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30歳。プロダクトデザイナーの20代を振り返ってみる。

本日2022年1月9日に30歳になりました。無事に30歳に迎えられたことを嬉しく思います。今まで応援して頂いた方々に改めて感謝いたします。

20代は諸先輩方や上の世代から多くのことを教えてもらいながら、自分のために勉強し、生活し、仕事をしてきたと感じます。仕事では微力ながら社会や地域、企業のために尽力していますが、30代は仕事だけでなく、周りの人や下の世代のためにも活動していければと思います。

プロダクトデザイナーとしては30歳もまだまだ若手ですが、デザイナーとしても人としても30代も楽しみながら成長していければ嬉しいです。

あっという間の20代だったので、20代を簡単に振り返ってみたいと思います。


20歳 成人。

2012年1月9日は20歳の誕生日であり、ちょうど成人の日でもありました。紋付き袴を着て、20歳を迎えた記憶があります。その時、自分は朝から晩までアルバイトを3つぐらい掛け持ちし、留学資金をためていました。

初めてデザインというものを知ったのも20歳の時で、インダストリアルデザイナーの榮久庵 憲司氏の本を読んだことがきっかけでした。

これに本当に衝撃を受けて、こんなに面白い世界があるんだなと知りました。高校卒業するまでデザインについて何も知らなかったし、デザイナーになるつもりも全くありませんでした。

漠然と20歳の時にプロダクトデザインをやりたいと思い始めました。


21歳 カナダ留学。

元々ものづくりを勉強するために、海外留学するつもりでした。そして21歳の時に、エンジニアリングという分野を学ぶカナダに留学をします。ただ入学してからも、デザインへの思いがどんどん強くなるのを抑えきれず、一年も経たずにカナダから帰国という道を選びます。

その帰国から3か月後にイギリスの美術大学に入学します。


22歳 留学1年目。

イギリスは専門課程の前に基礎課程(ファウンデーションコース)があり、チェルトナムという田舎にある美術大学で、留学一年目を過ごしました。英語で美術の歴史やデザインの基礎知識を学んだり、スケッチや写真の講義がありました。

基礎課程ということもあり、デザインについては触り程度しか学べなかったので、プロダクトデザインについてはまだ学べない状態でした。


23歳 留学2年目。

University for the Creative Artsというロンドン近郊の大学で、プロダクトデザインの勉強を始めます。

ここはイギリスの手仕事やクラフトにフォーカスしている大学で、一年次に木工・金工・ガラス・陶芸など一通りのことを教えてくれます。加えて3Dプリンターやレーザーカーターなどのデジタルファブリケーションが一般に流通し出しており、その活用法も併せて教えてもらいました。

また、イギリスの大学は自由時間が非常に多く、生徒の自主性が重んじられています。この自主性を重んじる授業スタイルは自分と非常に合っており、英語のハンディキャップはありましたが、楽しく2年目も過ごしました。

具体的にはまず最初にチュートリアルとして、リサーチ方法、デザインアプローチ、CAD操作や機械、図面製作などを学びます。次にその知識や技術を活かすような、具体的な課題が出されます。週一程度で教授との面談があり、その課題の進捗報告をしつつ、ブラッシュアップを続けていきます。

この試行錯誤を繰り返しながら、物をデザインし作っていく楽しさを知り、この時にはプロダクトデザイナーになることを決心していました。


24歳 留学3年目。イタリア交換留学。

この年にイタリアの美術大学に交換留学します。ミラノにあるNuova Accademiadi Belle Arti, Milanoという大学で、Domus Academyに併設してあります。

イタリアの授業も、イギリスと似ていて自主性を重んじます。プロジェクトの進め方も似ていますが、異なる点もあります。それは試作を殆ど作らない点です。これはこの大学特有なのかもしれませんが、ワーキングモデルも外観モデルも作らず、CADでのレンダリング画像でプレゼンを行います。

