見出し画像

だってしょうがないじゃない

坪田義史監督作品『だってしょうがないじゃない』の上映会に漫画家の、つのだ ふむ(@tsunoda_fumm)さんが製作に関わっていた関係のご縁から上映会にお声がけいただき、参加してきました。


映画のあらすじは、映画のサイトに監督の手書きのような温度感のある文章で綴られていたので、そのサイトをスクショしたものを貼ってみた。


画像1

※映画のサイトに更に詳しく載っているので、ぜひ見てみてもらいたい。
https://www.datte-movie.com/



僕は上映会の前に心配していたことがあった。
この映画の上映時間が、119分だったことだ。


bill evansを描いたものや、デザイナー マルタンマルジェラを描いた『we margiela』などのドキュメンタリーもじぶんの興味がある人に関連する映像であり、100分前後だったが途中で集中力が途切れてしまった。

そんな経験もあってか、ドキュメンタリー映像の集中力の限界は100分前後だと思っているので、119分は大丈夫なのか?と思っていた。


しかしその不安はすぐに払拭された。
この映画の二時間は、「ほんとうのノンフィクション」であり、そこに撮されていたのが人が古来から大切にしてきた「人との絆」だったからだ。



僕はノンフィクションを撮りますと言った瞬間に、人は撮られているというフィクションをどこか演じてしまう。
それくらい周囲の環境に繊細に左右されるのが人で、であるからしてノンフィクションというものは原則存在しにくく、フィクションを生み出そうとしたときに、どうしてもその人の内側からにじみ出てしまうものがほんとうのノンフィクションなのではないか?
と考えている。

だからドキュメンタリーの密着撮影時間がべらぼうに長いのも、撮られているという非日常を日常にするための、カメラ越しの距離以上にその人の心に近付けて、寄り添っていけるようになるための、絆を紡いでいく時間なのだと思うし、良いドキュメンタリーというのはそういう小さな一つ一つのことに丁寧に向き合うことによって、ほんとうのノンフィクション、ドキュメンタリーになっていくと思っていて、この映画はそれが見事だったのだ。

来場者の方の感想に、「映画を観ていて癒された。」というものがあったが、僕もそれはよくわかって、この映画には家族とか親戚とか近所付き合いの世知辛いところもないわけではないが、それ以上に支え、支えられの「お互い様」の関係がありのままに撮されていた。

やさしくしたいし、やさしくされたいし、誰かのできることと誰かのできないことをかけあわせて、お互い様の精神で、仲良く共に歩いて行きたいと思っているのが人の根っこで、それが見事に映画になっていたために、観た人は癒されたと感じたのではないか?


最初長いのでは?と感じた二時間という時間は、じぶんの固くなった考えや思い込みをほぐすのに、じぶん以外の他者のほんの一部分を受け入れるのに必要不可欠な時間であった。

そういう間みたいなものを、「じぶんの一秒」を、昔じぶんが大切にしていた何かを、思い出させてくれる映画なのでもし機会があったら皆さんにもぜひ観ていただきたいです。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
ラストシーンが、ハリウッドとはまた違う良さのエンディングで考えさせられるものがありますよ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?