参考になるかな。


これは微妙な話です。

間違いではないが、障害者や不遇の人に「お前の責任だろう」って言われても、そりゃ、身に余る責任ですは・・そんな責任は全部とれんです。
自分もその現実・世界を作る大きな要因だけど、それでもそれは「自分だけ」で作られたものでもないのだから。


が同時に「考え方次第で、如何にかなる。諸行無常だし」

という知恵も引き出せる。

「物語で不幸になるなら、別の物語に書き換えてやるは!」って。


そのどちらの視点も忘れてはいけない。

片方だけだど、他者や世界にすさまじく残酷で無慈悲になり、多くの悪行を犯したり加担できるようになるからな・・・

だしね。





自分自身っていうと、自分の思い・世界観すら思い通りにならない。

なら

人は自ら作った世界の中に我が身を沈めて苦しんでいると説いておられます。
この世界は自分の心によってできている。それぞれの人間がそれぞれの世界を作り物語を作っているのだと。
自分が蒔いた種であって他人のせいにしてはいけませんよという解釈もできるかもしれません。

それすら自分の責任かすらわからないし、如何ともできるか怪しいのだ・・

でも、少なくとも、幾分かは「自分で変えれる」選択肢也はあるのだから、それをフルに使うしないのだが。

それにすら気が付かないのものあるのだよね・・現実には・・・


その辺の微妙で繊細なところが、この世にはあると思う。



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