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平成ヘタウマ文字物語ー00年代編ー

 前回の「90年代編」がややエモーショナルな雰囲気で終わってしまったが、まだまだ私たちの「ヘタウマ文字」の物語は続く。今回は90年代を経て、00年代に突入だ。00年代がまさに青春ドンピシャ世代の方もいれば、社会人なった方も様々だろう。社会人になり、しれっと上手く「ヘタウマ文字」を卒業した人もいれば、私のようになんとなく「ヘタウマ文字」が抜けきれず、字を書くことが「コンプレックス」に変わっていった人も少なからずいるはずだ。

90年代の土台を経て、00年代の「ヘタウマ文字」はどのように進化していったのだろうか?今回は令和に向けて少しづつ変化した「00年代のヘタウマ文字」を振り返りたいと思う。


▪00年代初期~2010年までのヘタウマ文字

今年は「Y2K」ファッション」など2000年代が注目されているが、1999年と2000年と比べてみると、「ヘタウマ文字」自体にはそんなに変化はないように思う。
ステーショナリーに関しては徐々に「デコ」を意識しラメものが多く発売されていった印象があるが、「ヘタウマ文字」に関してはいくら時代がミレニアムに突入したといっても90年代後半と同じような感じだった。

手紙文化も手帳文化もまだまだ継続してあったが、90年代と00年代で一番変わっていったのはやはり携帯電話の普及だろう。
1999年のドコモの「i-mode」と旧DDIセルラーグループ・IDOの「EZweb」の登場である。携帯メールの登場により、相手にメッセージを送るとき、絵文字や顔文字が使えるようになったのは非常に大きな出来事だった。

90年代からステーショナリーも含めて「文字」を書くことが好きだった私たちだが、当時こぞって「ケータイ」に夢中になったのは言うまでもない。新たなコミュニケーションツールの登場ともに「ヘタウマ文字」の文化もまた緩やかに変わっていった。

【Seventeenモデルから発祥の「セブモ文字」】

 2000年はあまり90年代後半と「ヘタウマ文字」も差ほど変わりはなかったが、2007年頃になると変化していった。00年代の変貌が徐々に顕著になってきたのもこの2007年辺りからだと思う。驚くべきことに、それまでティーン誌を引率していた「プチセブン」が2002年に休刊となり、「Seventeen」が女子高生のカルチャーを引率するようになっていった。

また別途に記事にする予定だが、この時代の「Seventeen」は90年代の「Seventeen」とは違う雰囲気になってき、往来の「モデル」や「読者モデル」の雑誌というよりもブレイク直前の女優やタレントが多く在籍している雑誌へと変化していった。それ故に、「ヘタウマ文字」のカルチャーもただ「流行」を模倣するのではなく、「憧れのSeventeenモデルの文字」を参考にするような風潮になっていく。

2007年からなんとなく女子高生の文字が参考画像のような文字になっていったとは思うが、実はこの「ヘタウマ文字」はSeventeenモデルだった徳澤直子からの「ナオコ文字」や桐谷美玲の「美玲文字」から発祥した「ヘタウマ文字」だったのだ。

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2007年 /seventeen/4月号/集英社
2008年/seventeen/4月号/集英社
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2007年 /seventeen/4月号/集英社
この文章を書いている時に気が付いたのだが、「㌧」などの言葉の使い方がやや「整形男子アレン様」こと、「アレン様構文」の雰囲気を感じる。「アレン様構文」によく使用される「㌔」は見つからなかったが、アレン様の人気も含めて「00年代の構文」は令和になった現在も愛されているように思う。
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2007年 /seventeen/4月号/集英社
90年代比べると、ヘタウマ文字ながらも丸みがあるせいか、どこか女の子らしさを感じる。
「美玲文字」「セブモ文字」からの発祥ではないと思うが、顔文字のイラストもこの時代の定番になった。

【「デコ」が進化した00年代のヘタウマ文字】

  2006年から「小悪魔ageha」の雑誌が登場し、世の中に「盛り」が次世代カルチャーとして浸透してきた頃、それに伴うような形で「デコる」カルチャーも浸透しきた。元の状態から過剰に装飾するというカルチャーはまさにこの時代を象徴しているように思われる。

改めて振り返ると、この時の女子高生が90年代のバイブスを引き継ぎ、ポスカを駆使してデコっているのがなんとも微笑ましい。カスタム具合も進化していき、絵文字を使ったり、ポップな雰囲気に仕上げているのが特徴的だ。また画像のノートは定番の「Canpus」だが、無印良品のノートにデコるのも人気で無印良品にデコったノートは見た目の印象からか「古着系」とも呼ばれていた。

