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(8)軍事力とチーム競技の相関関係

自らがオーナーを務める千葉県柏市にあるクラブチームで、選手達に混じって練習参加しながら、夏から始まるシーズンの身の振り方について悩んでいた。国家権力に押された形で、期せずしてシーズンの途中から復帰した。選手としての生活を過ごしている内に素直に喜び、環境に迎合している自分に、或る日 気づいた。
3年近くサッカーから離れて居たのに、体が思った以上に順応した事にまず驚く。  
「中国のリーグだから、何とでもなる」という甘い読みがあったのも事実なのだが、数試合をこなしただけで物足りなさを感じていた。3年前の感覚、よりハードな経験が得られるリーグへの参加を求めている自分が居た。
中国や韓国のリーグでは、選手個々のスキルだけで得点に至ってしまう・・日本もそうなりつつあるのだが。これが欧州になると、チーム全体での戦術が必要になってくる。90分間の限られた時間で如何にしてゴールを狙い、相手の攻撃陣の侵入を拒み、意欲を削ぐ動きを常に思考し続ける。やがて、戦術脳が発するアドレナリン受容体に包まれて気分が高揚し、ハイになってゆく。そんなフィールドから声が掛かるのを夢見て、試合では点に絡む動きを繰り返してばかりいた。 相手チームを如何にして攻略するか、というゲーム感覚ではなく、如何に相手を打ち負かすか、戦闘、抗争に近いイメージを抱きながら、中国リーグで取り組む日々を過ごして居た。

年末で中国リーグが終わると、故障者を抱えて成績の上がらないチームを憂いたサウジの王族から、数ヶ月だけでも加わって欲しいと言われ、プレミアリーグに復帰する。
プレミアでは中国でのやり方は全く通用しない。
軍人としての経験がある訳でもないのだが、戦いの作戦を立案する参謀になりきって、相手チームを分析し、部隊を移動、展開させてゆく。  
監督やコーチが考える役どころを、アユムは「作戦参謀兼兵士」のイメージでピッチに立っていた。最前線部隊の一兵卒が、膠着した双方の状態を打破、突破する方法を見出す動きを仕掛けてゆく。偵察、斥候役をアユムが買って出て、相手兵力の分析をピッチ上で行ってゆく。
兵の数だけは互角なので、兵士毎の能力の分析を行いながら、味方兵士の機動力、左右の足が放つ火砲力を配置し、侵攻作戦を開始する。 
自身の頭上にドローンが飛んで、鳥瞰図を見ているかのような感覚に囚われる。敵の最前線とも言える相手ペナルティエリア内に、自ら切り込み、相手の弱点を見出し、作戦の最終段階へと突き進んでゆく・・。
自身がそういう選手なので、同種の分析能力を持つ選手を好む。相手チームの状況判断と分析を絶えず行いながら、トライアルを自身の手で行う選手ばかりを選び、誘ってきた。
その一方で天賦の才を持つ選手もいる。野性の勘のような判断と経験則で、相手の分析結果など必要ともせずに突破出来る選手は、スター選手に数多く見られる。

アユムは怪我の期間を過ぎてからプロ契約したので、数多くの選手達と接してきた訳ではないのだが、クラブチームのオーナーになってサッカーへの視点がやや変化した。判断力に欠け、思考力の備わっていない選手は一切検討しなくなった。
自分に近い、戦略を考え続け、体現できる選手を好んで採用するようになる。彼らに共通しているのは好不調の波が少なく、一定のパフォーマンスを出す能力を持ち、自己分析と自己管理が出来ているので、選手生命が長い・・オーナー的にはコスパの高い選手ばかり選定し、採用し続けた。

また、動物的な感覚と身体能力を兼ね備えた選手は、試合のダイジェスト映像でも毎度のように中心的な存在となり、スター選手の扱いを受けるので高額になる。敢えて買い取り額の高い選手を敬遠し、面接と練習見学を何度も繰り返し、自分の物差しで選手達を見て、採用してゆくと、華やかなスター選手は居ずとも、各国の代表クラスの選手が半数を占めるクラブとなり、それなりの成果を上げ続けるようになった。
サッカー評論家やライターからは、アユムの選手採用方針を指摘され問われることもなく、堅実な選手選考だと評価されている。
高額な年俸を取得する選手が居ないので人件費が抑えられる分、トレーニング環境や選手の福利厚生等の待遇面を充実させており、各クラブチームが真似たくとも、そこまでの投資はできないと諦められている。

