スピリチュアルって、一種の「拝み屋の成り損ね」




これを見て、日本で江戸末期から、新興宗教が続出したのもわかる気がする。






知識が無いので、怪しげな体験にまどわされる・・



お代さんやイタコさんが昔多かったのは、世の中が厳しい時代だったから。

それでは現代で、なぜそういう感受性が強くなり悩むかといえば、
断食や滝行をしなくても、生活のなかで心身に負荷を感じる
ようなことに一定期間さらされたからである。
前述の私の身内も、もともと感受性が強かったのに加えて、昼夜逆転の生活で心身がボロボロになるまで働いていたら、ある日を境に、人が危険に遭遇する少しまえにわかるようになり、ずいぶん悩んだそうだ。しかし、体を動かす仕事に転職して、自分の悩みを人に話すようになったら自然と無くなっていったという。

それの挙句が、新興宗教だったり、スピリチュアルだったりする。

でも、それには過去の知見や、先達の指導も無いので、魔道や外法に落ちやすい。


スピリチュアルは、まさに魔道・外法の宝庫・・


あと、明治維新ってのも、この一種の外法による、日本破壊であったと言える。

スピリチュアルモドキの知見や根拠が薄い「天皇神道」・・


ただこの正しい知見って奴も、結構厄介で・・・


自分に痛みを伴うようなことを言われるやいなや、こころのシャッターを閉めます。自分に落ち度があると認めたくありません。上記はいずれも、プライドが高い高学歴の親御さんにはありがちなリアクションです。心配ばかりで、わが子はもちろんのこと、周囲を誰ひとり信頼できません。どちらも自分の虚栄心を満たしてくれる医師が見つかるまで、探し歩いているようでした。

強すぎる虚栄心は、ともすれば他者への差別意識につながります。高学歴で完璧主義の親御さんが「わが子に自分と同じ道を辿らせてあげないと不幸になる」と思い込む裏には、差別と偏見がある気がします。

学歴也知見を得るのに失った時間と労苦や、その誇りが、

それでは現代で、なぜそういう感受性が強くなり悩むかといえば、
断食や滝行をしなくても、生活のなかで心身に負荷を感じる
ようなことに一定期間さらされたからである。

そういう、感受性で得た認識を最初から受け付けなくなることが多い。しそれを受け付けないのが「知的な態度」とかと自己洗脳している。


考えりゃ、

「エリートの傲慢」と「成功者の貪欲」が、一番の社会の癌っていえるのだろうね・・・


この件は、もしかしたら、また何度かこの件は取り上げるかもしれない。



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