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2007年/Hanachu/5月号/主婦の友社
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2007年/Hanachu/5月号/主婦の友社
2007年/Hanachu/5月号/主婦の友社

【画嬢で味わう手書きの文字】


 携帯電話に夢中だった私たちは、待ち受け画像にもこだわった。
2003年にカナヘイ氏が携帯電話向けに待ち受け画像として配布したイラストとポエムが、女子高生の間で大ヒットとなる。以降、自作の待受画面やデコメールを作るブームが到来し、この派手な待ち受け画像は「画嬢」と呼ばれ、2006年にはストレートな気持ちをぶつけた「パネェ画」など様々なバリエーションが「画嬢倉庫」や他サイトで展開されていった。

「画嬢」の流行を振り返る時、どうしてもポエム画の思い出が先走ってしまい、この流行を親しんでいた者から悲痛な叫びがどこかから聞こえそうだが、改めてよく考えてみて欲しい。

この文化はまさに現在のような背景透過スタンプの黎明期だったと私は思う。
そう考えると、このデコ画像も黒歴史どころかきちんとした「歴史」に残るほどのカルチャーだったのではと思ってしまうのだ。またポジティブに考えることによって、心が少し軽くなるので、是非私の考えは心の何処かにしまって欲しいと願う。

Tajimax制作
Tajimax制作

【00年代のステーショナリー】

 ステーショナリーに関しては、90年代と比べると特に目新しいものが出現した印象はないが、00年代に入り、ややステーショナリーも「デコ」寄りにシフトされていったように感じられる。90年代のステーショナリーと言えば、1997年に発売された「ミルキーペン」などが代表だが、00年代に入るとラメを基調としたゲルインクのボールペンが目立つようになる。特に2000年頃に発売された「ティアラ」や「アクアリップ」「フチドール」辺りのペンは使用して方もいたのではないだろうか。また、「デコ」アイテムとしてポスカも継続して人気だった。

2000年/プチセブン no.9/小学館/TiARA広告
2003年/Cawail!11月号/主婦の友社/アクアリップ広告
2003年/Cawail!11月号/主婦の友社/アクアリップ広告
2003年/seventeen4月号/集英社
右からフチドール、アクアリップ、ティアラ。
Tajimax私物

【00年代の代表ギャル文字】

 00年代のギャルカルチャーのなかでも、何かと話題になる「ギャル文字」。
主に「書く」というよりも、ケータイの普及に伴い、人気になった文化だ。
ギャル文字は2003年頃に現れた文化だが、どこか暗号めいたところがあり、使用していた者以外は少々難解なところがあるだろう。
それ故に、この「ギャル文字」が広い範囲で流行したというよりも、「ギャル文字」を親しんだ者と使用したことがなかった者とで二極化された印象がある。
私はギャル文字に対して二極化されていたという点に対してはどこか90年代の「タギングカルチャー」と同じような匂いを感じている。

「ギャル文字」を解説すると、下記なようになる。

▪走 召ヤ八”ッ!!∧”w∟⊂う忘れナニ!!
→超ヤバッ!!べんとう忘れた!!

▪八” T├の面キ妾(こ〒〒っτ<ゐЙё
→バイトの面接に行ってくるね

上記のように半角や記号、数字、漢字、ロシア文字、ギリシャ文字、特殊文字などを分解して文章を組み立てる。基本的に当時は区点コード使用して文章を作っていた。読みづらさもあり、一文の内容を理解するのに煩しさを感じるかもしれない。だが、実業之日本社発行「ギャル文字下手文字公式BOOK」の本にも記載されているように全ては「可愛く楽しくメールしよっ!」この言葉に尽きるのだ。

【番外編トンパ文字】

 2002年のプチセブンを読み返すまで、この流行があったことすら記憶になかったのだが、「ギャル文字」と同じような系統で「トンパ文字」というのがあった。

トンパ文字とは、中国のチベット東部や雲南省北部に住む少数民族の一つナシ族に伝わる象形文字の一種のことを指す。

トンパ文字を理解していないと、一文すら内容が分からないという、暗号めいたものだった。ギャル文字にも同じことが言えるのだが、秘密の内容だからあえて暗号のような文字を使用しているのではなく、全ては手紙を渡す相手に楽しんでもらいたいという思いからきている。90年代の手紙カルチャーでも同じことが言えるが、大人になるにつれて手紙の内容も形式化された定型文な内容になっていくのでこの時代の手紙を送る際の気持ちは大切にしたいと改めて思う。

