見出し画像

マリオでクリアしたかった親子の関係

我が家は、世間のトレンドに合うまで時間のかかる家らしいと今なら言える。ただ、当時はこの「遅さ」がとにかくコンプレックスだった。

近くに住んでいた父方の祖父母からのプレッシャーのためか、母の教育は世間体を第一にしていて、「クレヨンしんちゃんは下品だから」、「ドラゴンボールは表現やセリフが残酷だから」、「コーラや炭酸飲料は身体に悪いから」、そうテレビや雑誌が言っているから禁止されていた。友達の家に遊びに行って、うつむいて帰ってくることの多い子供たちを見てそれは徐々に軟化していき、ドラゴンボールGTで親子揃って主題歌ミュージシャンにハマるのは以前も書いたとおりだ。

この親からの、特に母からの禁止項目の中でずっと長く続いていたのがテレビゲームだった。90年代中盤、時はスーファミ全盛期。現在愛してやまないクロノシリーズやドラクエシリーズを、僕はリアルタイムで経験していない。友達の家に遊びに行って、友達がストーリーを進めるのをずっと横目で羨んでいた。ホイミも、ギラも、ついぞ唱えることはなかった。

そんな我が家にもゲームがやってくることになった。1996年6月、NINTENDO 64登場。そのニュースが流れた時、その衝撃を僕はいまいち捉えていなかった。うちにスーファミはいつ呼べるんだろうと、それだけを考えていたように思う(のちにプレステが覇権を得た時期に、我が家は遅まきにスーファミを手に入れる)。発売日当日に買えるよう百貨店で予約、ソフトはスーパーマリオ64を一緒に購入してもらった。

両親がなぜここでゲーム機購入に踏み切ったのか、今度聞いてみたいと思う。ただ、今はっきり覚えているのは当時弟と飛び上がるほど喜び、そしてその熱がすぐに覚めてしまったことだ。ゲーム慣れしていない僕も弟も、友達の家でも見たことのない動きをするマリオをロクに1面のボスの元まで連れていくことができない。「ゲームは1日1時間」を厳守していた我が家。毎日悔しくてテレビに映像ケーブルを3本挿し、1時間の中で全然ストーリーを進めることができない。ひと月しないうちに兄弟揃って64を出すことはなくなっていた。

友達に電話して、自転車を飛ばして公園でドロケイをする日々。ゲーム中毒にならなかった分、母親的には高い投資になったのだろうか。ただ、64は文鎮になることなく定期的に稼働していく。僕と弟が外に遊びに行っている間、土日に父親がマリオをプレイしていたのだ。父の手先の不器用さ、そして我慢弱さを僕ら兄弟はしっかり受け継いでいると思うのだが、やはりここは年の功か。父は根気強くマリオをクッパの元へと進めた。会社の行き帰りで攻略本を買い、家族の中で誰よりも早くスター120枚の完全クリアを遂げた。それが悔しくて、父を追うようにプレイした。父はあの箱庭世界を愛したのだろう。その後、マリオカートやゼルダが我が家のラインナップに加わっても、彼が64で遊ぶ時はいつだってスーパーマリオ64だった。

今回、Switchでスーパーマリオ64がリメイクされると聞いた時、自分でプレイしたい以上に父にプレイして欲しいと思った。天邪鬼な父が、子供達の前で見せてくれたキラキラとした瞳、それをもう一度見られると思った。

悪くはないけれど良くもない、最近の父との関係。羽根マリオはきっとそんな僕らの関係に一石を投じてくれる天使なのだと、今日の今日まで思っていた。つくづくと、自分の性格が何とおめでたいことか。

父の前でSwitchを見せても、何なら渡しても、父は何の反応も示さなかった。「ふーん、懐かしいね。楽しめば?」と何の温度も感じさせない言葉を返してきた。意気消沈する僕を見て、母は「そのピコピコ、うるさいから早く消してね」と追い討ちをかけてきた。意地になって、もってきたドックをテレビにつなげようとしたら、父は「おい、見る番組があるんだから邪魔するな!」と一喝し、チャンネルフリックを繰り返す。

そのうち、何となく気になる番組があったのだろう。チャンネルフリックをやめ、父はテレビを見始めた。完全に勢いを失った僕はSwitchをカバンにしまい、その番組に目をやった。「99人の壁」が、鉄道関連のクイズをやっていた。

「「海に向かって座席が回転する」」と、テレビに向かって回答している声がハモった。声のした方を向いたら、キョトンとした顔で父がこちらを見ていた。そうだった。父から受け継いだのは性格だけでなく、旅行好き・鉄道好きなところもあったのだ。

ここから、父と回答合戦が始まった。やいのやいのと声が弾むのを聞きつけて、母も近くにやってきた。もしかしたら、両親と同じ番組を楽しんでいたのはこれが初めての経験だったのかもしれない。佐藤二郎さんの軽妙な番組まわしと伊集院光さんのワンポイントコメントが光り、「そうなんだよね!」とか「いや、これは昔は...」とか、話題がどんどん広がっていく。マリオで見たくて、でも見ることができなかった目を、ここ数年見ることのなかった表情を父がしている。母がしている。共通の記憶で気持ちを上げようとしていた僕の目論見は、こうして達せられた。瞬間的に。刹那的に。

マリオ64なら、上がり目の見えないこの関係に風穴を開け、そしてしばらく風通しを良くしてくれると信じていた。まるで『光のお父さん』のように、ゲームが親子をもう一度つないでくれる。そんなことを夢見ていた。どうやら僕はマリオ64を初めてプレイしたその時のように、最初の面で足踏み状態に入ってしまったようだ。

でも今度ばかりは、プレイヤーに代わりはいない。どうしたものか。


この記事が参加している募集

自己紹介をゲームで語る

全力で推したいゲーム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?