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【短編小説】魚の怨念

今日は西麻布の寿司屋に来ている。

経営者仲間の飲み会にたまたま来ていたモデルのエリナと食事の約束を取り付けた。俺に興味を持ったからというよりは、「お寿司が好き」と言っていたので、寿司の誘惑に負けた方が近い。やはり「今度、食事に行きましょう」となんとなく声をかけるよりは「お寿司が好きなら、今度美味しいお寿司を食べに行きませんか?」の方が行きたくなるのだろう。俺は寿司に感謝した。

俺は8年勤務した広告代理店を辞めて、独立して5年が過ぎた。会社がようやく軌道にのって来て、金銭的にも余裕が出てきた所でエリナのような派手な女性と出会うなんていかにもで嫌なのだが、たまたまタイミングがあっただけだ。

西麻布の寿司屋はこぢんまりとした店舗だが、木製で統一された小綺麗な店内はデートの雰囲気としては悪くない。店内には、裕福そうな男性と妙齢な派手めの女性との組み合わせが多い。いかにも西麻布っぽい。

俺の隣に座っているエリナも現役のモデルということもあり、かなりの美人だ。ちなみに何のモデルなのかは知らない。

お通しでマグロの目玉の煮付けが出てきた。食べてみるとトロトロで柔らかくて美味しい。俺ははじめてだったが、エリナは食べたことがあるようで特に驚きもせずに美味しそうに食べている。

「エリナさんってお寿司屋さんにはよく来るの?」

「お寿司は好きでよく来ます。私は肉よりも魚派なんですよ。アジやイワシぐらいだったら自分でも捌くのですが、最近はやらなくなっちゃいました。」

他愛もない会話が続く。

「鮮魚とか生肉とか触れなそうなイメージがあるのに、自分で魚捌けるなんて意外だね。お寿司はどんなネタが好きなの?」

モデルと聞いて料理とは無縁で、毎晩飲み歩いて遊んでいるような女性を想像していたが、違ったようだ。

「普通なんですけど、ウニとマグロかな。あと、この前沖縄で食べたナンヨウブダイっていうお魚のお寿司が美味しくて好きになっちゃいました。東京ではあまり見ない魚なんですけど、沖縄では高級魚なんですって。」

「マグロいいよね。俺はコッテリした大トロが好きかな。」

ナンヨウブダイがどんな魚かわからないので、わかるマグロで共感をしてした。残念ながら俺はそこまで寿司のネタに詳しくない。中トロと大トロの違いも値段の違いぐらいしか知らない。正直、そこまで寿司には興味がない。エリナが寿司が好きと言ったから、「今度、美味しいお寿司を食べに行こう」と誘っただけだ。

ちょうどのタイミングで大トロが出てきた。

「美味しそうな大トロ!!いただきま~す」

今日はいろいろとスタンバイしてきた。既に気持ちは食後にあり、正直、寿司はどうでもよかった。実際、中トロと言われてもそうですかと言うだろう。俺は大トロを頬張り、じわっとした脂を感じたところで意識がなくなった。

☆☆☆

気がついたら、俺は大トロの寿司になっていた。今、俺の目の前にあった大トロの寿司だ。そして、俺は俺に食べられた。

俺は俺の口の中で溶けた。そして、視点がだんだんあがっていき、寿司屋の天井から店内を俯瞰していた。エリナが心配そうに俺を見ているのを上から俺が見ている。一体何がおきているのかわからない。

「かわいそうに、あんたも成仏できなかったのか。」

その時、背後から声をかけられた。振り向くと魚のような形をした何かが俺に向かって話しかけている。

「僕たちみたいにちゃんと味わってもらえなかった食材達は成仏できずに怨念となって、店内を彷徨うんだよ。周りを見渡してごらん。成仏できなかった魚でいっぱいだろ?」

周りを見渡すと魚のような形をした何かがたくさんいる。

「俺、人間だったんだけど、、、」

俺は何が起きているのか理解できない。

「ああ、あんた、食事そっちのけで悪いこと考えていたでしょ?ちゃんと味わってもらえなかった食材達は成仏できずに怨念になるんだけど、たまに食材と食べた人が入れ替わっちゃうことがあるらしいんだよ。それかなぁ。」

俺はエリナを見て食事そっちのけで考えていた"悪いこと"の正体を理解した。

「この街にはギラギラとした欲望が渦巻いていて、食事を心から楽しむ人が少ない。大トロが何なのかを知らずに食べている人も多くて、成仏できない食材達の怨念が密集しているんだ。西麻布ってたまに恐い事件起きるでしょ?それも成仏できなかった食材達の怨念がイタズラしているんだ。

最近、テキーラが狂気じみたひどい飲み方をされて、怨念を超えて悪魔になっちゃったらしいよ。それに比べたら君はまだ救いようがありそうだ。」

そう言えば、テキーラのニュースをSNSで見た気がする。西麻布を支配するちょっと危ない雰囲気の正体がなんとなくわかったが、俺はどうなるのか。

「いろいろ教えてくれてありがとう。で、俺は死んじゃったの?」

「君の欲望は可愛らしいレベルだから食材に感謝すれば戻れるはずだよ。お寿司屋さんに並んでいる魚達に感謝するんだよ。そうしないと次はもっと恐い怨念達が遊びに行くよ。」

☆☆☆

「大丈夫??」

エリナが俺の肩を揺すりながら声をかけていた。

「突然苦しそうな顔をして黙って動かなくなってビックリしたよ。体調悪い?」

「大丈夫。トロの脂が強烈で少し苦しくなったみたい。」

「よかった。そのまま倒れちゃったらどうしようかと思った。西麻布ってたまに恐い事件起こるし、何か悪いものでもいるのかな。」

「ご飯を食べた後のことを考えて、お寿司を味わうことを忘れていたら苦しくなっちゃったんだ。」

「ご飯の後のことってなに?そんなことよりも目の前のお寿司を楽しんでよ。目の前のお寿司を楽しめない人に食後の楽しい時間なんてやってこないぞ。」

「そうだね。お寿司を握ってくれた板前さんにも、魚にも悪かった。」

「私、子供の頃、お魚や牛のような動物を殺して食べることに抵抗があったの。けど、お父さんに『感謝して美味しく食べたらお魚さんも成仏して生まれ変われるんだから、大事なのは感謝して食べることなんだよ』って教えられて食べられるようになったんだ。もしかしたら、感謝の気持ちがなかったから成仏できなかった魚に怒られたのかもね。」

エリナの話はまだ続く。

「西麻布でたまに起きる恐い事件は、成仏できなかった食材の怨念が理由だったりしないかな。」

☆☆☆

締めの巻物とあがりのお茶を飲んで会計を済ませた。

お値段は西麻布プライスだが、エリナも寿司には満足したようだ。寿司屋でちょっと意識が飛んことも忘れて、二軒目とその先の展開に妙な期待感を持って店外に出た。

空を見上げると月が見えた。

「エリナさん、月が綺麗だね。」

思いがけずストレートな感想が自然と出てきた。夏目漱石で有名なこのセリフをまさか自分が言うことになるとは思いもしなかった。エリナは夏目漱石のエピソードなんて知らないだろうからあまり気にしなかった。

「あれー、もしかして夏目漱石?そうだなぁ、、、

私にとってはマグロの目玉の方が綺麗でした。」

エリナをタクシーに乗せて、俺は夜風にあたりながら少し歩いた。焼き鳥屋の煙の先にニワトリのようなものがうっすらと見えてゾッとした。

広尾の交差点まで歩き、電車に乗って家路についた。

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