そんなチーム作り、サッカー観を持つだけに、逆に採用される側になると、練習施設やオーナー、監督、コーチの考え方に目が行ってしまう。来シーズンに向けて数々のオファーが届き始めている中で、自分がスター選手的な扱いをされている状況に違和感を感じ、何処か矛盾している様に思えて仕方がないのだが。

韓国、北朝鮮でも、選手に混ざって練習を続けてきたが、柏のクラブでも同じように選手達と汗を流し、間近で選手達を見てきた。個々の選手の練習への取り組みの度合いや、サッカー脳の使い方を把握する最も良い方法だと信じているからだ。

アユムの父親がいつまで経っても戦闘機から降りようとしないのは、自分の中にある国防のモノサシや尺度が確固たるものかどうか、常に見極めているからではないかと想像していた。父は何でも自分の目で見て、意見を尋ねる現場主義に徹していた。中南米軍の最高指揮官としての立場や見方が変わってしまうのを恐れているのではないかと見ていた。
確かに、選手達と一緒になってボールを追うクラブのオーナーは居ない。監督であっても、練習に加わる人は極めて少数派だ。要は旧日本軍の将校達、自民党議員と同じで、現場を視察しても現地監督者から話を聞くだけで、中身の詳細が全く理解出来ていないので、いつまで経っても原稿を棒読みするだけの、ポーズ視察で終わる。
大枚を投じてスター選手を集める事に執着し、高額なアメリカ製の武器を購入だけ考慮する。
選手間の軋轢、自衛隊内のアンバランスさや、チームと部隊間の意見の不一致には目もくれないで人気選手かスーパーウエポンばかりを集めれば、クラブの人気は高まり、防衛力は向上するだろうと、安易な方向へ流れてゆく。それでもサッカーは結果が出るので、正誤が直ぐに判明して、誤りと評価されると監督や選手が瞬時に交代する。
しかし、自衛隊や自民党や嘗ての日本代表監督は全く戦わないので、購入した兵器が効果的なのか全く判断できず、書類上で相手国との戦力比較をするだけで、防衛省のトップも政治家も日本人代表監督も、更迭されないまま居座る。

アユムの父は平和な時代の軍拡競争に一石を投じた。各国との競争で追いつき追い越せで肥大化した軍隊を、圧倒的に上廻る中南米軍を整えた事で、一切合切全てが無駄になった事実を示して、各国の首脳と軍のトップを権力の座から引き釣り下ろした。
勝負が無くなった分野であっても、無能や愚人を失脚出来る事を証明して見せた。     

アユムが目指すクラブチームも中南米軍に似通ったコンセプトを掲げた。欧州のサッカー界では競技自体をビジネスとして捉えて、選手や監督が商品のように扱う傾向が散見される。アユムはサッカー界のこの悪しき傾向を打破したかった。サッカーはそもそもチーム競技であり、11人のピースの組み合わせで、1つの組織として戦うものだ。
高額な選手ばかりを集めたクラブを、その半額程度の人件費のクラブが打ち負かし続ければ、スポーツとしてのサッカー、選手の為のサッカーという原点に、いつの日か回帰するかもしれない。

嘗て「柔よく剛を制す」と言われた柔道が、技ではなくパワーで圧倒される時代が長く続いた。国技とも言える柔道が、全く勝てない時代を経て、日本人選手がメダルが取れるようにようやく変化してきた。      
アユムは日本のサッカーは、柔道を見習うべきだと考えていた。日本人の特性に適したサッカーを見出ださねばならないと。
先ずは欧州5大リーグのビジネスライクなサッカーに風穴を開け、選手が理想とするクラブチームを作り上げようと考えた。敢えて声高に語らず、淡々と5年間取り組み続けて来たことで、風穴までは行かずとも風向きはようやく変わってきたと実感していた。
それでも、選手や監督は部品のように交換すればいいと、早々に見切るクラブは各国のリーグに少なからず存在したままだ。駒を集めれば勝てる時代では無い、と、アユムのクラブが証明出来る迄にも至ってはいない。まだ、道半ばなのだ・・そう言いながら、自分もサッカー等知りもしないアラブの石油王のクラブに属して居たので、矛盾しているのだが。

