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平成ヘタウマ文字物語ー90年代編ー

 実は4月から「美文字教室」に通っている。本来は20代のうちに治していくべきことだったとは思うのだが、この文章を書くにあたって改めて「ヘタウマ文字」とを深く考えるついでに「美文字」も比較対象として学びたいと思ったからだ。
不思議なもので、「美文字」は学べば学ぶほど、緩やかな速度だが確かに上達はしていく。しかし同時に、今までの自分のクセだった「ヘタウマ文字」が徐々に薄れていく感じがして「もう二度とあの文字が書けなくなってしまうのではないか」という不安が募る。

先生には申し訳ないが、私は「ヘタウマ文字」が自分の中から完全に消滅するのが本当は嫌なのかもしれない。確かに「ヘタウマ文字」は高校を卒業した時点でそれは「コンプレックス」へと進化していった。だが、「美文字」を学んで気がついたのだが、あれはまさに私たちの「青春の欠片」だったのだ。
今回は私たちのまるで大河ドラマのような「平成のヘタウマ文字」について語りたいと思う。

▪ヘタウマ文字とはなんぞや?

 各時代のヘタウマ文字について語る前に、この「ヘタウマ文字」について欠かせない2冊を紹介したい。アクロス編集室の「ヘタウマ世代 長文ヘタウマ文字と90年代若者論」と山根一眞氏の「変態少女文字の研究」の2冊の本である。

 「変態少女文字の研究」は80年代の丸文字文化、アクロス編集部の「ヘタウマ世代 長文ヘタウマ文字と90年代若者論」は丸文字文化から長文ヘタウマ文字の流れ、またそれを踏まえた上で「音楽」「ファッション」「ステショナリー」と当時のカルチャーをふんだんに語っている。この2冊は大変な良書なのでより深く時代を分析したり、ヘタウマ文字そのものを研究したい方はこちらの2冊の一読を是非オススメしたい。

 ちなみに「長文ヘタウマ文字」という言葉はアクロス編集部からの発祥で、この長文ヘタウマ文字を一つの90年代カルチャーとして遥か昔の94年にとっくにまとめてあるので脱帽してしまう。正直言って長文ヘタウマ文字や文字カルチャーに関してはこの2冊でほぼ完結してしまう。しかし、そうすると、私の役目もなくなってしまうので「ちょっとその先の時代のカルチャー」と「資料発掘」ぐらいはせめて皆様のお役に立ちたいと思う。

アクロス編集部/「ヘタウマ世代 長文ヘタウマ文字と90年代若者論」
山根一眞/「変態少女文字の研究」

▪90年代のヘタウマ文字

 早速、90年代特有の長文ヘタウマ文字を振り返ってみよう。ヘタウマ文字とは80年代の可愛らしい丸文字と真逆でやや細長くカクカクしたとした文字のこと言う。丸文字に比べると字間が開き、「パピプペポ」といった半濁音の⚪︎の部分がやや大きめに書かれているのも特徴的だ。丸文字特有の「女の子らしさ」や「ぶっりっこ」といった印象に比べて、「サバサバとした雰囲気」や「気さくさ」が文字から感じられる。

 平成のへタウマ文字は90年代とともにやってきた。それまで「変態少女文字」と言われた丸文字からヘタウマ文字に浸透するまでそう時間はかからなかった。アクロス編集室の「ヘタウマ世代 長文ヘタウマ文字と90年代若者論」によると、少なくとも、93年には既に一般化していた。徐々に浸透してくのではなく加速して浸透していったのが面白い。なんのためらいもなく、一気にさっぱりとそれまで流行だった「丸文字」を手放したのだ。それは、令和時代を生きる私たちがいつまでも平成に固執する感じはなく、当時の彼女たちがまるで新しい時代を迎合しているようにも思える。

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1993年/プチセブンno.15/集英社

アクロス編集室の「ヘタウマ世代 長文ヘタウマ文字と90年代若者論」に書いてあった通り、93年には既にヘタウマ文字は出来上がっていた。90 年代後半、00年代に比べると全体的にややイラストっぽい雰囲気を混じえているのが特徴的だ。またバブル時期をひきずっているからか、言葉選びや響きに時代を感じる。
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1993年/プチセブンno.15/集英社

今回の項目からは外しているが「手紙」「ハガキ」「手帳」の他に「教科書」もなんだかんだ色々書き込んでいたと思う。「教科書」のラクガキに関しては、いつの時代も普遍的だが、やはりこの点においてもイラストを生み出す観点から「ヘタウマ文字」の助長に繋がるのではないだろうか。
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1993年/プチセブンno.15/集英社

