見出し画像

HSPは福祉の仕事に向いているのか?【経験から感じる”感情労働”の向き不向き】

私の個人事業である「ココロラ」で提供しているコンテンツに、福祉関係に特化したキャリア相談がある。自分自身長くキャリアを築いてきた分野であり、かつありがたいことに長いだけでなく様々な分野や役割を担わせていただいた。未来に向けてこの世界への恩返しのつもりでもある。


一方で、キャリアコンサルタントではなく社会福祉士としての視点から、福祉という独特の世界におけるキャリアについて協同作業として一緒に構築することを重視している。特にソーシャルワーク界隈の仕事については経験者だからこそ伝えられる要素が間違いなく強い。


「転職を考えエージェントに相談したけど全く見当違いの助言をされた」「(某職業紹介機関H)の人に聞いても”わからない”と言われた」
などを経て私のところに相談に来られた方が「ようやく的を得た答えをいただけた」とほっとされるのは私自身もとても嬉しいし、だからこそ「社会福祉士としてのキャリア相談」の価値を高める意欲が育まれるのである。


福祉の仕事の奥深い魅力とその拡張性をもっと若い世代や他分野からの参戦者に伝えていけることが、大げさかもしれないけど自分のミッションであると自覚している。


画像2
※2022.5より¥2.000/1h-



さて、「ココロラ」の提供するコンテンツには他にも「HSP(繊細気質)の相談」というものもある。

私自身もそうであるが、HSP気質と言う、生まれながらにして繊細で感受性の強い気質により、社会生活全般に「生きづらさ」を抱えている人たちへの傾聴相談を軸としたサポートである。

私のところへ来る相談の中でこの2つを兼ね合わせた相談をされるクライエントもいる。


「HSPの人は福祉の仕事は向いているか?」
そういう具合だ。


向いているかいないかと言われれば無責任だが「そうかもしれないしそうでないかもしれない」と答えざるを得ない。そもそもHSP気質自体が「これ!」と枠にあてはめられるような単純な気質ではない。細かいことは割愛するが、先述した生きづらさの要因は、この気質の多くの特徴の中でも人それぞれである。


私は「そうかもしれないしそうでないかもしれない」と答えるのは、HSPの気質がうまく作用することでスペシャリスト的な働きが可能でもあるが、逆にそれが災いし自分自身をより苦しめることにもつながりかねないからである。



私がこの世界に入ってまだ間もない頃、利用者支援もたどたどしいレベルに過ぎず悩む自分に、当時の上司が「でも貴方は利用者の小さな変化を誰よりもよく気づいてくれる」と言ってくれた。意識はしていなかったが、確かに日々利用者の様子を観察し、寄り添い触れ合うことで感じる変化に敏感だったような気がする。

HSP気質ならではの「気づき」の力である。

他の人が気づかないようなところも感覚的に気づけてしまう、その気質はこの仕事では特に重要である。私もこの言葉を一つの自信として、以降長く仕事を続けられた要因となっている。



それからさらに年月が経った頃か、一人の利用者の様子が何か普段と違うような気がした。「どう違うの?」と言われても「何となく違和感がある」としか答えられない。言語コミュニケーションも難しく、自閉傾向の強いその利用者は何かを自発的に訴えることはできない。そのうち、他の職員からはいつもより動きが鈍い本人に対して早く行動するよう叱咤される。

数分後再び本人と顔を合わせた際にその違和感をはっきり確信したため、職員に一言断り、別室にて身体を確認したところ、なんと足の爪が剥がれていたのだ。


なぜ気づいたのか自分でもわからないが、その「違和感」を忠実に捉えたその「気づき」の力はこの仕事ではあらゆる場面でクライエントのピンチを救うことができる「神のお告げ」なのかもしれない。その「気づき」に他の職員をびっくりさせたことは言うまでもない。

ようやく爪の処置を施したその利用者は直後普段と何ら変わらぬ動きに戻っていた。




一方で、繊細気質だからこその「共感」の力は、HSPでない人と比べるとはるかに激しい。強い、よりも激しいという言葉のほうが個人的にはしっくりくる。だからこそ目の前の支援すべきクライエントの揺れ動く感情をもろに受け止めてしまうのである。

これは何十年この仕事をしていてもつらいことに変わりはない。やはり同じ気質を持っている同僚の若い女性が毎日のようにトイレでしくしく涙を流していることもよく見受けられた。仕事がつらい、というよりもそのクライエントの気持ちに共感しすぎてしまうのである。



もうベテランと言われるようになった頃、ある会議で上司より「皆は仕事が終わっても仕事のことを考えてしまうことはあるか?」と問いかけがあった。個人的には「そんなの日常茶飯事だ」と思ったが、とある後輩は「それは無いですねえ」とあっけらかんと答えていたのには驚愕した。


HSPの特性に沿うと、気づきの宝庫である世界の中で激しい共感をおなか一杯に吸い込んでしまい、身も心もヨレヨレになりながらも仕事終え、自宅へ帰るその道中から自宅で過ごす時間はひたすらその日の「反省会」に時間を費やしてしまう。つまり24時間仕事のことを考えてしまうことすらある。

よほど「何も事件がなかった」日でない限りは「それは無いですねえ」なんて気分にはなれないが、そもそも他の人よりもその事件に「深く」「強く」反応してしまうので、結果事件が何もない日なんてありえないのである。


もちろんこれではプロの支援者としては問題がある。自分自身の気質を自覚し、自分なりの感情のコントロール方法を身に着けて目の前に散らばる支援に臨むことが必要不可欠である。


それができるならば、HSPと言われるこの繊細気質は福祉という仕事においては十分に能力を発揮できる気質である。だから私は冒頭のキャリア相談においては「あなたの存在が利用者を支えることができますよ」と背中を押すことが多い。ただ仕事をするだけでなく、クライエントの心の支えとなれることも多いのだ。心の支えとなれることが、自分よがりかもしれないが「自己肯定感の向上」にも一役買うのだ。

そのためにすべきこと、いわゆる「自己操縦」を身に着けることも合せて助言している。これをわかっているだけでも大分違う。



画像1



「感情労働」とはこういった側面を抱えつつも、実に人間らしい交流を図れるのがとても美しいところだと個人的には感じる。支援といえども、クライエントに教わることも多いし、励まされることだって多い。どっちが支援者かわからない。

それだけお互いがお互いの存在を認め合い、その価値を高め合うことができるのは「感情」を混ぜ合い関わるからこそである。



HSPについては別機会を設けないとここでは話すときりがない。ただ、HSPだから向いている向いていない、ではなく、自分自身をよく知り、そのコントロール機能を磨いていくその意識があれば、唯一無二の価値だって生まれる

これからこの世界にチャレンジしようとされる皆様には、心からエールを送りたい。感情労働は素晴らしい。その工夫の仕方を一緒に考えることができる場面があればぜひお力になりたいと思っている。

最後までお読みいただきありがとうございました。皆様のお役に立てるようなコラムを今後も更新してまいります。ご縁がつながれば幸いです。 よろしければサポートお願いいたします。