クラブのオフの日に、つくばエクスプレスで秋葉原へ、地下鉄を乗り継いで溜池山王までやって来た。地上に上がると予報が外れたのか、都心だけなのか、雨が降っていた。
手提げ状にした3ウェイのナイロンバッグから、妹の会社で製造している、骨格がチタン製の折りたたみ傘を出して、首相官邸まで歩いてゆく。
入館時に所有を命じられている外交官パスを提示する。既に連絡が来ているようでゲートを越えて、官邸の敷地内へ侵入する。

異母兄の柳井太朗副官房長官が直々に迎えに来る。実年齢は20近く離れているのだが、周囲には年齢差は感じなかったようだ。久しぶりの再会も淡々と済ませて、兄の後について行く。
「今年もどこかのチームで続けるのか?」振り返りもせずに太朗が問いかけて来たので、
「そのつもりだよ」と兄の背に向けて答える。

通り過ぎる内閣府のスタッフは女性の比率の方が高かった。それ故に190cm近くある兄弟が際立つように目立った。視線を向けられているのも分かる。
「結婚するって報道されてたけど・・あれはどうなったんだ?お相手は中国のハリウッド女優さんだよな?」

「あれはガセネタだよ。中国政府に嵌められたんじゃないかって疑っているんだ。中国のクラブの選手たちと定期的に食事して、帰る方向が一緒だったから同じタクシーに乗り込んだだけで、2人で同時に降りたことは一度も無いんだ。乗り込み時を写真に撮られただけなんだ」

「そういう事にしておこうか」兄が笑いながら言うのでカチンと来る。

「ハリウッド映画ってさ、もはや死語で、実態は中国映画だからね。人口の多い中国向けに、中国人俳優を使ってリメイクしているだけなんだから」

「それでも、アメリカが資金源なんだろ?」
「それは そうだけどさ・・」

アメリカの映画産業が、日本のAIやITを使えずに映像美や表現力で敵わなくなった。
元々、アニメ技術や特撮技術で優れていた所に、ロボットやモビルスーツが登場し、宇宙空間向け輸送機サンダーバード等の大型機が製造され、月面有人基地の建設映像が流れる時代となり、近未来的な描写がよりリアルになった。
スターウ・ーズシリーズや、エイリアン襲来系の宇宙モノがあまりにも現実離れしている為か、営業的に売れなくなった。人間ドラマ的な映画も日本が役者をAIが再現するようになり、ヒトの俳優を使う必要が必ずしも無くなった。撮影スタッフもロボットが行うので、諸々の「人件費」が不要となった。
アニメ制作もAIの登場で手書きの必要性も、CG作成技術も不要となり、映画制作費なるものが大幅に削減し、それなりの作品が驚くようなコストで制作できるようになると、テレビ向け、映画向けで質やクオリティが異なっていた区分けが付かなくなっている。

そんな質の高さをAngle社を筆頭に日本のテレビ会社や映画産業が手掛けて、世界中に無償でクオリティの高い番組や映像を公開するので、アメリカの映画産業、テレビ業界は低迷し続ける。
米国の映画産業は存続を掛けて、香港や上海へ出向き、宇宙戦争もの、恐竜もの、歴史小説的なもの、各種シリーズものを、中国人俳優、女優を使って撮影する様になる。中国人14億人の1/3、1/4の人々が見れば、それだけで大成功となる。ハリウッド映画といえども、中国向け映画としてボロ儲けを始めていた。そんな映画に出演してもハリウッド女優と言われるアユムの知り合いの女優も、米国映画産業の恩恵を受けたに過ぎなかった。
「何も無かった」というと、嘘になってしまうのだが。

兄に続いて会議室に入ると、北朝鮮総督府に勤務時に上司だった阪本首相と柳井前首相に加えて、祖母の金森鮎元首相が居た。母にそっくりに化けたなと関心してしまう。部屋には異母兄の柳井太朗と5人しか居ないので、今日は祖母として対応して良い、と言うことだろう。

「お帰りなさい。まずはイギリスの産業省のデータの件、ありがとうございました。とっても参考になったわ。どうやって事務次官を籠絡したのか、聞いてもいいかしら?」
前置きもそこそこに、いきなり本題から入ってくるのが阪本だ。ビジネスライクな姿勢は全く変わらない・・。

