課題 「三つの敵」

ちょっと長いので目次です。



序 これを書いたわけとか



『ずっとやりたかったことを、やりなさい』という本の中に記載されている、ある一つの課題をやっていこうと思う。その課題とは、自分の創造性を邪魔しているのではないかと思われる過去に存在する「敵」を三つ炙り出すこと。そしてその敵について深く掘り下げていくこと、それが今回の課題である。


この本は、自分が大人になることにつれて、心の中に押し殺してしまった創造性を救済し、本来あるべきクリエイティブな自分を見出していくためのものである。この本には毎週にわたっていくつかの課題が載っており、記念すべき第一週目の課題は、さきほどにも記載した「三つの敵」を見つけることになる。上記以外にもさまざまな課題が課せられており、それらをこなしていくことで自分の中に押さえ込んでいた創造性が回復してくるらしい。とりあえずやってみることにする。


一、「恥」


まず、そもそも「敵」と言われてもどういうものなのかいまいちピンとこない。過去を振り返って、自分の創造性を殺してしまったきっかけとなることを見つけるのが課題なのだが、正直ピンポイントで創造性を殺してしまった出来事を見つけるのは難しい。ここ数日の間、自分にとっての敵とは何があるかとぼんやり考えていたのだが、いまいちピンと来ない。


なので概念で考えることにした。一つ目の敵は恥だ。
仮想敵として恥という概念にスポットライトをあてて、掘り下げていくことにする。

恥。
おそらく日本人のみならず全世界の人間が保ちうるであろう心の一つである。
大なり小なり、人それぞれに恥を持つ大きさは異なるだろうが、これがゼロである人はあまりいないであろう。どれだけ馬鹿騒ぎしている猿のような若者でも、誰彼構わず罵声を浴びせんばかりの開放的な老人でも、状況や環境次第でいくらでも恥を感じることはある。誰にだって根ざしている心である。


はじ【恥】ー 世間体を気にした時に、ばかにして笑われるのではないかと思われるような欠点・失敗・敗北・言動など(を自省する気持)。

新明解国語辞典 第八版

 

恥の多い人生を送ってきました、と語り出すことは容易である。そんなもの数えていけばキリがない。今回は自分の創造性に蓋をしてしまった出来事かと思われる恥を探していく。


もともと、自分は恥ずかしがり屋な人間であることは自覚している。小学生低学年の頃から音楽の授業でクラスメイトの前で歌うのが嫌になってきていた。そして高校の頃にはあからさまに人見知りをする学生に変貌を遂げていた。


自分を出すことに対する億劫な気持ちをどこかで拾ってきたのだろう。そしてそれは大人になるにつれて拾う数も増えていき、最終的にはいつ何時だって恥をかかないように生きるように努めている。この恥をかかないように生きることが、自分の感情に蓋をする行為につながっているのだろう。恥とは自分にとって向き合うべき概念なのだ。


高校受験の時、別段難しくもない公立の試験を受けた。みんな合格していくなかで、自分だけが不合格だったことがある。あれは人生で初めての巨大な屈辱だったように思う。誰もが普通に勉強していたら受かるレベルのものだ。自分は特に勉強ができるわけでもなかったが、全くできないわけでもなかった。ちょうど真ん中くらいの成績のやつだった。だから合格できると過信していたのだ。



試験を受けたあと、合格か不合格なのかすらも考えていなかった。自分は高校受験を受ける意味すらも曖昧なまま、ただ学校生活を開放的に過ごしていた。ただ普通に生きているだけでエスカレーター式に進路を進んでいくものだと思い込んでいた。それくらい自分は、良く言えば無垢な生き物だった。


しかし当然のことながら人生というものにはちゃんと試練が待ち受けており、通ることのできる扉は決まっているものではない。進むべく道は自分が選んでいくもののみで、実力がなかったり運がなかったりすれば選べない扉もたくさんある。自分は第一志望の高校に行く道を通る力がなかった。それに気づいた時には、すでに自分は受験を終えていた。


