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映画「ジョーカー」映画評

眠れない夜は映画

3年前に子供が誕生し、さらに1年3ヶ月前に、第二子も誕生してくれて、嬉しい悲鳴で子育てに翻弄していると、自分の好きな時間に好きなことなどなかなか出来なくなります。独身時代に好き放題、映画を見ていた時間なんか夢のまた夢。昨晩もいつものように子供を寝かしつけようと、午後9時半にベッドで就寝。そのまま寝てしまい、午前1時頃に目が覚めて、そこからなぜかなかなか寝付けない。結局午前3時頃に起き出して、「そうだ、映画を観よう」と思いプライムビデオを。バッドマンがみたいなと想い、数年前に話題になっていた「ジョーカー」のコンテンツ画面を開く。暗い映画だけどアメリカの現在の社会をアンチテーゼしたオモシロイ内容だった。
私は、映像制作を生業にしているので、ワンカットずつの画の撮り方や、カメラワーク、編集なんかも意識するんだけど、きめ細やかにカット割り、編集されていて好きな映画に加わりました。以下、自分なりの映画評です。


「ジョーカー」映画評

  1. アメリカ経済格差

  2. 暴力のスパイラル

  3. 悲しいストーリーと映像美の対比

アメリカ経済格差

トランプ政権下でアメリカの分断が叫ばれていたけれど、まさにその頃に制作された映画。どちらかというとリベラルですね。そもそも映画はマイノリティを扱うのでリベラル的になっちゃうと思うんだけど、この「ジョーカー」もまさにそれ。
ストーリーは、バッドマンの宿敵ジョーカーがどんな経緯で誕生したかを描く内容。だからバッドマンは登場しません。子供のブルースは登場しますけど。
バッドマンの活躍の舞台ゴッサムシティは、「富裕層」と「貧困層」の格差がどんどん広がる超格差社会。富めるモノあより大きな富を獲得し、貧しきモノはその貧困から脱却することはできない。いまの、アメリカ社会ですね。このテーマはおそらく多かれ少なかれ世界各地で起きていることで、多くの国で受け入れられやすい。以下の記事はコロナで拡大する経済格差。

米国の経済格差とは コロナでさらに拡大: 日本経済新聞 (nikkei.com)

映画で扱われる「富裕層」の象徴も、やっぱり「証券マン」。
また「貧困層」の象徴が、後のジョーカーとなる「道化師アーサー」。
突然笑い出すという発作を持つ脳障害に苦しみながら、病気の母の介護心優しきアーサー。正しく生きていこうと懸命に働き、いつかこの苦しい現状から抜けだそうとコメディアンを目指すが、花は開かない。

暴力のスパイラル

ゴッサムシティでは、アーサーのように社会的弱者となってしまうとそこから抜け出すことは容易ではない。むしろ、排斥されてしまう。
目に見えない社会的暴力とでもいうか、社会的地位の高い者が弱い者に対する差別や偏見。アーサーは、その社会に対する憎しみを増大させていく。
そして、ジョーカーへと変貌していく。殺人という実行暴力で対向するのです。社会の見えない暴力が、ジョーカーの暴力を発現させ、そのジョーカーは同じ境遇を持つ弱者にとってはヒーローとなる。差別や偏見という暴力が、殺人と暴力をスパイラルを作り出してしまう社会。それがゴッサムシティ。
バッドマンのアンチテーゼが、ジョーカーという分かりやすい勧善懲悪の世界を描いているのではなく、正義を訴える者の裏側にも、また別の正義がある。なにがアンチテーゼでなにがテーゼなのか分からなくなる。
今の負のアメリカ社会そのものを描いている感じですね。

悲しいストーリーと映像美の対比


こんな暗くて悲しい映画で、地下鉄やバスなんかの乗り物は落書きだらけで綺麗な街とはいえないけれど、カメラのショットはシンメトリーを中心にしながら、ワンカットずつ丁寧に撮影しているのが分かる。
暗く悲しい物語だけども、照明やレンズフィルターもブラックミストっぽいものを使用して美しい表現。
対話のシーンでも同じ画角になるようなカットバック映像も少なく、時間をかけて撮影しているんだろうなと、想像しながらみてました。
アクションシーンだからと言って無理に手持ち撮影をしていないのも個人的には好きかな。
心理描写も、ロマンティックズーム効果で、観客がアーサーに同情する余地を与えている。

バッドマンはでません

オモシロイ映画でした子供たちとは一緒に観れない大人の時間を満喫できました。もともとバッドマンを観ようと「ジョーカー」を観てしまいましたが、本当にバッドマンを観たい人は、バッドマンを観てください。笑
この映画にマントを翻したヒーローはでません。

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