「中国の各省の役人と同じですよ。日本人選手の一人と会食を持つのが最初のキッカケとなります。あるー選手が何故かその国の経済に関心を持っていて、アレコレ質問を始めてゆくんです。相手がその気になって話し出すと、その選手が経営に関与しているスポーツショップを、ロンドンの中心部に出店し、その店舗経営を誰かに任せたいんだけど紹介して頂けませんか?と囁くんです。で、その役人の家族に任せたんだそうです。店舗収益の見返りの条件が、入手したデータの継続的な提供らしい・・です」
そうアユムが答えると、阪本がニヤリと笑うので困った人だと軽く溜息をつく。祖母は呆れたような顔をしている。
「蛙の子は、蛙ね」とでも言いたそうな表情だ。

中国リーグで「サッカー選手としての復帰」をアユムに命じたのは阪本だった。それぞれのクラブチームに無償レンタルという形で加入して、クラブチームがある省の役人とのパイプを作り、省のデータを入手しろと要求してきた。無茶な要求だと思いながらも、アユムは画策してゆく。
中国の梁振英外相が、アユムに中国代表チームの監督就任を要請してきたのでそれを断り、中国サッカー界の振興の方が先でしょうと逆提案した。

「幾つかの中国クラブチームに選手として加入して、オーナーの経営目線で、下位に沈んでいるクラブチームを幾つか分析して、何が必要で何が足りないのか、私なりにレポートに纏めるのは如何でしょうか?」と。
この提案が受け入れられて、4つのクラブチームに1ヶ月弱づつ滞在しながら、選手として動きつつ、クラブの経営者や監督コーチ達と議論していった。得てして弱いチームほど経営難だ。一応共産国なので省の主要都市や主要企業がスポンサーとなって資金を投じている。

北京、上海、大連のような企業を抱える大都市であれば資金は潤沢だが、中堅の省では必ずしもそうではない。最終的には省の財政事情も踏まえて聞き出してゆく必要が有る。そこで各省の役人達と会話するようになっていった。アユムが滞在した都市なので、衣料店、スポーツ店、パン屋、飲食店を出店するのは吝かではない。そこで店舗経営を親族に担わせて恒常的な収益を役人に齎せる見返りに、各省の毎月ごとの内部データを手にしている。
イギリスでは、プレミアリーグ全体を司る産業省の担当役人に近づいていった。スペインやフランスのリーグも顕著なのだが、クラブチームのオーナーが外国人実業家というのがセオリーになりつつある。プレミアリーグで言えば、英国人オーナーのクラブチームの方が圧倒的なレアケースとなっている。リーグ全体が盛り上がっているのは事実なのだが、クラブの収益自体は海外に流出している実態がある。アユムの所属しているクラブチームはサウジの王族が関与しており、アユム自身もスペインのクラブチームを所有しているし、サウジ王室とも懇意にしている間柄だけに、産業省としてもアユムの経営者としての意見を欲して近づいてきた。

英中2カ国のデータを定期的に入手出来るようにしてみせたので、3カ国目の対象をどうするか?という話なのだろう。ドイツは既に鉄鋼会社のオーナーとして、産業省の次官クラスを手懐けているので、ブンデスリーガは有り得ない。イタリアのセリエAも、太朗の妻のヴェロニカが居るし、日本と懇意な関係なので想定できない。サッカー5大リーグとして残っているのはフランスだけ、となる。フランスが核廃棄に転向か?と記事にもなっているので「仏仏交換だ」と想定していた。

「で、今はどんなクラブからオファーが来ているの?」机に両肘をついて手を組んだ前傾姿勢で、阪本首相が聞いてくる。
「オレの人生だ、好きなようにさせてくれ!」と言いたくて仕方がなかったが、ここで外交官資格を剥奪されても困る。日本の外交官として動けるからこそ、アラブやイスラエルの首脳達と懇意な関係を結ぶに至ったのだし、今までも、そしてこれからも、ビジネスチャンスを得られる手段となりうる可能性がある。
父が成功した理由は、政治家でありながら資本家、実業家、経営者の側面も持っているからだ。父一人でプランが完結してしまう。嘗ての日本の政治家が、官僚にプランを全て考えさせて、経済界に放り投げてプランを具現化し、国会で予算化してからプロジェクトがようやく動き出す・・この時間ばかりが掛かる手間隙を必要とせずに、父はその場で決断し、計画実施まで踏み込んでしまう。国家予算を念頭に置く必要が無いからだ。
アユムも父ほどの規模ではないが、鉄鋼金属コングロマリットのオーナー実業家でありそれなりの資金を動かせる。且つ、外交官でもあるので 国家権力にも通えて、モリの倅という看板を利用して、一歩も二歩も踏み込んだ交渉が出来る。