ギャル語の黎明期とも言える特集。どこからやってきたのか起源は不明だが、なんとなくここから言葉遣いの悪さに「平成感」がプラスされたように感じる。用例を載せつつも、ペン字の先生が登場してくる辺り、この頃から「ヘタウマ文字の書きグセ」定着してきたように感じる。

▪90年代ヘタウマ文字の流行を加速させたカルチャー達(手帳、コラージュ、雑誌、手紙、タギング、ポスカ等…)

 90年代ヘタウマ文字の浸透の早さは驚く早さだった。そこには、また手帳文化や雑誌投稿、コラージュ文化の他に手紙文化も深く関係していると思う。まるでSNSと同じくらいの速度で、その流行は広まっていった。

私が唯一、80年代と90年代で違うと思うのは、カルチャーだけではなく魅惑的な「書く」モノのツールが一気に増えていったということだ。また、私たちのコミュニケーション媒体が上手くリンクしたのもひとつ言えることだろう。

【手帳文化】

 手帳文化の発達も90年代ならではだったと思う。当時の手帳はまさに「書く」ことによって得られるパーソナリティーの形成とも言える役割あり、より自分らしさを追求するのに欠かせない道具だった。
それ故に「ヘタウマ文字」も欠かせなかったことは言うまでもない。

もともとシステム手帳自体は女子高生の必須アイテムだったとは思うが、特に90年代は予定だけでなく、これ一冊を読めばその人が分かる「自分ノート」のような役割にまで登りつめた。好きなアーティストの歌詞、ポエム、欲しいもののコラージュ、はたまた好きな人のことまでびっちり書込められており、落としたらまさに顔面蒼白ものだった。サイズは主にミニ6穴が流行っており、キャラクターモノやブランド志向まで様々なタイプが人気を博した。

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※1997年/プチセブンno.22/小学館1997年
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1997年/プチセブンno.22/小学館1997年

【コラージュ文化】

 古雑誌をコレクションして、一番「90年代」を感じるのがところどころに「切り抜き」の箇所があるところだ。スマホにスクショが定番の現代からするといささか不思議に思うかもしれないが、この時代は切り抜くことは自分の好きなものを集める感覚に近かったと思う。今で言うと「ピンタレスト」のような役割だろうか。

結果的に「切り抜き」の行為が見られる雑誌は「ダメージ品」として扱われてしまうことになり、古雑誌の中での「価値」は下がる。だが「切り抜き」の箇所が多いほど、前持ち主がどれだけその雑誌を貪るよう読んでいたかよく分かり、私としては別の意味でその雑誌に対し「価値」を感じてしまう。集めた「切り抜き」をいかにカッコよく、「ヘタウマ文字」と合わせてコラージュするかが、腕の見せ所だった。またコラージュに関しては、コルクボードに貼ってインテリアにしたり、手帳やノートに貼ったりと用途も様々だった。

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1998年/プチセブンno.16/小学館
90年代後半のプチセブンの巻末辺りには、読者投稿のハガキコラージュが鉄板だった。

【雑誌投稿】

 Web媒体が徐々に多くなっていく現代では見かける機会が失われてしまったが、雑誌が元気だった90 年代は読者の投稿特集が非常に多かった。また、流行の情報源も含めて当時の「雑誌投稿」は貴重なものだったと思う。とはいっても、数あるハガキの中で雑誌に掲載されるのはごく僅か。全国各地から集まるハガキの中でいかに目立つかが重要だった。どうやったら編集部の目を引くか、毎回センスが問われるが、雑誌と睨めっこをしながら切磋琢磨に「ヘタウマ文字」やイラストの技を磨いていた。雑誌に自分のハガキやイラストが掲載された方はきっと嬉しかったに違いない。

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1994年/プチセブンno.14/集英社
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1995年/プチセブンno.7/集英社

【手紙文化】

 「ヘタウマ文字」を書くと言うこと一番に意識させたのは「手紙」だったと思う。正直、女子高生の「手紙」の受け渡しなんてものは、80年代から日常的にあったと思うが、この時代にとっての「手紙」は内容というよりもいかに「今っぽく」書けるかの方が重要視されていたと思う。もちろん、人間関係によっては深い内容の手紙もあったとは思うが、記憶の中には何気ないメッセージでポップに彩られた手紙の記憶が強いのではないだろうか。

この時の「手紙」は「LINE」や「メール」のような役割だった。ヘタウマ文字だけではなく、手紙の折り方にこだわったり、イラストがふんだんに散りばめられているのも、全ては「手紙を渡す相手に喜んでもらいたい」という思いからきているものだ。当時の手紙を見ると、気恥ずかしさを感じるかもしれないが、当時のいかに「相手に喜んでもらいたいか」というピュアな思いは、大人になるにつれ忘れつつあるので大切にしたい。