最も尊敬するデザイナーの中に、アッキレ・カスティリオーニという方がいます。この方はイタリアミラノ出身だったので、いつかその地に住んで文化やデザインを肌で感じたいと思っていましたので、非常に刺激的で良い体験になりました。


25歳 留学4年目。英の美大を卒業し、帰国。

卒業制作はロンドンの大きなデザインイベントDesignjunctionなどで展示することができたり、デザインコンペで入賞出来たりでき、無事にイギリスの大学を首席で卒業しました。

20代前半を海外で過ごすことができ、世界中で友達ができたことあり、海外との距離が非常に近くなったと感じました。ある意味、日本も世界もあまり違いはなく、日本で成果を出すことは世界にも通じることだと思うようになりました。

また留学したことで日本の良さを再認識する良い機会にもなりました。美味しいご飯や日本人の人柄、そしてものづくりなど日本の素晴らしい文化に関わりたいと思うようになりました。

卒業は海外に残るつもりはなく、日本でフリーランスとして活動することになります。帰国した翌月に、佐賀県にある肥前吉田焼という焼き物の産地でイベントがあり、そこで伝統工芸の面白さを知ります。ここからは日本の地域との関わりが徐々に増えていきます。


26歳 フリーランス1年目。

フリーランス一年目は来た仕事を選ばず、グラフィック関係の仕事なども積極的に関わるようにしていました。伝統工芸や町工場などの地域での徐々に増え始めておりましたが、この時はメーカーさんとの仕事をメインに活動していました。ありがたいことに、仕事は途切れることなくありましたので、生活することはできていました。

ただ営業活動的なことは殆どせず、地域の交流会に参加してみたり、デザインコンペに作品を出し続けて、何か仕事のひっかかりができないかと模索していました。


27歳 フリーランス2年目。

ありがたいことに地域の仕事が増えて、割合で言うとメーカーさんと仕事と半々くらいになっていました。地場産業の面白さにどんどんのめりこむようになります。

この時くらいから週一以上は地域に出張し、なるべく現場や産地を見に行くようにしていました。ものづくりの種やデザインのヒントは実際に現場を見たり、職人さんに話を聞くことで見つかると感じました、

この年にはグッドデザイン賞を取らせてもらったり、富山デザインコンペティションで準グランプリを頂いたりと少しは結果を残せました。


28歳 フリーランス3年目。お店運営。

地域の仕事がメインになり、伝統工芸や町工場の職人さんとの関わりは増え続けておりましたが、一気に自粛の影響で出張することが減り、オンラインで打ち合わせをすることも増えました。現場を見に行ける機会が減ってしまいましたが、今までデジタル化を進んでいなかった業界が一気に加速したと感じました。

そして作ることはもちろんですが、売ることに注力しだした年になります。今までは作ったものは基本的にクライアントさんに任せていましたが、自分で直販したりクラウドファンディングを仕掛けたりと、情報発信したりストーリーを伝えることも関わるようになりました。そして実物を見てもらう場を作るために、地元である板橋で自分のお店を期間限定で始めました。


29歳 フリーランス4年目。2拠点活動。

この形態での仕事の進め方にも慣れてきてました。問い合わせをいただくことも増えて、以前からお付き合いのあるクライアントさんに加えて、新規のクライアントさんと様々な商品開発を進めていました。後半からまた出張を再開し、産地に足を運ぶことができるようになりました。

板橋の事務所に加えて、八王子のシェア工房での2拠点で活動することになります。陶芸や木工など作家業にも力を入れだして、自分の手で作ることにも注力するようになります。趣味で盆栽や畑も始めて、土と木をいじることが増えていました。


まとめ

19歳の時点では自分がデザイナーになっていると全く予想していませんでした。20歳~25歳は海外にずっといて、25歳~29歳はフリーランスとして日本各地を飛び回っていた気がします。30代はどうなるか今からとても楽しみです。

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