2002年/プチセブンno.2・3合併号/小学館
2002年/プチセブンno.2・3合併号/小学館

【平成最後のヘタウマ文字】

 2009年頃になると、かつてのような女子高生ブームも落ち着き初めてきた。
もちろん、ティーンの流行がないわけではないが、90年代から2007年のように斬新な「ヘタウマ文字」がポコポコ生み出されたというよりは、新たに生まれるケータイコンテンツやブログの方に夢中になっていった。ギャル雑誌も徐々に陰りをみせているなか、かつての先輩たちのバイブスを引き継ぎ、ヘタウマ文字を継承していた雑誌が『Hana*chu→』(ハナチュー)だった。

『Hana*chu→』(ハナチュー) は、2003年に主婦の友社がファッション雑誌だ。当初は、ナルミヤ・インターナショナルのジュニア系を卒業した女子中学生が読む雑誌として発売された。主な読者層は女子中学生でコンセプトは「イケてる中学生のためのおしゃれマガジン」。『Cawaii!』の妹系でデビューした雑誌でもある。

『Hana*chu→』(ハナチュー)に記載の「ヘタウマ文字」は「盛り文字」「ゆる文字」と称されていた。「盛り文字」は「セブモ文字」に比べると横に潰れ、ポップな感じがさらに滲み出ている。かつての「セブモ文字」をそのまま上手く取り入れ進化している感じだ。また、「ゆる文字」に関しては「盛り文字」や「セブモ文字」に比べて幾分か字形が整っていて「気さくさ」よりも「女の子らしさ」が滲み出ているのが特徴的と言ったところだろう。

ちなみに『Hana*chu→』(ハナチュー)は、「仲仔(仲良し)」などの言葉も生み出しており、読者層が中学生ながら新語も含めて、2010年前に代表とされる流行を生み出したものが多い。しかし、そんな『Hana*chu→』(ハナチュー)も2011年の5月を最後に休刊になってしまった。

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2009年/Hanachu/11月号/主婦の友社
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2009年/Hanachu/11月号/主婦の友社
2009年/Hanachu/11月号/主婦の友社
2009年/Hanachu/11月号/主婦の友社

【番外編 90年代ヘタウマ文字時代を謳歌したその後の…残酷すぎる「美文字」ブーム!】

 90年代のヘタウマ文字を謳歌した私も含めた女子高生も2009年頃には立派な大人になった。この時の私はヘタウマ文字が未だ抜けきれず、「まぁ、いいか…」とユルユルと生きていたが、そんな私に転機が、いや逃げられない事態が発生した。2009年に話題になった「美文字ブーム」である。

今でこそ、定番になった「美文字」という言葉だが、この言葉が定着する前に雑誌などで女優の中谷美紀さんなどがこぞって美文字について語っている記事を拝見すると、もうそろそろやばいのでは…そう頭によぎったのである。今までなんとなく許されていたヘタウマ文字の賞味期限…若くないんだし、大人としてちゃんとしなきゃね!と世間に言われているようだった。また、私は当時この「美文字ブーム」がただの一過性のブームに終わない、世間的な常識になりそうで恐れていた。
そして、その思いは現実となった。

2014年/ハッピーになれる美文字練習帳/株式会社 金の星社/監修・和田康子
2014年/ハッピーになれる美文字練習帳/株式会社 金の星社/監修・和田康子

▪そして令和へ

 令和に入る前に平成の終末の辺りを追ってみたいと思う。果たして、この微妙に新しさがある微妙な時代の文字はどう変化していったのだろうか。正直言って2016年以降はかつてほどの特徴的なヘタウマ文字の流行はなく、ほぼ壊滅したと言ってもいい。だが、確実に次世代へ向けて文字の流行も進化していったのである。

 その進化の過程で私のなかでひとつ疑問が起きた。何故、現代の女子高生の文字がきれいなのか?美文字まではいかなくても、私の青春時代とは全然違うのだ。この疑問に関して、私が通ってる美文字教室の先生曰く、「主にコミュケーションがスマホに移行し、手書き文字の流行自体がなくなったからではないか?」といった意見でまとまった。

