのちょっとした思い…

田口まこ

フリーのコピーライター ふと口から出た言葉、耳にした、目にした言葉へのちょっとした思いを書いていきたいです。 でも、時々はそうじゃないことも書くと思います。 著書:「短いは正義」(ダイヤモンド社)、「伝わるのは1行」(かんき出版)

最近の記事

昭和の小学生、半ドンのお昼ごはん

土曜日の午後、喜びも悲しみもお昼ごはん次第 私が小学生のとき、土曜日は休みではなく4時間目まで授業があった。そんな、昼までの授業や仕事のある日を半ドンと言ったのだが、週休2日制のいま、その言葉はもう絶滅したのだろうか。ところで、半ドンのドンって何だろう? それはさておき、土曜は給食がなくみんな家に帰ってお昼ご飯を食べた。私は小さな頃から寝起きが悪く、いつまでも布団の中でぐずぐずしているので、いつも朝ごはんを食べずに学校へ行っていた。お昼にはお腹がぺこぺこなのである。 そんな

    • 入学式と、父の眉間の深いシワ

      私の父はやっかいな人だった 20年ほど前に亡くなった私の父は、とてもやっかいな人だった。傲慢で自分勝手でワガママで、でもどこか可愛げがあるので憎みきれないというか。例えていうなら、故・石原慎太郎さんに近い・・・かもしれない。テレビでお見かけすると、傍若無人な物言いに少し父を思いだしたりした。 父との思い出は、いいことも悪いこともたくさんあるのだが、この時季になると小学校の入学式を思い出す。 当時、私が住んでいたのは京都市のはずれのはずれで、田んぼと畑の真ん中に突如として

      • その「貫禄」、「落ち着き」は、疲れ?

        いくつになっても「貫禄」というものが身につかない。何十年もコピーライターとして働いているが、ベテランという言葉が本当に似合わない。存在に重みがなく、フワッと軽い。 存在が重々しい人は、口も重い。打ち合わせなどで、重々しい人がたまに発する一言は周りをハッとさせ、なるほどーと唸らせる。 しかし、私のようなお調子者は口を閉じていられない。ペラペラとしゃべると言うが、まさに発する言葉が紙のごとし。あー軽い。「参加してもらうと、打ち合わせが明るくなって楽しいです!」などと言われて喜ん

        • 東京マラソン沿道で出会ったモンクレママ友グループに、熾烈という言葉が浮かぶ

          ママ友4人全員モンクレールのダウンコート きのうの午後、用があって銀座に行ったら、ちょうど東京マラソン真っ最中であった。スター選手はゴールした後で、市民ランナーの皆さんが楽しそうに走っていた。沿道は応援の人で賑わっていた。 その中に、小学1年生くらいの子どもを連れたママ友4人組の姿があった。この中の誰かの夫が走っているのだろうか。それはまあどうでもいいのだが、そんなことより、4人とも着ているのがモンクレールのロングのダウンコート。うわあ、友だち付き合い大変そうー。思わず、熾

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          ”荒れた唇は恋を失う”aikoの歌が聞こえる花粉の季節

          失う恋は無いが、唇は荒れる 抜けるような青空の下、ビュービューと吹き荒ぶ北風に吹かれ花粉に塗れていると、aikoの歌が聞こえてきた。ような気がした。 特に失う恋はないが、唇が荒れる季節がやってきたのだ。 そう、花粉症のせいで鼻の下から唇にかけて荒れまくる季節が。鼻をかみすぎて荒れるということもあるが、花粉の時季になると唇が赤く腫れて皮が剥ける。これはつらい。 唇にハチミツ しかし、思えば、荒れた唇とは長い付き合いになる。小さな子どもの頃、冬になるといつも乾燥で唇の皮

          ”荒れた唇は恋を失う”aikoの歌が聞こえる花粉の季節

          「明日やろうはバカやろう」を思い知る、確定申告

          イヤなことが今日できない 事務仕事が嫌い。とことんやる気になれない。ずっとほったらかし。なので必然的に確定申告のこの時期になると、シクシクと泣きながら1年分の領収書をパソコンに打ち込まなければいけないのだ。毎年思う、せめて1ヶ月分ずつやっておけばと。 他のことは、割とマジメにきちんとやっている。小心者なので、仕事の締め切りは破ったことがない。人との待ち合わせにも遅れない。でも、苦手な事務仕事はついつい先延ばしにしてしまうのだ。 「明日やろう」、そう心の中でつぶやいてそのま

          「明日やろうはバカやろう」を思い知る、確定申告

          「らしく」と「くせに」はこの世から無くなるか

          令和の学校は、ジェンダーバイアスを無くしつつあるらしい ジェンダーバイアスを無くすために、学校で「女らしく」や「男らしく」という言葉を使わないなどの取り組みが進められているそうだ。良いことだと思う。 私は両親から「女らしくしなさい」とか「女のくせにみっともない」などと言われた記憶が無い。これには感謝している。 小学生の頃から格闘技を見るのが好きで、当時は毎週テレビで放送されていたプロレスやボクシング、キックボクシングなどを欠かさず見ていた。額を割られ血まみれになりながら、

          「らしく」と「くせに」はこの世から無くなるか

          我こそは!と前向きに

          マーメイドラインのウエディングドレスに武士道精神を見た 少し前、結婚式場の仕事をさせていただいた。そのときに、ウェディングドレスを見せてもらう機会があった。どれも白く輝き、晴れの日を飾るにふさわしい美しいドレスばかり。 中でも一際目を引いたのが、マーメイドドレスと呼ばれる、体にピタリと張り付いてボディラインを見せつけるドレスである。背中が大きく開き、胸元もグンと強調、キラキラとまばゆいばかりの、そうビヨンセが着そうなドレス。 「わあ、ゴージャスですねえ。素敵だけど体の線も

