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「根來寺」参詣録【和歌山県・岩出市】

根來寺ねごろじ」は、和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山のお寺です。正式名称は一乗山大伝法院根来寺興教大師こうぎょうだいし覚鑁かくばん上人が開山し、以来900年の歴史があります。境内は約350万㎡の広さを有し、国内最大の木造建築物である国宝大塔」や大伝法堂だいでんぽうどうには重文のご本尊大日如来だいにちにょらいの他ニ尊が安置されています。2019年には大伝法堂光明真言殿大門不動堂行者堂聖天堂重文指定されました。根来寺の広大な境内には7000本の桜が植えてあり、桜の名所としても有名です。今回はこの根来寺の参詣録です。🙂👍



根來寺

根來寺ねごろじ」は、和歌山県岩出市にある新(教)義真言宗の総本山のお寺です。正式名称は一乗山大伝法院根来寺。開祖の覚鑁かくばん上人が開山し 以来900年の歴史があります。境内は約350万㎡の広さ(甲子園球場約90個分)😮を有し、国内最大の木造建築物である国宝大塔」(大毘廬遮那法界体性塔だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)や大伝法堂だいでんぽうどうには重文のご本尊大日如来だいにちにょらい金剛薩埵こんごうさった尊勝仏頂そんしょうぶっちょうが安置されています。令和元年(2019年)には大伝法堂、光明真言殿、大門、不動堂、行者堂、聖天堂重文指定されました。さて、戦国時代 根來寺杉の坊算長かずなが(通称は津田監物つだけんもつ)が、九州の種子島より持ち帰った鉄砲と同じものを堺の鍛治師に製作させたのが本州最初の鉄砲と言われています。😮根來寺鉄砲をいち早く取り入れた強力な武装集団、いわゆる「根來衆ねごろしゅう」と呼ばれた僧兵集団を擁しましたが、豊臣秀吉と対立し「秀吉の紀州攻め」では大師堂大塔などの2、3の塔堂を残して 根來一山は全山焼失しました。江戸時代には主要な伽藍も再建され、東山天皇により覚鑁上人に「興教大師こうぎょうだいし」の大師号が贈られました。根来寺の広大な境内に7000本の桜が植えられており「桜の名所」としても有名で、毎年花見の季節になると多くの花見客で賑わいます。🤓


根來寺へのアクセス

■所在地
 〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286

■交通
 ◆大阪・関西空港・京都・神戸・奈良方面から
   ●阪和自動車道「泉南IC」より岩出方面へ 
    「岩出・根来インター南」の交差点を左折
   ●京奈和自動車道「岩出・根来IC」から右折
    「岩出・根来インター南」交差点を左折 
 ◆和歌山市内方面から
   ●国道24号線「備前」交差点を左折 泉南IC方面へ
    「岩出・根来インター南」交差点を右折
   ●京奈和自動車道「岩出・根来IC」から右折
    「岩出・根来インター南」交差点を左折
 ◆奈良・橋本方面から
   ●国道24号線「備前」交差点を右折 泉南IC方面へ
    「岩出・根来インター南」交差点を右折
   ●京奈和自動車道「岩出・根来IC」から右折
    「岩出・根来インター南」交差点を左折

新義真言宗 総本山 根来寺公式HP>アクセスより抜粋
自動車の場合
新大阪・大阪方面からJR線ご利用の場合
根來寺 広域略地図
根來寺の所在地


境内マップ

根來寺境内の散策には、
根來寺の公式HP>根来寺について>境内のご案内(拝観時間・入山料)
に、下記「根來寺境内 略地図」があります。

根來寺境内 略地図

また、
詳しい境内のルートマップについては、
根來寺の公式HP>根来寺について>境内ルートマップ
から下記「ルートマップ」2種類が参照/ダウンロードできます。

根來寺 山内ルートマップ

根來寺 山内ルートマップ

根來寺 中心部ルートマップ

根來寺 中心部ルートマップ


境内散策(入山受付所~大伝法堂~大塔~大師堂~奥の院)