確かに「文字の流行」そのものがなければ、最初から「既存の美しい文字」を意識しざる終えない。あくまでも今までのヘタウマ文字は私たちのコミュケーションの一環だったということを再認識した。ちなみに先生は、小学生から社会人まで美文字を教えている先生である。より深く話を聞くと、最近の女子高生は割と最初から整った文字を書いており、「ヘタウマ文字」の癖がある文字でもないという。

◾️文字にエモさを

 2016年のゆーきゃんの流行語大賞に「エモい」がある。今だと、SNSで「エモい」という言葉は珍しくもないが、当時は誰もが「エモ…い??」という風に混乱しただろう。改めて「エモい」のこと調べてみると、以下の意味になる。

【エモい】
感情が揺さぶられた時や、気持ちをストレートに表現できない時[1]、「哀愁を帯びた様」[3]、「趣がある」[4]「グッとくる」などに用いられる。(wiki参照)

日本語の「えもいわれぬ」から派生したとする説や音楽業界から広まったなど、いくつか諸説はあるが、私としてはコラムニストの荒川和久氏が解説した落合陽一氏にとっての「エモい」の解説が一番しっくりくる。落合陽一氏にとってのエモいはロジカルの対極にある、一見ムダなものであり、『もののあはれ』や『いとをかし』といった意味合いだ。一見、単純な若者言葉のような雰囲気があるが、調べれば調べるほど、とても日本的で情緒を重じる日本人が好きそうな言葉だと私は思う。

少し話が逸れてしまったが、ちょうどこの「エモい」という言葉の出現から再び「文字カルチャー」の流れも変わってきたように感じるのだ。

▪デジタル時代に見直されるアナログ文化とフォント化時代

 さて、近年の「文字」を振り返ってみよう。
「90年代長文ヘタウマ文字」「00年代ギャル文字」と「文字」も様々な流行を経て、今度は「エモさ」が加わった「手書き文字」が流行となる。
ここで言う手書き文字は「エモさがある手書き文字」だ。
飲食店とかの看板にあるような筆で書いたような文字ではない、ボールペンでサラッと書いたような文字のことを指す。(※「エモさがある手書き文字」だと長くなるので、以下「エモ文字」と述べる。)

もっと細かく振り返ると、2014年辺りの80年代ブームで一時的に「丸文字」がかわいいと再評価された。だが、女子高生がこぞって書くほど流行したかというと、決してそうではなく、あくまでもイラストやグッズなどの「デザイン」としてのリバイバルだった。

 このエモ文字は、2016年から振り返ると広告などで見かけることが多くなり、今では流行の最先端のポジションにまでなった。
しかし、ここで注目したいのがエモ文字は広告のみならず、インスタなどの情報アカウントや夜職の方向けの写メ日記にも好まれるようになったのが大きなポイントだ。2010年以降、流行の文字が出てこなかったなか、一般ユーザーにまでこの「エモ文字」が浸透したのは非常に大きい出来事なのではないだろうか。

最初は「エモ文字」だとなんとなく今っぽい雰囲気があるといった感じだったが、この「今っぽさ」というのがインスタとの相性が非常に良く、次第に企業から一般アカウントまで幅広いところで見かけるようになったのも特徴的だ。

またちょうど2020年辺りから「チルい」など、スラング用語の「Chill」=チルと引っ掛けた言葉も流行ったが、この「チル」の状態を示す「ゆっくりまったり」といった雰囲気とも「エモ文字」との雰囲気と相性が良いように思う。

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ココナラでrunrun氏にオーダーした「エモ文字」。
写真を風景写真にして「文字」を変えるだけで「平成ガールズカルチャー論」の雰囲気もだいぶ変わる。Twitterのアカウントも含めて当時をただ振り返ったりしているだけのアカウントだが、この「エモ文字」だけみると、同じ「平成」を語るにしてももっと真面目にちゃんと語っている印象がある。

 このエモ文字は「エモい」と言うだけあって、心にグッとくる訴求力やユーザーとの距離感が縮んだり、情緒が感じられるところが興味深い。確かに、ギャル文字、ヘタウマ文字も「親しみやすさ」といった点は確かにあった。だが、やはり10代のイメージが強く、幅広い年齢で考えると嫌厭とまでとはいかなくても、使用する際に「限定」される印象がある。その点、「エモ文字」は年齢が限定されないところが継続的に人気がある理由のひとつだろう。