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1998年/プチセブンno.1/集英社
ヘタウマ文字も98年にはだいぶ賑やかになった。
やや「オジサン構文」に近いものを感じるが、当時はこの雰囲気が「今っぽさ、女子高生らしさ」があったのだ。
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1995年プチセブンno.22 / 小学館

私が学生の頃は友人に何かを伝える際は主に手紙が主流だった。ガラケーを持ち始め、i-modeに踊らされても私が卒業するまでこの手紙文化がなくならなかったのは不思議である。今思えば、授業中の暇つぶしだったかもしれないが、それでもメールを送るよりも当時は手紙を「書く」のが主流だった。
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Tajimax私物

私がSNS以外の世界で唯一、「プチセブン」について語りあえる方からいただいた手紙だが、折り方がまさに学生時代そのもので感動してしまった。何気ないメッセージの手紙でも私の大切な宝物になっている。

【タギングカルチャー】 

 タギングカルチャーも忘れてはならない。
タギングとは、街のあちこちに見られるスプレーペンキで描かれた落書きの一種で、特に個人や集団のマークとされるものを描かれたモノのことを指す。
当時はR&B、HIPHOPブームの影響もあり90年代中期から火がつき、ギャルやB-BOY中心に浸透していった。そのせいか、一般的に流行したというよりかは、主にクラブカルチャーに精通している者たちの流行という印象が強い。

だが、90年代中期にR&B、HIPHOPを好んで聞かずとも、この「崩したアルファベット」が何となくギャルの間で流行っていた…という記憶がある方もきっと多いはずだ。イラスト的な要素を含み、またポスカとも非常に相性が良かった「タギング」はここで述べる「ヘタウマ文字」というよりも、どちらかというと、ギャルカルチャーの印象が強い。しかし、「プチセブン」でも特集されている様子をみると、やはり当時のティーン世代には注目すべき流行だったことが伺える。

また、タギングがクラブカルチャーだけのものにならなかったのは、人気絶頂だったSPEEDのメンバー新垣ひとえちゃんのイラストの影響も「タギング」カルチャーの流行の浸透に一役買っていたのでは…と私は思う。

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1996年プチセブンno.13/小学館

▪「書く」ということをより一層楽しくさせたステーショナリー

  90年代は様々なコミュニケーションツールが乱立した時代だ。また、それ故に「書く」ことの楽しさを助長するステーショナリーがたくさん増えた時代でもある。「プチセブン」(小学館)「seventeen」(集英社)を筆頭に、新学期特集では必ずと言っていいほど、各ステーショナリーのランキングが掲載されているのも90年代の特徴と言えるだろう。

ステーショナリーは流行だけでなく、便利さも求められるところがあるとは思うが、この時代のステーショナリーは勉強をより良く…というよりかはどちらかというと、コミュニケーションツールの助長といった役割の方が強かったのではないだろうか。

【ミルキーペン】 

 90年代のステーショナリーというと、きっと多くの人がイメージするであろうミルキーペン。当時、あの魅惑的なパステルカラーに多くの少女が心を鷲掴にされた。1996年にぺんてるから発売された「Hybrid Milky」は「ミルキーペン」の愛称で当時の女子高生に愛された。不透明なパステルカラーゲルインキを業界で初めて採用し、黒い紙や写真にも書けるボールペンとして登場したが、当時のプリクラの流行や使い捨てカメラ、ネイル、また手紙文化とも非常に相性が良く、発売時期も含めてまさにドンピシャなタイミングだったと思う。

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Tajimax私物

【ポスカ文化】

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  ポスカはギャルカルチャーのイメージが強いが、必ずしもそうでなかったと私は思う。ポスカ自体は意外にも1983年に発売された商品だ。不透明の水性顔料インクを使用し、絵具のように鮮やかに発色し、乾燥後は耐水性がある。また、重ね書きに適し、にじみや裏移りしないなどの特長がある。
この特長が、当時のスクバ文化やタギングカルチャー、使い捨てカメラとの相性が非常に良く、また多くの女子高生に受け入れられた。そのせいか、ポスカは80年代の発売の割には90年代の印象が強い。