          我こそは!と前向きに

          「生きてる」と「死んでない」の違いって

          中国のおばあさんの言葉にうなずく 去年のことだが、テレビで”月曜から夜更かし”を見ていたら中国ロケをしており、どこかの公園にいた痩せたおばあさんが「長生き?もう、生きてるっていうより、死んでないだけだよ」と言って大笑いしていた。 さすが人生の達人は上手いこと言うなあ。「生きてる」も「死んでない」もどちらも生存しているという意味では同じなのだが、ふたつの言葉の間には深い深い溝がある。「生きてる」は自らの意思と力で生きており、「死んでない」は自分の意思とは別に残された命を全う

          「生きてる」と「死んでない」の違いって

          オムツをはきこなす

          フェスでオムツは便利らしい ありがたいことに、30年以上コピーライターの仕事をさせていただいている。ずーっと化粧品が仕事の中心で、これはこれで大好きな分野なのでうれしいことなのだが、もう少し新しい商品にも手を広げたい。これからを考え、できれば同年代やもっと上のシニアの皆さんに向けての商品、そう例えばオムツとか。 そんな話を、年下の同業者の友達にしていたら、「私はオムツをはいたことがあるよ。すごく自由だよー」「ロケの時とか、若い人でもはいてるらしいよ」「フェスの時もいいんだ

          オムツをはきこなす

          「バーキン買うなら豊胸しろ」というコピーを見たが

          ごめんなさい。私ならバーキンを買います。 高速を走っていてふと窓の外を見たら、ビルの谷間に「バーキン買うなら豊胸しろ」と書かれた美容整形を呼びかける大きな看板があった。なるほど、バーキン1個分の値段で豊胸手術が受けられるのだなと納得し、キャッチーなコピーだなと感心した。わかりやすいし、何より記憶に残る。 だが、長い人生経験を経た今、もし、豊胸かバーキンかと迷っているお若い方に助言を求められたなら、「バーキン買っとけば」と言うだろう。いや、もちろんケースバイケースなので、切

          「バーキン買うなら豊胸しろ」というコピーを見たが

          主人、旦那、夫どれもしっくりこないのだが

          結婚して何十年も経つが、いまだに人と話しているときにこの相方のことをなんと称していいのかわからない。これについては非常に困っている。 まず、「主人」は絶対にない。なんだろうこの上下関係が歴然とした嫌な言葉は。「主人」の対義語は、「主婦」「奥様」「家内」などらしい。どれも女の人は家にいることが前提の言葉である。それに、「主人」の対義語って、やっぱりどう考えても「使用人」だろうと思う。昔の言葉なので怒っても仕方がないが、結婚相手のことを呼ぶ名称としては、もうそろそろ完膚なきまで

          主人、旦那、夫どれもしっくりこないのだが

          「くだらない」は悪くない

          「くだらない」の後ろには肯定文がつけられる 先週、小泉今日子さんがバラエティを「くだらない」と言ったことが話題になっていた。賛否両論さまざまな意見があったが、わたしがまず感じたのは「くだらない」ものって悪くないよねということだ。 関西出身なので、小さい頃からテレビで大量のお笑い番組を見てきた。何しろ私の子どもの頃は、土曜日曜の午後は吉本新喜劇や漫才をはじめお笑い番組しかやっていなかったのだ。そのせいもあって、今でもバラエティ番組はよく見る。そして、そのとき思うのが「くだら

          「くだらない」は悪くない

          アウトオブ眼中と言ってしまった

          そのとき、わたしは死語の世界に沈んだ。 それは、オンラインで仕事の打ち合わせをしているときだった。 わたしは、「そのアイテムはアウトオブ眼中だったよー」と、なんの衒いもなく口にしてしまったのだ、とてつもない昭和死語を。 40代後半以降の人は、「わー、久しぶりに聞いた」と軽くウケたフリをしてくれたが、他の人々は無言であった。 知らないから。そんな言葉。 ここ10年くらいでいちばん恥ずかしかったー! わざとではなく、ごく自然に口から出たことは否めなく、 それが余計に恥ずかしい。

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          余計なお世話なのよ、老人向けのバナー広告

          施設に入っている89歳の京都の母と電話する。 「元気?」と聞くと「元気やで」と必ず言う。 「毎日黙ってても、ごはんは3食食べさせてもらえるし、 掃除も洗濯もせんでええし、結構な暮らしや。 楽しいことは何にもないけどな」と、これも必ず言う。 まあそうだろう。 6畳ほどの部屋で、テレビを見ているだけの毎日だ。 変化のない毎日は、さぞ退屈だろう。 コロナ感染が広がってからは、 私もなかなか会いに行けない。 行っても、面会は会議室で30分と決められている。 いっしょに部屋で食事をする

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          猪木ボンバイエ

          それは、突然だった。 晩ごはんを食べながらぼんやり見ていた テレビの中に、老いて痩せ細ったアントニオ猪木が現れたのだ。 その変わり果てた姿は、 私の知っているアントニオ猪木とあまりにもかけ離れていて、 思わず箸を落としてしまった。 夜7時のニュースの後の特番だった。 100万人に数人という難病を抱えて 闘病する猪木を追ったドキュメンタリー。 猪木は、もう79歳だという。 私は昭和のプロレスが大好きだった。 プロレスは、試合展開と リング外での情念の物語がとても重要で、 猪木

          猪木ボンバイエ