 また、夜職の方向けに2019年辺りから写真加工の時に使用するスタンプのような感じで手書き文字の背景透過スタンプが人気となる。この手書きのようなスタンプは非常に凡庸性が高く、このスタンプがあるとないとでは、先程に述べた訴求力といったところで全然写真の雰囲気が違うのだ。特徴としては、文字の大きさや小ささ、全体のバランスも含めてどこかアイドルのサインっぽい雰囲気や、文字に丸みがあり「かわいい女の子らしさ」がある。かといって、80年代「丸文字」のような丸すぎて読みにくい文字でもない。

先程の美文字教室の先生の言葉を借りれば、まさに「割と最初から整った文字…」の言葉そのままである。少し崩してはいるが、しかし、崩し切っているワケでもない…非常に絶妙なラインの「文字」だ。今まで長文ヘタウマ文字、ギャル文字、デコ文字、盛り文字と色々あったが、この「背景透過スタンプの文字」は元気なギャルっぽさというのがない。イメージとしては「かわいい、清楚、女の子らしさ」といった雰囲気があり、この辺も時代との関わりが興味深いところだ。

「今っぽさがある女の子の文字は?」と聞かれたら、私は真っ先にこの背景透過スタンプを挙げるだろう。女子高生でなくとも人気のかわいい「文字」であるのには間違いない。そして、何よりも一番「令和っぽさ」を感じるのだ。何より自分が書いた文字ではないのだけど、自分で書いた文字っぽいといったところがポイントだと思う。また2000年代初めから定番になった顔文字も令和の人気の顔文字と比較するとだいぶかわいくなっていたり、人気の定番フォントがあったりと色々興味が尽きない。

 ココナラでも「手書き 文字」で検索すると、溢れるばかりに「手書き文字」で出品されているクリエーターが出てくる。どんなにスマホの時代になろうが、「手書き」という文化がなくなることはないのを痛感してしまう。ここでも完璧な「美文字」よりもサッと一筆で書いたような「エモさ」のある文字が人気だ。

不思議なのが、自分で「エモさ」を追求して書いた文字ではなく、「他人」から得る「エモさ」というのが興味深い。私たちの頃のように、ヘタウマ文字を練習してなんとか会得するというよりも、他人の書いた「ちょっとしたエモい文字」がいいのだ。また毎回クリエーターに依頼せずとも、フリーフォントのサイトも増え、エモ文字をフォント化してダウンロードで簡単に入手される時代になった。実際に私自身も購入して使用してみたところ、「ちょっとしたいい感じのエモ文字」に酔いしれてしまい、画像などを制作する際に本来の自分の文字を書く気が失せたぐらいである。

自分が書いたようで自分は書いていない文字。

他人が書いた文字なのだけれど、昔どこかでなんとなく見たことがあるような少し懐かしさがある文字。

ここ最近、aiが描くイラストも話題になっているが、これもひとつの時代をよく現しているように思う。

▪私たちの「書く」という文化

 さて、長きに渡り「平成ヘタウマ文字」について語ってみたが、いかがだっただろうか。一言に「文字」と言えども奥深い。単純な流行やカルチャーといった言葉では片付け難い、それぞれ各時代の10代の少女たちが築きあげてきた日本独自の文化だとも思う。

丸文字から始まり、長文ヘタウマ文字、ギャル文字、セブモ文字、盛り文字…と様々な変遷を経て今の「エモ文字」に辿り着いたかと思うとなんだかとても感慨深い。たとえ元号が変わっても、世の中がデジタル化しても「手書きの文字」がいかに人の心を惹きつけるのかというのを痛感してしまう。

私たちの「平成のヘタウマ文字」は、やや嘲笑的な「平成カルチャー」として扱われがちだが、この時代の「ヘタウマ文字」を使ったコミュニケーションはメッセージを送る相手に対しての思いが一番にあった。

私たちは大人になっていく程、形式ばった内容の手紙に捕らわれてしまいがちだ。しかし、今回の青春時代の「ヘタウマ文字」を振り返ることにより、ほんの少しだけあの頃の「文字を書く」楽しさを思い出していただければ幸いである。私自身も未だ継続して美文字教室に通っているが、なんだかんだ続いているのは、あの頃と同様に字形を意識したりして「文字」を書くことが楽しくて通っている。

「書く」と言うことはどんな内容であっても、自分と向き合う時間だったり、相手を思う「優しい時間」だったりもする。そして、かつての自分の「ヘタウマ文字」もあまり嘲笑的にならず、どうか「青春の欠片」として大切にしまって欲しい。

だって確かにあの頃、あなたも私も思いを込めて文字を書いていたのには変わりなかったのだから。






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