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共感・エンパシーとは何かを実感した話

最近私は「NVC(非暴力コミュニケーション)」や「学習する組織」などを学んでいて、コミュニケーションの方法として「共感」や「対話」に興味を持ち、理解を深めていたつもりでした。

でもそれは、わかったつもりなだけでした。というのも
「共感って、どういうものですか?」という核心をつく本質的な問いに出会ったからです。

この問いを発したのは、教育メディアコミュニティ「先生の学校」を運営する、三原菜央さん。

聞かれた相手は「対話」や「組織変革」のプロフェッショナルである渋谷聡子さん。

取材に同席させていただいたときのことです。そのときの答えはこれ。

「共感(エンパシー)とはヴァイオリンの弦が共振するようなこと」

対話の哲学者マルティン・ブーバーは著書『我と汝』において、人はみんなヴァイオリンの弦のようなものを持っていて、相手の悲しみの振動によって自分自身の弦が相手と同じように共振すること、それが共感なのだと言っています。
「先生の学校」記事より引用

インタビューでは素敵な話をたくさんお聞きしましたが、個人的にこの部分が特に印象に残りました。
そしてこれを実感するできごとが自分にも起こり、驚きとともに、その力を思い知ることとなりました。

そんな私の体験談を聞いていただければと思います。


ある朝、妻と7歳の次女が大げんかをしていました。次女には何か強く訴えたいことがあって、大きい声で怒っていましたが、大人のような語彙は無く、(大人も感情的になると難しいことですが)うまく表現できませんでした。

妻も、出勤のために急いでいて、朝のルーティンをこなしているので、聞いていられないという感じでイライラして対応していました。

このとき私は一人で、食後のお皿を洗いながら、渋谷さんに聞いた話を思い出して、自分の心と体がヴァイオリンになってその弦が振るえているかように、エンパシーというものを意識してみました。

次女が大声で怒るたび、その内なる声に耳を傾けようと意識を向け、彼女の息づかいを、体で感じとっていました。

イライラして強い言葉を返そうとする妻に対しても、すごくこわばった様子を私は受け取っていました。

いずれも、私がそう感じとっていただけで、しかも黙々とお皿を洗っているので、彼女たちとは何もコミュニケーションはしていないのですが…。

そんな風に、私が静かに身体で受け止めることを試みていると、ほんの30秒から1分もしないうちに、しだいに次女のトーンが落ち着いてきて、声も鎮まり、気持ちが表情に現れ、ぽつりぽつりと言葉も出てきたようです。

妻も、そのわずかな変化をキャッチする余裕が生まれたのか、さきほどのようなギスギスした受け答えでなく、落ち着いて相手の言葉を受け取っているようでした。

私が直接働きかけたわけでもないので、因果関係はわかりません。でも確かに、私の手応えとしては、ヴァイオリンの弦が共振するように、身体と心でそれを感じとろうとしていたことで、その相手は落ち着きを取り戻したように感じたのです。


このような話は、実体験がないとイメージしにくい話かもしれません。でも私はそれを体験してよくわかりました。

ぜひあなたも、ヴァイオリンの弦が共振するように、相手を受け止める体験をしてみてください。共感・エンパシーとはこういうことか!と腑に落ちる感覚を得られるはずです。

渋谷聡子さんの記事はこちらからお読みいただけます。


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