境内図「入山受付所」付近から参拝スタートです。🙂👉

「入山受付所から橋を渡って参道へ👆🙂」
大伝法堂だいでんぽうどう(重文)/秀吉の紀州攻めで破却するも江戸時代(1824年)に再建されました。高さ18m、幅27mです🙂」
大伝法堂だいでんぽうどう/真言宗の最も大切な修法を伝え、僧侶が修行をする道場です😑」
尊勝仏頂そんしょうぶっちょう尊(左)・大日如来だいにちにょらい(中央)・金剛薩埵こんごうさった(右)いずれも重文
「坐像三尊ですが、かなりの迫力です😮」
大塔だいとう(国宝)/日本最大の木造大塔。高さ37m、横幅15m。1547年完成😮」
大塔大塔曼荼羅のかたちを立体的に具現化した建物です。初層は正方形で大地を表し、上層の円形は天(金剛界)を表しています。塔内部には大日如来像を中心に八方向に八尊像が安置されています(内部撮影禁止)😌」
大師堂だいしどう(重文)/弘法大師・空海像がご本尊。1391年建立🙂」
「大塔エリアよさらば!・・・(手前左から)大師堂、大塔、大伝法堂🫡」

・・・次は奥の院へ移動します。

「いってらっしゃい」by お地蔵様軍団😌
奥の院へ続く参道と【興教大師御廟所】の石碑🫡」
「途中目にした宝篋印塔ほうきょういんとう🙂」
奥の院根來寺を開山した覚鑁かくばん上人の御廟所ごびょうしょ(お墓)。覚鑁上人は1143年12月12日にご入滅😌」
奥の院から戻り、滝見たきみ橋を渡ります🙂」
滝見橋上から見える景色」


境内散策(本坊・寺務所~名勝庭園~光明殿~行者堂~聖天堂~鐘楼門)

続いて本坊、光明殿、行者堂、聖天堂の拝観へ・・・🙂👉

根來寺本坊・寺事務所/根來寺の寺務を統括します。ここから回廊を通って、「名勝庭園」、「光明殿」、「行者堂」、「聖天堂」を拝観できます🙂」
名草御殿なぐさごてんと名勝庭園
「名勝庭園(書院庭園)内の池」
「池の中に配置された石や島にも名前があります😮」

本坊から回廊を渡って、「光明真言殿」へ移動します。

光明真言殿こうみょうしんごんでん(重文)/通称は光明殿。1804落成🙂」
光明殿覚鑁かくばん上人のご尊像と歴代藩主・座主の位牌が祀られています😌」
閼伽井あかい/仏に献上する水を閼伽水(香水)と呼び、香水専用の井戸を閼伽井と言います😮」
行者堂(重文)/行者の行場です。【現在行者様が行法中のためご静粛にお願いします】🤫」
聖天堂(重文)/こちらもお静かに!😓(この状況で戸は開けられませんよね?)」

中から回廊を渡ってどん突きまで行きましたので、一旦外へでます。

聖天堂しょうてんどう行者堂ぎょうじゃどう光明殿こうみょうでん
聖天堂(左)、行者堂(右)

光明殿まで戻り、反対側に建つ鐘楼門から外へ出ます。(光明殿エリアよさらば!)😐👉OUT

鐘楼門/鐘楼付きの門。毎日朝6時に鐘を鳴らしています😮」
鐘楼門の前の道をどんどん下って行きます・・・」

車道へ出ま~す。🫡👉🚗🚌


境内散策(律乗院~三部権現~蓮華院~大門~茶毘所~不動堂)