自分が不合格となったことはきっと同級生たちに知れ渡っているに違いない。そう考えると自分が惨めで仕方なかった。地元の仲が良かった連中とも気まずくて顔を合わすのが嫌になった。きっとみんなはこれから始まる高校生活に胸を躍らせているにちがいない。その感覚を自分だけが味わうことのないという現実を想像して、ぞっとした。一緒の高校に行こうと話していた友達とも会わなくなった。どんどん閉塞的になり、自信を失い、暗い性格になっていった。悲しい話であるが、勉強不足だった自分の責任でしかない。


そのあとが不思議だったりする。
巨大な喪失感が自分を襲ったせいなのか、高校入学までの春休みの期間の記憶が何故だか一切思い出せない。どれだけ思い出そうとしても、あの時の春休みの2週間の記憶が蘇ることはない。春休みの間、自分が何をしていたのか、何を考えて過ごしていたのか。わからない。それほどにショックだったということなのだろうか。


あまりのストレスに、その後は難治性のアトピー体質となり、大人になった今現在でもその体質と闘っていたりする。恥といえば恥の話である。恥というか屈辱的な話かもしれない。



二、「恐怖」


元来から怖がりな性格で、小さい頃から泣いてばかりの自分である。過去の自分を振り返る時、それが幼い時であればあるほど、泣いている自分が蘇る。いつ何時でもメソメソしている自分がいる。

・幼稚園に行きたくなくて泣いている自分。
・一人でいるのが怖くて泣いている自分。
・母親に怒られて泣いている自分。
・ホラー映画を観てしまって泣いている自分。


これらの元凶は「恐怖」にあると考えている。恐怖はいつ何時も自分自身に根ざしている感情であり、それが原因で足枷になることが多かった。逆に恐怖にあやかることで自分の身を守り続けていたのも事実であるが、過剰なのも問題である。今でこそ大人になって、そうそう怖がることも少なくなってきたが、これもまた、自分の感情に蓋をしているだけなのかもしれない。


きょうふ【恐怖】ー自分の身に危害が加えられる感じがして、極度に不安になること。

新明解国語辞典 第八版


今でこそ自信を持って自覚できることがある。


それは自分が従順かつ熱血な体育会系の人間ではなく、放埒的で浮足立った文化系の人間であるということだ。スポーツを見ることは少なからずはあるのだが、傾倒しすぎることはない。基本的に相手を負かしてやりたい気持ちなんてそうそう見つからない。自分はただ単に自分を守り続けて、しかし心の中は世界を旅していたい。それは文学の旅でもいい、音楽の世界でも、可能性さえ秘められればなんでもいい。その反面、外交をすることは自分の気持ちを満たすことばかりではない。わりと神経をすり減らして、犠牲となる心の一面も見出される。


しかし、子供の頃の段階ではそんな内向的な自分に気づくこともなく、そして内向的かつ文化的な自分を表現する力もない。さらにはそんな自分を見つけてくれて認めれてくれる理解者もいなかった。肝心の両親は、彼ら本人たちが進んでいく道以外の道に対して関心を持つことができない生き物のようだった。


公務員かつ体育大学卒業の父。高卒で銀行員を務め続けた母。それらの職業に罪はないが、子供である自分が親に認めてもらうためには、自分の中に内在している文化的な自分を捨てなければいけないこともあったように思う。仕方がなかったのだ。


そんな自分がサッカーをやってみたいと言い出したのは小学4年の頃だった。本当の気まぐれのような形で地元のサッカークラブに入ることになった。別に憧れの選手がいることもなかった。プロチームの名前も知らない。いわばにわかの存在でしかない。それなのに何故か自分はサッカーをやると言った。


今思い返すと、愚かでしかない。


自分は昆虫について調べたり、ひたすらにゲームキューブのカセットをやり込んだり、クラスメイトをどんな遊びをするか想像を巡らせたり、自由帳に奔放なままに書き散らす方が好きだったのだ。


残念ながら「vs相手」の世界に生きている人間ではなかった。チーム一丸となって、どうやって勝負して競争していくかなんて点で興味がなかった。ハングリー精神はもっと別の場所にあったのだ。もっと別の、脳みそ全体が空想で動き回るような不思議の国にいるのだった。笑われてもいいからその世界で生きていくのが価値観に沿ったものだったのだ。


