自覚

ある精神科医のHPに出合い、初めて自分がAC(アダルトチルドレン)だと自覚できたとき、涙が出るほど嬉しかった。例えば、体の不調を感じて受診しても「異常なし」で片づけられ、それでも本人は明らかな症状に苦しみ続けているとき、他のドクターに(あるいはテレビを観て、あるいは本やネットで)きっちりと適切な診断をつけてもらったときの安堵感。病気を抱えこんでいるつらさを通り越して、「やっと先に進める」という希望は、大きな安堵感をもたらしてくれる。心療内科を受診したことはなかったが、もの心ついたころから「生きにくさ」「自己不全感」にもがきながら生きてきたので、同じく大きな安堵感を味わい、PCの前でひとり泣いた。これまでの人生を思い起こせば、思い当たることは数えきれないほどあった。

母親を否定して生きる友人は、ざっと数えても5人は思いついた。ある友人は母親を嫌い、家を出て自活し、両親に住所はおろか電話番号さえ知らせていなかった。彼女の方からたまに実家を訪ねるのだと言った。わたしたちは本を購入すると、相手が同じ本を買うのは無駄だと考え、回し読みをしていた。ある日彼女が3冊の本を差し出した。一冊目の表紙に「なぜ、「白雪姫」は毒リンゴを食べたのか」と印刷されているのが目に入った。どれも「AC」に関する本だったが、そのころのわたしは、よもや自分がACに当てはまるとは考えてもみなかったので、帰宅してから、パラパラと斜め読みをして終わった。「わたしは違う」「わたしの悩みは別のところにある」という自信は、自己覚知を遠ざけた。

ACは、自覚したときから回復(快復?)へ向かうという。

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