境内の中心部から出て、大門方面へ向かいます。👇🙂👌

根來寺の境内から車道へ」
「桜の木がきれいに咲いています!🫡」
律乗院りつじょういん/僧侶の住坊と教学を学ぶ場であった院家(塔頭たっちゅう)の一つ。ピーク時には300余の院家が建立され、3000人の僧侶が山内で教学に励みました😮」
律乗院/学頭寺院の一つで、蓮華院と輪番で根來寺の運営を行っていました🤓」
「車道の反対側の山腹にも桜が見えます🫡」
三部権現/根來寺の総鎮守社です🙂」
「白塀沿いにも桜が・・・」
蓮華院/修行中の僧侶を指導する先生僧の住処(住坊)です🤔」
大門/根來一山の総門。高さ16.88m、横幅17.63m、奥行6mで1852年に完成🫡」
「大門の仁王像🙄

一旦、大門→根來寺の入口まで戻ります。

根來寺の入口を右折します。🙂👉」
茶毘所が見えてきました。そのお隣りの桜も綺麗・・・🫡」
茶毘所だびしょ(菩提院)覚鑁上人が荼毘に付された場所です😌」
不動堂が見えてきました・・・」
雙龍水口(手水舎)/双頭のドラゴンが水を吐いています😮」
不動堂拝殿/拝殿の裏の方に本堂(八角堂)があります😌」
春日明神根來寺守護神社の中でも特に覚鑁上人と縁が深い神様です😌」
鐘楼
洗い観音/自分の体で悪い所と同じ場所の観音様の体を束子たわしで洗うとご利益がある(らしい)😌」
不動堂(重文)/県下でも少ない八角堂です。北向不動尊の窓が見えます🙂」
錐鑚不動明王きりもみふどうおう/覚鑁上人が危機一髪の時身代わりになってくれた不動尊なのだそうです😮」
七福神の像が並んでいます・・・😌」
春日明神堂に向かって右後ろの長い石段を上って行くと・・・」
金毘羅宮/金毘羅大権現が祀られています😌」
「駐車場まで戻って来ました。」
NEKORO CAFE/白猫のNEROと黒猫のKOROがマスコットのカフェです😋(駐車場の目の前にあります)」

参拝お疲れ様でした。NEKORO CAFEでコーヒーでも一杯いかが?🤤

・・・根來寺の参詣録はここまで。


感想

根來寺は桜で有名。訪問日は3月27日とちょっと早いかとも思いましたが、それはそれ 和歌山なら気候も温暖だし そこそこ咲いてるかも?との期待とは裏腹に 満開とは程遠いパラ咲き程の開花状況でした。😓それでも根來寺の境内中心部から少し離れた大門~蓮華院~三部権現~律乗院~荼毘所辺りにはそこここと桜が咲いており、花見の雰囲気を幾分かは味わえました。😊秀吉の紀州攻めでも焼失を免れた大師堂大塔。特に大塔は国内最大の木造大塔とのことで、これだけ目立つ塔が焼き討ちから免れると言うのは不可解ではありますが、当時の豊臣軍もさすがに畏敬の念を抱いていたのかもしれません。種子島に伝来した鉄砲を最初に取り入れた根來衆の武装集団。あの信長にも一目置かれ、石山合戦では根來衆を傘下に配し共に戦っています。戦国時代強大になった根來寺社勢力が戦国大名らへ与える圧力プレッシャが無視できなくなったことは想像に難くありません。そんな根來寺ですが秀吉とは対立し得意の鉄砲隊を組んで最後まで抵抗するも、10万を超える秀吉軍の前に遂に破れ果てます。まさに「(僧)兵どもが夢の跡」。そんな戦の場が根來寺だったのです。ほんの400年余り前のこと。歴史のロマンを感じますねぇ・・・😊

最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌


まとめ

今回の参拝ルート


おまけ

きりもみ不動伝説】
堕落した真言宗派僧侶の立て直しのため覚鑁上人が始めた改革に反発した僧派閥の僧徒らが、覚鑁上人の命を狙って不動堂に乱入してきたところ・・・

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