それなのに統制を強いられる体育の国にその身を投げた。大きな声を出して、積極性を表明して、やる気があることを見せていく必要があった。サッカーを始めた最初の段階では、今までとは違ったこんな世界も悪くないと思っていた。しかし徐々に変わっていった。平日の学校生活が終わると、サッカーに行かなければならない恐怖の土曜日と日曜日が、毎週のように訪れるようになった。


辞めたいと言っても結果的には辞めなかった。辞めたい気持ちを押し切ることができなかったと言った方が正しいのかもしれない。なんとなく空気を読み解く力も同時にあったから、しんどいけれど続けたいという姿を両親に見せてしまったのだ。両親が自分に対してサッカーを続けてほしい、物事を継続させていける子供になってほしいと思っているのが見据えたのかもしれなかった。


両親にとって、世の中とは我慢して生きていくのが普通なのだ。こんなちんけな子供の悩みなんてかわいいものに見えたに違いない。これから社会人になって、どんどんツラい環境に立たされていくのだから、今は我慢をして生きていくための準備段階だと、そう諭されたのかもしれない。今となっては、サッカーを嫌がる自分に対して両親がどう思っていたかはわからない。これらは全部想像の話でしかない。


当時はもう本当に怖くて怖くて仕方なかったのだ。サッカーに行けばチームのみんなと馴染めない自分が浮き彫りになる。失敗したら怒られて、プレッシャーをかけられて、喘息が出て、自分の心を閉じ込めなければならなくなる。本来だったら仲がいい同級生たちと鬼ごっこをしたり、家でのんびり吉本新喜劇を見たり、コロコロコミックを読んだり遊戯王をしたりスマブラをしたりしていたはずの時間が、我慢を覚えたせいで地獄になっていた。



何よりも、自分の心を偽るのが本当に辛かったのだろう。本当はサッカーに向かいたくない価値観の方向を、無理やり向かわせる偽りの自分。頼むから土曜日が来ないでくれと切に願った。金曜日の夜は布団に閉じこもり、どうやったら休めるかと模索した。たくさん仮病を使ったし、なんとか死ねないものかと思案したこともあった。大袈裟な話だが、わかってもらえていない感覚が心の底にまで浸透して、そこから湧き上がるのは憂鬱だったのだ。誰か私の恐怖を理解してほしい。救ってほしい。そう願っていたけれど、結局そのまま自分は生き延びて、サッカーなんて糞食らえだと両親に言い放つこともなく、ちゃんと卒団した。自分は挑戦することに対する恐怖を覚えた。


三、「孤独」


現代社会は孤独との戦いである。


いかにして孤独にならないかを日本中全国民が血眼になって検討している時代である。孤独になることは、社会で生きるにあたって自分の命を削りながら生きているように見える。だからこそ人はどれだけ社会が合理的に働こうとも、誰かと会って話すことを求めて、一人でいる時はテレビを点けたりユーチューブを観たりして、マッチングアプリでどれだけ自分と似合う人がいないかと見極めている。


どれだけインターネットが発達しても、文明開花の音が鳴り響いても、人は誰かと寄り添いたい生きもので、音のない世界では生きていけないのだ。


こどく【孤独】ー 周囲にたよりになる(心の通い合う)相手が一人も居ないで、ひとりぼっちであること(様子)。

新明解国語辞典 第八版


自分は孤独の感情をとても小さい時から感じていたように思う。
あまりにも身近にあるがゆえに、自覚することも簡単ではない。目の前から母親がいなくなるとすぐに泣いていたのが幼稚園に通っていた頃の自分であった。通園するときは、毎日のように泣いていた。母親の元を離れたくないと駄々をこねていたせいで毎日遅刻していた。園児の頃の自分にとって、親から距離をおくことは孤独になることと直結していた。もちろん、実際は園内に他の園児たちもいて、先生もいるのだから一人ぼっちではない。しかし自分は母親から授けられる母性以外に安堵できるものはないと勝手に決めつけていたのだ。