阪本澄江首相がアユムの外交官資格を保たせている理由が、父親の資質を最も引き継いだのがアユムだと見ていた。少なくともモリの第一世代の子息では、兄の柳井太朗も敵わない能力を持っていると判断していた。

自分の息子、太朗と治郎を要職に据えていた柳井純子が、阪本がアユムを重用していた理由を悟ったのが、昨秋から中国サッカー界に派遣したアユムが成し遂げた諜報網の確立だった。中国国内の日本大使館や領事館、外務省が入手できない地方の省の月毎のデータをコンスタントに得るようになった。わずか半年で4省の状況が逐一分かるようになり、中央政府である中南海の情報操作、市況値の改竄が状態化しているのが露呈した。そしてイギリス産業省の次官クラスを、僅か3ヶ月で手中に取り込んでしまった。発電とエネルギー政策で破綻寸前の状態にイギリスが陥ろうとしているのも、アメリカの支援が滞っているからだ。肝心のアメリカに余裕がなくなり、EUに属していないイギリスが立場的に孤立している状況が明らかになった。この2つの情報を得ただけで、先のEU会議もNATO会議も、安心して臨めた。
思い返せば、阪本が北朝鮮赴任時の手駒が杜 歩で、北朝鮮の各国分担統治を終わらせて、日本で一本化して取り纏めるように暗躍した影の逸材でもある。

サッカー選手に復帰してからは、事実上の日本最高峰の選手として君臨しながら、世界の鉄鋼メーカーを経営者として束ねていった。サッカーと事業で中東とのパイプをより深めたのも、アユムの力量だった。
異母兄の柳井太朗も、アユムの力量を認めざるを得なかった。一人のサッカー選手が成し遂げる功績だとは誰も思わない。アユムはその知名度を活かして相手の懐に飛び込み、難なく成果を上げてくる。サッカーに留まらず世界のスポーツ界でも異質の存在となりつつある。20近く年の離れた長男、しかも前職はEU大使としてベルギーに3年滞在しながら、アユムのような情報網は構築出来なかった。どの大使も敵わない成果を収めた弟に、脱帽するしかなかった。            「残留要請を強く求められています。サウジの王族の顔を立てておくのも必要なのかもしれません・・」

「そうでしょうね。でも、他のクラブからもラブコールを受けているんでしょう?それこそ、今回ばかりはニューカッスルに移籍金を払う必要がないんだもの。破格の給料を提示されて、あなたも選り取りみどりでしょうね・・嘗て在籍した、カタールの王族が所有権を持って居るクラブチームは、我儘なサウジの王室の要請に応えて、あなたと圭吾くんを差し出した5年前の借りを返してくれって、言ってくるでしょうね」

本物の「杜 蛍」であれば、口を挟む場面なのだろう。祖母が天井を見てから、アユムに視線を合わせて来た。
「諦めなさい。あなたには権限は無い」とでも言いたそうな目をしている・・やはり、フランスか・・正直、あまり気乗りしない。      

5年前 弟の圭吾が、アユムのカタールのクラブと同じオーナーが所有するフランスのクラブに在籍していた。共にカタール王室が所有するクラブチームで、サウジ王室からの政治的な圧力も加わって、ニューカッスルに兄弟がレンタル移籍していった。        
レンタル契約となったのも、カタール王室が兄弟の所有権だけは譲らなかったからだ。アユムは引退して今や所有権も消失したが、圭吾は6年前、姉のヴェロニカのクラブに完全移籍した際に所有権を移動した。従って、カタール王室はサウジ王族に貸しを残したままとなっている。ニューカッスル所属の複数の有力選手がレンタル移籍の候補に上がっているのも耳にしているが、現役復帰したアユムの所有権を再度求めてくる可能性もある。

「どの話もまだ具体的になってません。カタールの首相からはカタールリーグに帰ってこいと今でも言われてますけどね」

「サンジェルマンに拘わっているわけではないのよ。あなただって、金満クラブはもう沢山だと思っているでしょう。例えば、リーグ・アンであれば、どのクラブであろうと私は構わないと思ってる」
阪本首相が毎度の様に直球を放り込んできた。オレは所詮、政府の駒なのだと改めて痛感する。フランスに行け!という首相どの のご見解だ・・。

