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平成のマルイ系ファッション

ある日、また残念なニュースが耳に入ってきた。

今年の8月29日に池袋マルイが閉店してしまうというニュースである。

あまり池袋に馴染みがない方にとっては「ふーん」と思うだけかもしれないが、ブクロ民の私にとっては一大ニュースだ。そしてまた、池袋の商業施設が一つ消え去る寂しさを感じた。

池袋のマルイと言えば、西口で遊ぶ時の待ち合わせスポットの一つだったと思う。基本的に、西口で遊ぶ時の鉄板の待ち合わせだと西口公園噴水前(現グローバルリング)、北口出口付近、池袋マルイ前は池袋で遊ぶ時に待ち合わせ場所に指定した方もいるのではないだろうか?

西口特有の治安の悪さは相変わらずだが、これでも少しは昔よりはマシになったんじゃないかとここ最近しみじみ思う。

今回は「さよなら池袋マルイ…ありがとう池袋マルイ…」ということで平成のマルイ系ファッションについて振り返りたいと思う。

◆お姉さんファッションの登竜門

今回はあくまでも「レディース」と「池袋マルイ」について語りたいと思う。

というのも、改めて「マルイ系」でネット検索をかけたところ主にメンズについての記事やファッション関連のスレッドが多く出てきたのだが、男子にしか分かり得ないであろう一種の「闇の深さ」を垣間見たのでメンズのマルイ系ファッションについては私の口からは語らないことにした。

「マルイ系 女子 レディース 」で検索しても特にコレといった項目は「値段が高い」という意見以外、見当たらないのだが、「マルイ系 男子 メンズ」で検索すると色んな意見が出てくるので不思議だ。だが、それだけ男子にとって「マルイ」の存在が女子よりもきっと大きいのだろう。(ダサいダサくない論争が多いのでそう思うことにした)

もしメンズのマルイ系ファッションやブランドについて深く知りたかったり、振り返りたい方は、ファッションのプロ山田耕史さんのブログをぜひ参考にして頂きたい。(私が語るよりも遥かに確実なので)




さて、話を戻そう。私と同年代のアラサー、アラフォーの方は「マルイ」といったら何を思い浮かぶだろうか?

私はダントツで「JAYRO(ジャイロ)」である。

残念ながら2000年にスタートした、姉妹ブランドの「JAYRO white(ジャイロホワイト)」とともに2013年に閉店してしまったが、「JAYRO(ジャイロ)」はパンツスーツやバックなどお姉さんアイテムがお得意のブランドだった。(同時期にあった姉妹ブランドジャイロ ジャイロも人気だった。ブランドは休止してしまったが、ジュン公式オンラインのアウトレットや一部通販などで未だJAYRO(ジャイロ)の服は販売されている。)

一時期「お姉さんファッション」に憧れた私はセール時以外でしか、なかなか手が出なかったが、それでもちょこちょこ「JAYRO(ジャイロ)」で買っていた記憶がある。

90年代後半、特に95年〜98年にかけては安室ちゃんや朋ちゃん、MAXがパンツスーツをカッコ良く着こなしていたのもありパンツスーツ人気が凄かった。それもあってかパンツスーツやお姉さんアイテムを取り扱うブランドに憧れがあったのだ。

「90年代のファッション」というと何となくミジェーンやアルバローザ、ラブボートといったイメージが強いかもしれないが、OLさんやお姉さんブランドの中だとクールでカッコイイ「JAYRO(ジャイロ)」は人気だったと思う。

また「JAYRO(ジャイロ)」の他「MORGAN(モルガン)」、「Private Label(プライベートレーベル)」、「ピンキー&ダイアン」「LAST・SCENE(ラストシーン)」などが当時の池袋マルイには入っており、マルイは109とはまたひと味違う「カッコいいお姉さん」や「イケてるOLさん」が買い物をする場所だった。(「Private Label(プライベートレーベル)」、「ピンキー&ダイアン」は現在もある。)

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※1997年Popteen1月号 / 角川春樹事務所
お姉さんテイストの服が売ってる「JAYRO(ジャイロ)」はロゴも含めて「大人っぽさ」を手に入れたい女子に当時大人気だった。

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※1999年Popteen5月号 / 角川春樹事務所
私より下の世代からすると意外に思うかもしれないが、当時マルイはシーズンごとに特集を組まれるくらいオシャレなスポットだったのだ。

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言葉にすると少し難しいが、マルイは百貨店に似た店舗形態ではあるが、伊勢丹や百貨店ほど高価でもなく、ちょっと背伸びしたい時に買い物をする…伊勢丹や百貨店で取り扱いのないブランドがある…というちょうどいい絶妙な「間」のポジションだったと思う。(とは言え、高校生が買い物をするにはなかなか勇気がいる金額でしたが…)

また現在はコロナ禍で閉店が続いているが、当時は地方にも多数出店していたので私と同世代の方はこの時はよく最寄りのマルイに訪れたり、買い物をした方も多かったのではないだろうか?