そして自分はただ泣いていた。
恐怖を感じたときと同じように。
恐怖と同時に、孤独に対しても泣いていたのだ。


思えば、「恥」を感じた自分も、「恐怖」を感じた自分でさえ、最終的にたどり着くのは「孤独」だったように思う。


恥ずかしさが溢れ出す自分を救えなかった、受け取ることができなかった、その結果、自分は誰にも頼ることのできない人間が持つ特有の寂しさを感じる。怖がりでどうしようもない自分が誰かに助けれてもらえたら、恐怖を緩和してもらえたならば、それは孤独からの脱却になる。しかし一人で感じるだけならばそれは孤独となる。


誰かと共有して生きていくこと、誰かと心を通わすこと、それだけでたくさんの困難も孤独ではなくなる。しかし一人で生きていくことは、これから訪れるさまざまな試練の度に、孤独と向き合う羽目になる。
誰かに言われた言葉が胸に突き刺さった時も、誰かに嫌われたような態度を取られた時も、誰とも馴染めなくて仲間はずれにされた時も、集団から厄介者扱いされた時も。



誰かと心を通わせないことが孤独に直結するわけではない。誰とも心を通わせない状態の時に飛来してくるたくさんの出来事により孤独は生み出される。一人でいることは、常にそのようなリスクを背負っていることになる。それは不安にもなる。


では友達を作ろうか。恋人を作ろうか。そう容易く考えることができれば御の字であるが、いかんせんそう簡単には行かない。大人になると変に節度を保ちすぎて、なかなか心を通わすことができない。誰と仲良く話していても、いつ冷たい対応されるのかもわからないから、下手に距離を縮められない。しかし縮めなければ一生孤独のままである。


そのようなジレンマを抱えるのは、何も自分だけではないはずだ。合理化された社会の中で、自分の心までも合理化することはできない。それなのに生活はただ秩序の沈められた方向に流れ続け、その流れに逆らうことは果たして正義なのかと疑問になる。他人の境界線を踏み越えるのはただのエゴでしかないように見える。すれ違うだけの人々、挨拶もしない近所の住人、形式的な接客ばかりのコンビニ店員、プライベートでは関わらない同僚や上司。


こうやって孤独について考えていくと、よく大人になるまでに生きてこられたと、我ながら感心してしまう。これほどまでに脆弱な精神で、かつ人に気を遣ってばかりの大人。不器用で、繊細で、自分を表に出すのが下手くそな引っ込み思案。どこかで挫けて、人生が終わってしまうことだってあり得たのだ。今だってそのリスクと闘っている。それなのに自分は、とりあえずは大人になるまでに成長をして、引きこもりになるわけでもなく、親元を離れて仕事をして生きている。信じられないが、そういう事実がある。


これから先自分は、自分の中に閉じ込めていた創造性を解放するために行動する。それは同時に、孤独な自分を解放する作業でもある。いつだって鬱屈した自分の芸術性は、寂しさの鳴る心の場所に置いてあった気がするのだ。芸術と孤独。その二つがどれくらい関与し合っているのかは定かではない。しかしその二つこそが、自分の人生を大きく占めている概念であることは間違いない。だからとことん追求する必要があるだろう。
とりあえずはこの辺にしておく。


まとめ のようなもの


「恥」「恐怖」「孤独」。
とりあえずはこの三つについて考えてみた。過去の自分の芸術性を閉じ込めているものが果たしてこの三つでいいのかは確定しない。そしてフィードバックのやり方もこれでいいのかわからない。ここまで自分は、ただ殴り書きの体裁で書き続けていただけだ。だからまとめ方もひどく雑で読みにくいものになっているかもしれないが、読んでくださった方にはご容赦願いたい。



この書き殴り文章なんかで、もし参考になれたのならばこれ幸いであります。『ずっとやりたかったことを、やりなさい』はこれから創作を続けてく人にはとても参考になるものであるので、興味がある方は一度読んでみては如何でしょうか。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?