また1998年には筆ポスカ、パールポスカ発売され、一部のギャルは発色がいいとしてメイク時にも使用されていた。そこだけ切り取ると、やはりギャルカルチャーの印象があるが、現在も文化祭の段ボール看板やデコレーションにもなんだかんだ好んで使用されているので、ポスカ自体が「平成」という垣根を超えて、10代の特有の青春アイテムにまで登りつめたのではないだろうか。
実際に大人になるにつれて、使用頻度が少なくなってしまってきたのが少し悲しい。

【カラーボールペン各種】

 前途の「ミルキーペン」のみならず、インクに細かいラメの粒子は入った「ラメボールペン」など様々なステーショナリーが登場したのも90年代後半の特徴だ。もし、この時まで「丸文字」が続行していた時代だったらこのツールは生まれなかったと思う。これも、私たちが毎日あらゆるところで「書く」ことを勉強以外で費やし、こだわり続けた努力の結晶に近い。シャーペン、ボールペン、カラーペンのランキングもあまり「令和」とそんなに差を感じられないかもしれないが、シャーペンは何故か「Tikky」がダントツで人気だった。
(ちなみに初代のTikkiyは細めで、でこぼこのグリップが特徴的なデザインだ。)

また、カスタム大好き世代なのでシャーペンやボールペンなどのカスタムも流行った。ライターを使用するのでティーン雑誌にはあまり記載されていなかったが、一番みんなハマったのはライターでボールペンを炙ってねじるカスタムだったのではないだろうか。「何故、ボールペンを火で炙るのか?」などの動機を聞かれても、大変困るのだが、私の感想としても正直「ボールペン、炙るとヤベェ!!」といった非常に残念な記憶しかない。あの流行だけは今でも謎に包まれている。

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1997年/プチセブンno.17・18合併号/小学館
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1995年/プチセブンno.9/小学館
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1995年/プチセブンno.9/小学館
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1995年/プチセブンno.9/小学館
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1999年/seventeen no.6/集英社

◾️憧れの芸能人&アーティスト&漫画家の「平成ヘタウマ文字」

 90年代を振り返っても、著名人の「文字」に影響された人は多いのではないだろうか。今思うと、かなり豪華なことだが当時は当たり前のように著名人の連載が数多くあった。それ故に私たちの目に入ることが日常的にあり、憧れの「あの人の文字」に影響されることが多かった。「文字」の書き方をほんの少し意識するだけで憧れの著名人に近づけた気がしたのだ。

▪YUKI

Yuki/Girly★Swing/ソニーマガジンズ


▪矢沢あい

1999年/KEROUAC特別編集手作りBOOK/(株)バウハウス


▪さくらももこ

2000年/さくらももこ編集長「富士山」第一号/新潮社

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1999年/サンテピュア広告/参天製薬株式会社

▪吉川ひなの

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1999年/seventeen no.14/集英社


▪浜崎あゆみ

1999年/A BOOK /ソニーマガジンズ

▪番外編 日ペンのミコちゃんに託した希望

 今思うと、全く辻褄が合わないのだが、ヘタウマ文字の流行とともに必ず雑誌の裏には日ペンの美子ちゃんがいた。むしろ、ちゃんとともに10代を過ごしたといっても過言ではないくらい、まさに青春時代をともにした友人のような存在だった。1999年をもって一度は各誌から撤退した美子ちゃんだが、撤退の理由が主に電子メールとインターネットの普及という理由というのも仕方ないとはいえ、実に寂しいものがある。しかし、ファンの声援もあって2007年に見事復活。そして6代目の書き手も決まり、今も元気に活躍中だ。これからも陰ながら美子ちゃんを応援したいと思う。

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ミコちゃん/1995年/プチセブンno.6/集英社/裏広告

◾️90年代の「書く」という文化

 90年代の「書く」という文化は、まさにコミュニケーションツールと言える存在だった。ステーショナリーやギャルカルチャーの後押しもあるが、私たちにとって学生時代の「書く」という時間は大切な時間だった。勉強などは嫌だったが、手紙や手帳、コラージュなどの何かを「書く」ことによって他者とコミュニケーションを取り、「自分」を形成していったように思う。先生から言わせれば、「遊んでいただけでしょ」と怒られそうだが自分と向き合う大切な時間だった。
また、異性に「モテたい」という願望よりも「個性を発揮したい」「何者かになりたい」
という思春期特有の拗らせた思いもヘタウマ文字の文化を加速したように思う。
ここまで書くと黒歴史を綴っているように感じるかもしれないが、結果的にミルキーペンやラメボールペンなどの多彩なステーショナリーがこの時代に生み出されたのは私たちの「書く」ことにこだわったの努力の結晶だったのではないだろうか。どこかへ消えたあの手紙も、手帳もノートも全て私たちにとって大切な青春の欠片なのだ。





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