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五月晴れの中、在原寺 第12回一人茶会へ 牛田名物の大豆煎茶屋など 5日 愛知・知立市

五月晴れの中、第12回一人茶会 八橋 在原寺へ

大型連休であり、二十四節気では立夏、端午の節句でもある2022年5月5日、五月晴れの中、愛知県知立市八橋の鎌倉街道沿いの在原寺で行われた在原会 第十二回 一人茶会へ行ってきました。お茶とお菓子を楽しみました。

🍵野点✨一席目✨🍓

柔らかい🍓いちご大福でした☺️🍵✨🙏

🔥野点🔥 大あんまきとお抹茶🍵

野点 牛田の大豆煎茶屋を再現 黒豆とハゼの甘露煮

八橋 売茶翁(やつはし ばいさおう)とは?

八橋 売茶翁(やつはし ばいさおう、1710年宝暦10年) - 1828年3月20日文政11年2月5日))は、江戸時代臨済宗茶人。諱は方巌、字は祖永、曇熙で、八橋売茶翁は号である。他に、梅谷売茶・八橋山方巌禅師・方巌叟・八橋山唐衣閣・紫燕禅翁・自在庵・唐衣殿通仙禅翁・小隠売茶といった号を称した。二代目売茶翁と呼ばれ、煎茶道売茶流」の流祖。筑前国に、福岡藩士笠原四郎衛門の三男として生まれる。後27歳頃の時期に、京都妙心寺に移り、ここで相国寺管長の大典顕常より売茶翁高遊外の教えを受けた。大典は初代売茶翁(高遊外)の友人で、彼を通じて高遊外の生き方に強い感銘を覚える。1796年頃に江戸に出て上野近辺で生活する傍ら、高遊外がしたように茶道具を携行し、江戸で茶人としての生活を約9年続けた後、46歳の折に江戸を出奔、三河国池鯉鮒宿近くの八橋にある在原寺に入って、無住だった寺を再興する。続いて無量寿寺の再興を依頼された売茶翁は、その寄進を募るため各地に赴いた。この時期には売茶翁の名声を頼って無量寿寺に来訪する客もおり、その一人だった紀州藩主の徳川治宝は売茶翁を和歌山に招いた。文政11年2月5日(1828年3月20日)、無量寿寺で死去した。

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