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新芽は育ち、深爪は治った。


一昨日から出ていた熱はだいぶ引いて体調は楽になってきた。今日もむせ返るほど天気は良くて、観葉植物をベランダに出して葉水をやったり乾燥した株に水を注いでいると、どんどん新芽が湧き出てきてることに気づく。3週間くらい前に500円で買ったモンステラは、買った当初は小さく丸まっていた新芽が今ではすっくと茎を伸ばして光合成をしている。まだ伸びたての若葉は淡い黄緑色で、太陽にかざすと他の葉よりも随分薄い。若々しいよりも弱々しいという方がしっくりくるが、それだけ時間が経ったのだという事実を強く示していた。

植物をいじっていると、右手親指の深爪が治っていることに気づいた。2週間くらい前に深夜に弁当を量産しているとき、レンコンをスライサーで薄切りにしていて誤って爪の端を少し切ってしまった。指までは刃が入らず爪が少しかけた程度で済んだが、若干ヒリヒリする違和感を抱えて日々を過ごしていた。ペンを持つ時や物を抑える時、料理をするときなど、日々の生活で親指の端には意外と圧がかかっていることを実感し、その度にヒリヒリする鈍い痛みを抱えながら毎日を過ごした。

親指の爪は未だに少し欠けた形をしているものの、少しずつ伸びて痛みは感じなくなっていた。こんなところでも時間の経過を感じる。深爪になった頃に対人関係で頭と心が空っぽになるような悲しみを感じ、毎日これからどうやって生きていけばいいのだろうと途方に暮れていた。まだ途方に暮れてポツンと立ち尽くす日もあるし、痛みの忘却はこれからもできないと思うが、痛みと並走する気持ちが少しずつ湧いてきた。辛いとき、堕ちているとき、悲しい痛みを負ったとき、その気持ちや思い出を無かったことにしたり無理に美化することは、感情を穏やかにする意味では楽でいられる防衛術なのかもしれないが、気持ちの負債を積み立てていくような行為にも感じる。その瞬間は一時的な安寧を手に入れるが、消化できない悲しみが少しずつ積み重なっていつか決壊してしまう気がするし、それを自覚しながら日々を過ごすことも苦しいものだ。それならいっそ、悲しみと並走していきたい。

深爪から過去の痛みとこれからの未来を考えていると、aikoの「キラキラ」を思い出した。明るいメロディでaikoの代表曲の一つでもあるが、さすがaikoなので歌詞には何処か寂しさや憂いが漂い、過去の痛みや悲しさ、愛しい人とへの想いを否定するでもなく、忘れようとするでもなく、ただ待ち続けるということで向き合おうとする気持ちが歌われている。さすが憂いのディーバ。不幸を無慈悲なハッピーで上塗りしないことを自分は誠実に感じてしまう。今まさにそんな気持ちだ。忘れようとしたくないし、乗り越えようとも思わないし、待っていたいのだ。

羽が生えたことも 深爪したことも
シルバーリングが黒くなったこと
帰ってきたら話すね
その前にこの世が無くなっちゃってたら
風になってでもあなたを待ってる
そうやって悲しい日を越えてきた

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