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浅草と僕、私

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浅草に住んだ4年間の記憶。
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浅草と僕、私 6

浅草と僕、私 6

元々関西にいた時にももんじゃは好きで食べていたのだけれど、もんじゃ焼き屋での振る舞いを含めて学んだのは浅草に来てからだった。
初めにキノコのバターソテーだったりをツマミながら飲み、もんじゃをチビりながら飲み、焼きそばを頬張りながら飲み、最後はあんこ巻きなどで〆る。
飲み物は大抵ホッピーで、1本の外で何杯中を頼めるかを楽しんでいた。大体3杯。
もんじゃ屋じゃないけどダンダダンだとSTOPと言うまで中

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浅草と僕、私 5

浅草と僕、私 5

浅草は意外にも交通の便が良い。
東武や銀座線は起点だし、浅草線もあって、TXもある。あと何よりバスも沢山種類があって、210円で色んな所に行ける。
今はもう無いようだけど、東武の株式優待チケットで浅草から宇都宮まで800円ほどで行くことが出来た。(その時の記事もnoteに書いた)
ちょっとバスに乗って上野まで行けば、もう選択肢は無限で、人生初の東北上陸も浅草に来てからだったし、とにかく玄関口として

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浅草と僕、私 4

浅草と僕、私 4

2年前の浅草も大雪だった。
朝の時点でうっすらと積もっていたので、わざわざミラーレスを持って出社したのだった。
「帰れなくなる恐れがありますので早めに帰りましょう」と呼びかけて、真っ先に帰路につき、迷わず浅草寺に向かった。
降雪は勢いをもったまま建造物の屋根屋根に積もっていき、あるいはライトで照らされ幻想的な空間になっていた。
帰り道、曙湯の前を通った。
曙湯は台東区の文化遺産的建物で、藤棚と屋根

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浅草と僕、私 3

浅草と僕、私 3

そんな辛い仕事も、潮目が変わったタイミングがあった。そしてそれをそうなるように仕向けてくれた人とは、本音で話し合えるくらいの間柄になり、いつも強気な姿勢からは信じられないほどの弱音を聞くと、あぁこの数年悪くなかったんだなぁと自分を肯定してやることができるのだった。

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竜泉にある富久の湯の経営が2人の若者に変わったタイミングがあった。
ちょうど彼らがnote

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浅草と僕、私 2

浅草と僕、私 2

この家に越してきた日。ベランダから顔を覗かせたらスカイツリーが結構しっかり下から見えることが分かって、妻と二人で顔を覗かせた。結婚して半年、ようやく一緒に住むことが出来て、これから2人の新婚生活が始まるんだ、というワクワク感に包まれた気分だった。写真も撮ろうとしたけど落とすのが怖くて、ビクビクしながら撮影したのを覚えている。
以来、事ある毎にスカイツリーをベランダから見上げるようになった。
特に思

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浅草と僕、私 1

浅草と僕、私 1

写真を載せようか迷ったけど、写真を載せ始めるといよいよ終わらないので、潔く文字だけで残そうと思う。
僕が浅草に引っ越したのは未曾有の感染症が流行し始めた2020年3月の末で、転勤1週間も経たない内に強制在宅勤務が命じられた。
僕にとっては新婚なのに別居だった妻と一緒に暮らすことができて凄く嬉しかったのだけれど、「浅草に住む」あるいは「東京に住む」という楽しさを、当時は十分に享受できていなかったと思

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