最近のマルイが何となく変わっていったのは知っていたが、私の90年代の記憶の中だとマルイと言えばイケてるお姉さんブランドが多いお店…のイメージが強い。またあくまで「90年代」の括りで振り返ると、男子のファッションもマルイ=イケてるお兄さんブランドのイメージがある。

ネットで乱立する男子のマルイ系ファッション論争はさておき、98年の「東京ストリートニュース」を見ると、高校生に見えないくらいマルイ系ファッションを着ている男の子達は大人びて見える。

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※1998年東京ストリートニュース5月号 / 学研 / 男子も女子も背伸びしたい時や「大人っぽさ」を手に入れたい時はとにかく「マルイ」だった。正直、ストニューに関しては毎回モザイクを入れるのが本当に惜しいくらいカッコいい男の子が多い。

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またアクセサリーも「lovers mode(ラヴァーズモード)」、「THE KISS」などペアアクセサリーが充実しているイメージもあってか、マルイは「ちょっと大人びた」イメージがあった。

池袋マルイに関しては00年代に入ると1Fにサマンサタバサも出店し、少なくとも00年始めまでは池袋マルイも元気だった記憶がある。

そしてマルイと言えば「赤いカード」だ。日本初のクレジットカードを導入し、「分割でブランドを買う」という文化をヤング層に根付かせた。(超意外かも知れないが、江戸時代の月賦販売から初めてクレジットと言う言葉に変わったのは、1960年に株式会社 丸井が取り入れたことが始まりとのこと)私と同世代、もしくは少し上の世代はマルイがイケイケドンドンの時にちゃっかりこの「赤いカード」を作り、手にした方も少なからずいると思う。(ちなみに私の友人はこの赤いカードの魔法の力で我を失いよく泣いていた)

◆現在のマルイ

改めて池袋マルイとともに、現在のマルイのショップを見てみよう。

私は正直言って、池袋での買い物もここ何年間は西武かルミネ以外使ってなかったので、最近の池袋マルイに関してはセリアかフランフランにお世話になった思い出しかない。

下の写真は最近の池袋マルイのフロアガイドである。

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…池袋マルイに関してはファミリー向けなのか、学生向けなのか、ヲタ向けなのかイマイチピンと来ない…。レディースに関してもやや微妙な感じだ。

そして閉店のカウントダウンが心に染みる。ただ閉店が近いからか、店員さんの顔もどこか穏やかでピリついた感じもなくどのフロアもなんだか雰囲気が良い。

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他店舗のマルイも見てみよう。

渋谷マルイはsnidel(スナイデル)とジェラートピケ、新宿マルイ本館はJUSGLITTY(ジャスグリッティー)、上野マルイには、MERCURYDUO(マーキュリーデュオ)…と意外と人気ブランドも多々ある。

snidel(スナイデル)、ジェラートピケ、MERCURYDUO(マーキュリーデュオ)、JUSGLITTY(ジャスグリッティー)辺りの人気ブランドが入っているのを見るとまだまだ安泰なのではないだろうか。

90年代やかつてのDCブランド全盛期の80年代のイケイケ感はなくとも、この辺りのブランドを見ると商業施設感はある。

私は他店舗のマルイに関しては数えるぐらいしか行ったことがないのだが、やはり「マルイ」そのもので見ると他店舗が多いだけあって新宿が一番元気に感じる。

そう思うとなんだかんだ言って、マルイはメンズが一番元気なのではないだろうか?

新宿のマルイに関しては、私は新宿マルイワンの「豆千代モダン」でよく帯留や帯紐などの小物を買っていたので、改めて振り返ると新宿マルイワンも懐かしく感じる。

先日この記事を書くにあたってにマルイの思い出について友人に電話をしたら、新宿民の友人は当時新宿マルイワンにあった「JESUS DIAMANTE (ジーザスディアマンテ)」に課金しまくった思い出と歌舞伎町の某店に課金しまくった合計金額が蘇ったらしく少し凹んでいた。

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※JESUS DIAMANTE (ジーザスディアマンテ)…かつて新宿マルイワンにあった元祖姫ギャルブランド。2006年辺りは特にカリスマ店員とともに「姫系ファッション」が好きな姫ギャル達に大人気だった。現在も東京・名古屋・大阪に店舗を構えている。多分私と同世代なら知ってる方も多いと思う。

そんな新宿マルイワンも2013年に閉店したので時間の流れを感じてしまう。

特に新宿はリニューアルとともに出店形態が様変わりするので、今回の記事を書くにあたってつい最近のことでも「不況」と「コロナ禍」と「時代の厳しさ」を深く再認識してしまった。

90年代後半のまだまだ芋臭い時の私は「いつか彼氏が出来たら、池袋のマイルでペアリングとか買うんだろうな〜」とか「クリスマスにプレゼントとかされちゃうんだろうな〜」とかほんのり思っていが、そんなことは一切なく池袋のマルイは閉店に向かってしまった。

その名残惜しさと悔しさのせいか、8月は何故か池袋マルイのフランフランでアホのように散財してしまったが悔いはない。

セリアだけは…セリアだけは池袋のどこかに残ってくれ…という思いはまだあるが、これも時代の流れなのだろう。仕方あるまい。(と言いつつ、新宿まで行くのは面倒なのでサンシャインの中か池袋のどこかには作って欲しい)

東急ハンズ、セガ、サンシャイン通りのケンタ…と私の記憶にある池袋がどんどんなくなって寂しくなってしまうが、残された時間で出来るだけこの眼に焼き付けておきたいと思う。

8月29日まであと少し…。夏の終わりとともに池袋マルイも幕を閉じる。

44年間ありがとうございました。

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