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「らしく」と「くせに」はこの世から無くなるか

令和の学校は、ジェンダーバイアスを無くしつつあるらしい

ジェンダーバイアスを無くすために、学校で「女らしく」や「男らしく」という言葉を使わないなどの取り組みが進められているそうだ。良いことだと思う。

私は両親から「女らしくしなさい」とか「女のくせにみっともない」などと言われた記憶が無い。これには感謝している。
小学生の頃から格闘技を見るのが好きで、当時は毎週テレビで放送されていたプロレスやボクシング、キックボクシングなどを欠かさず見ていた。額を割られ血まみれになりながら、卍固めをキメるアントニオ猪木を凝視しつつ晩ごはんを食べる私を見て呆れてはいたが、親から「女の子のくせに」というようなことは一切言われたことはなく見放題であった。本当にありがたい。

昭和の学校は、「らしく」と「くせに」だらけであった

しかし、昭和の学校生活は「らしく」と「くせに」に支配されていた。
まず、女色、男色というものがある。ランドセルは、例外なく女子は赤、男子は黒。筆箱や鉛筆、手提げカバン、持ち物すべてが、女子は赤やピンクの暖色系、男子は青や黒の寒色系であった。
小学生のとき仲良くしていたさとみちゃんは、「さとみ、ランドセル黒がよかってん。でも絶対赤やないとあかんて言うて買ってもらわれへんかった」といつも嘆いていた。今なら。黒でも紺でも茶でもなんでもこいだ。

おしゃべりな男子は「男のしゃべりはみっともない」と先生に叱られていた。当時から関西では、小学生であっても笑いこそ正義だったので、明るくおしゃべりな男子は人気があったのだが、先生の脳内は「男は黙ってサッポロビール」(50歳以上じゃないとわからないですね。昭和の名コピーです)だったのである。

「男のくせに」の裏には「女じゃないんだから」という言葉が透けている

子どもたち自身も、「らしく」と「くせに」に縛られており、女子グループに男子が1人混じって話していると、「女の中に男がひとりー♪」と囃し立てられる。男子が赤色の服を着ていると「女色ー」といじめられ、泣くと「男のくせに泣いてるー」とバカにされる。

昭和のテレビアニメには、「男のくせに卑怯なやつだ」「男らしく正々堂々と戦え」「男は泣くもんじゃない」などというセリフが随所に見られた。男というのは、やたらと立派な態度でなければいけないようなのだ。いいことのようだが、その「男のくせに」の裏には、「女じゃないんだから」という言葉が透けて見える。

「泣くな」「しゃべるな」「堂々としろ」など。子ども時代はどちらかというと、立派であることを求められる男の子の方が過酷だったかもしれない。
しかし大人になると、「男らしく」と言われて育った男子が支配する男社会が待っており、「女らしく」地獄が始まるのだ。昭和OLの生きづらさについては、またの機会に!

「らしく」や「くせに」は、やっぱりいらない。





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