「サンジェルマン・・圭吾の話では、良いクラブだそうです。自分もアラブの王族同士のおもちゃにされなければ、フランスに居続けたかったって言ってました」

「歩くん、ごめんなさい。あなたにスパイのような真似事をさせてしまって。私はね、あなたの好きなクラブに行った方が良いと思ってる。フランスの意向がはっきりした今となっては、フランスのデータを集める事はさほど重要だと捉えていないのよ」

柳井前首相が発言すると、阪本が睨みつける。余計な事を言うな、と言わんばかりの圧を加えるが、柳井は動じない。柳井純子にしてみれば、自分の息子よりも父親の力量に近いものを持つアユムを、阪本ばかりが利用するのが癪でもあり、面白くなかった。       
首相の駒として動いたアユムの成果が、実に見事だった。 息子の太朗と治郎が大臣としての力量を備え、弁護士出身の妹夫婦が参議院議員内で頭角を表して来たので、柳井純子は首相への返り咲きを考えるようになる。2040年になって、全ての恩恵を受けた格好の阪本政権を羨むのも、自身が総理の座についた経験があるからこそ、柳井を再び首相に据えようと持ち上げる人々が現れる。
金森鮎が生還して名を変えて官房長官として復職した今、次期首相は鮎の再登板や北朝鮮の越山・櫻田が既定路線になりつつある。しかし、金森元首相も公的にはモリ・ホタル名義で官房長官を務めただけに過ぎないし、越山、櫻田にしてもベネズエラから異動したばかりで、北朝鮮での実績は「これから」となる。柳井純子がアユムも手中にして、与党内での足場を固めようと考えるのも自然な発想だった。

「ありがとうございます。選手生命が尽きる歳ですので、慎重に選びたいと思います」と、アユムが答えると、阪本首相はイラつく。            純子は直ぐに人のモノを欲しがる。モリを誘い、自分の男に据えた経緯を今回もまた辿ろうとでもいうのだろうか。父親と同じ色を纏ったアユムも手に入れたい、と。

会合を終えて、官房長官室に場所を変えて、1時間程 祖母と会話し、近況を報告し合う。そこで政府からだと言われて、金塊の入ったアタッシュケースを見せられる。  

「日本政府から、と言いたい所だけど、月の金鉱山で採掘されたものだから、ベネズエラから得たものなんだけどね。持ち帰るのも大変でしょうから、あなたが指定した場所に送るわ。金塊なら、自分の会社で換金できるでしょ?」     

アユムは月面で金が採掘できるようになっているとは知らず、ただ驚いた。金塊には何の刻印も無いので地球上で採掘された物ではないのが分かる。日本連合の資金源として使われているのかもしれないと勘ぐった。
ロボットを送り込んで資源を獲得し、産業を火星と月面で興す理由の一端を見せられた気がした。チタン、ヘリウム、ニッケル、そしてアンモニア生成の触媒となるサマリウムに、各種レアメタルといった鉱物資源だけでは無かった。金という資金源も手中に収めていたのだ。 

「おばあちゃん、金の相場ってもんが僕には分からないんだ。アタッシュケース1つで、どの位の価値になるの?」
採掘から精錬までのプロセスは月面でロボットが行っているので、原価は2足3文だろう。しかし、地球上での価値は跳ね上がる。宇宙創世記の「打ち出の小槌」として形容してもいいかもしれない。日本連合は国家予算の枠外の資金源を手にした、のかもしれない。     「金塊1kgあたり、約800万円で1ダース12kgだから、アタッシュケース1つで1億円を切る位ね。でも、政府はあなたの働きや齎した情報から、1億では済まないと思っているの。10kgの金塊を半年分で6ダース送ろうと考えている」
咄嗟に10kgで6ダースと言われて、換算できなくなるが、約58億とは大きく出たなと思う。先日計算した、自分が投じた資金はこれで回収できた格好となる。政府側でも換算してマイナス負担とならぬように配慮したのかもしれない。とは言え、企業収益に還元も出来ない。情報が齎される半年ごとに、同じ規模の金塊を渡されると、帳簿に記載する訳にも行かない。ましてや、アユム本人の口座に入れようものなら、ドイツの国税局が黙っていない・・              
「これは有り難い話なんだけど、受け取り方を考えないといけない」     
鮎は微笑む。「金の斧、銀の斧」の童話を想定した反応が孫から返ってきたので嬉しかった。堅実な仕事をしているのが分かった。        

