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Satisfaction した先

satisfaction
ロングマン現代英英辞典では、

a feeling of happiness or pleasure because you have achieved something or got what you wanted

とされている。
日本語で言ったら満足感と訳されるだろう。

satisfuction(満足感)という感情は、上記にもあるように、なにか達成した、または、欲しいものをゲットしたときの喜びなどだと思う。

今、わたしはコメダ珈琲で、教育についての本を読んでいた。新たな視点、気づきを得て、satisfactionに浸っている。

コメダ珈琲に行き、浸ることは初めてではなく、ここ数日この感情がたまらなく、毎日来ている。繰り返しているのである。satisfactionの充実感、喜びを再現したいと、繰り返しているのである。

教育現場では、主体性という力が児童生徒に求められている。主体性の力を育むには、satisfactionが必要である。もう一度やりたい。自分で手に入れた新鮮さなど繰り返し行うためにも必要なものだ。

だから、児童にsatisfactionを感じてもらいたい。そのために、自分はsatisfactionを作り出せるような手立てを打たなければいけない。

しかし、重要なのは、感じさせるだけでは浅いということだ。satisfactionのその先が大切なのだと思った。

感じました。satisfuction を感じました!ではなく、感じたのは、どうして?感じるまでにどのようなことをした?それを認識させることだ。

受け身では、感じることができたか?できないかで終わってしまう。

そうではなく、感じたのならば、それはなぜか?どうしてか?どのようにか?を問わなければいけない。

きっと感じた理由は、自分がなにかをし、新たな発見、気づきにであったからだと思う。そして、その理由がわかったのならば、それを再現していく。再現していくと必然と力になっていく。

先について話したが、先の前に手前が大事だ。
生み出せなければ意味がない。

そのsatisfuctionを教育現場でどのように生み出していけばいいのかは、次回自分なりの考えをまとめたいと思います。

こうして、久しぶりに記事を書いたことにもsatisfactionを感じています。

最近、構造的に語れない自分を発見したので、トレーニングだと思って執筆を続けていきたい。

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