「そう、分かったわ。じゃあ、取り敢えずこのアタッシュケースは私からのお小遣い。アタッシュケース1つ、12kg程度なら持って帰れるでしょ?」
「こんなケタ違いの小遣いは、初めてだな・・でも、12kgは重いよ。それに、これから柳井兄弟と飲みに行くんだ。太朗兄と治郎さんと・・」      

「じゃあ、これは私が預かっておく。
現金換算すると半年間で60億円があなたの働きと政府が判断したから、受取方法を考えなさい。ベネズエラ企業があなたのクラブチームのスポンサーになっているから、契約金を増額してもいいし、新たにプルシアンブルーかアングル社とスポンサー契約してもいいし」
祖母が考えていたプランを開示してきた。金を出して見せたのは、父親の成果であることを想像させたかったのかもしれない。確かに貴金属を持っているのは強い。 今は鉱山を閉めていると聞いているが、ベネズエラと北朝鮮には金鉱山が有るので、金塊自体を政府が配給するのに、違和感もない。  

「そうだ。兄弟達を日本の僕のクラブでレンタルしようかな。7月までの短期レンタル費用に当てるんだ。連中を所有しているクラブも潤うから、良いかもしれない。火垂と海斗は、選手登録してもコーチとして使うよ。過労で故障でもしたら、おばあちゃんに怒られるからね。コーチでもさ、我が子が日本のテレビに出れば嬉しいでしょ?」

「コーチングスタッフなんて、見てもツマラナイじゃないの。見たいのは息子のゴールシーンでしょ、やっぱり。コーチなんかじゃなくていいの、選手として使いなさい。日本の選手とのレベルの違いも確認したいし、五輪のオーバーエイジ枠での出場も、見てみたいしね」 
・・その手があったか・・とアユムは思った。桃李達も同じクラブの2人がチームに居たら、更に活きる・・。
「それは良いかもしれない。真剣に考えてみるよ」

「圭吾でも、あなたでもいいのよ。オーバーエイジ枠は3人なんでしょう?」     

「ゴメン、黙ってたんだけどさ、五輪代表のコーチに誘われてるんだ。戦術コーチになって欲しいってね。  コーチを引き受けると、もうクラブには入れない。実質的に引退せざるを得なくなる。そしたら圭吾を含めた3人はオーバーエイジ枠の可能性が出て来る」

「柳井さんと太朗ちゃんから聞いて、コーチの話は知ってた。今年だけ、自分のクラブに加入したら? ホンネは、まだ引退したく無いんでしょ?」    

自分のクラブ?それは考えても見なかった。オーナーが選手として出場するのは禁じ手だが、今年限定なら許されるかもしれない。南米選手として登録すれば、スペインなら外人枠に該当しないし、リザーブ出場専門で、大半の時間はベンチでゲーム分析していても良い。一人の選手枠を使ってしまう事にはなるのだが、もしラ・リーガで優勝でもすれば、結果オーライと評価されるだろう・・組んでいた腕を開放して、祖母に向かって頭を下げる。 祖母なりに、色々と考えてくれていたようだ。尤も、自分が願っている起用方法であり、孫や子の配置なのだろうが。      

祖母が立ち上がり、冷蔵庫から何やら取り出して持ってくる。           
「これ、アユミの会社の食品部門の新商品。練習後の食事に加えて御覧なさい」    

「何の成分が入ってるの、コレ?」    

「1瓶で120錠入りで 1万5千円。原材料はチベットのローヤルゼリーと冬虫夏草、北朝鮮の朝鮮人参に、沖縄のモズクが増粘剤として使われている。どれも、プルシアンブルー社の契約農場で、茜と遥とフラウが全ての農場の監修に当たっている。言わば、杜ファミリーが総力を上げて開発した栄養補助食品ね。売れるわよ、これは」  
祖母が満面の笑みを浮かべるのだが、母の蛍と妹のアユミにそっくりなので驚く。   

「この人、オレのばーちゃん、だよな・・」と思いながら、マジマジと官房長官の顔を真剣に見返していた。
                       (つづく)               



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