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シュレーディンガーの105号へ

大学4年間を過ごした大学は、酷いもんで自殺率が全国5位だった。

情報番組のあるコーナーのキャプチャがTwitterで回ってきたのだ。自殺率の高い修学環境トップ5をざっくり紹介しているもので、そのランキング第5位に『(自分の大学)のような田舎』と母校の名前が記されていた。全国に点在する無数の田舎大学、その代表に選出されたという、不名誉な話だ。自殺率の高さという文脈ならなおさらだった。

「大学が無ければ地図にも載りそうにない土地」という表現を当時の自分は気に入っていて、よく使っていた。事実としてはそんなこと有り得ないのだけど、山間にある校舎外周の登校ルートを吹き降ろしてくる冬場の風を正面から受けたときなどは、突き抜けるような青天井を見上げて辟易していたように思う。つまるところのド田舎だったのだ。

実家を出て、初めての一人暮らし。母親に連れ添ってもらい選んだ部屋は、大学卒業まで丸4年間使い潰すことになった。

じんわり汗ばむほどの急こう配の先、ギリギリ人里と呼べそうな位置取りのアパート。さらに登ろうとするなら獣道に入るしかないほどの山際で、登校はおろかちょっとした買い物もいちいち下界に降りていかなければならない。登校なのに山下り、という皮肉も3日で笑えなくなった。高校の部活でワンゲルの様なことをしていたが、足腰はむしろ大学に入ってからの方が強くなったと思う。

そんな環境に4年も身を置けば当然、田舎エピソードは列挙できるようになる。買い溜めのちょうどいい量が分からず腐らせた鶏もも肉、捨て方が分からず先輩に尋ねると「山に投げておけばいいよ」とアドバイスを受け、冗談の通じなかった僕はヨーグルトのような臭いを放つ鶏もも肉を裏山に遠投した。翌日の夜、裏山からの異音に気付き様子を見ると、土を掘り返す猪ファミリーがそこにいた。在学中に大学周辺で猪6回、猿1回、鹿2回、野良猫はほぼ毎日目撃した。

裏山を向いて設えられたベランダでフード付きの衣類を干すと、秋ごろには必ずフードの中にカメムシが入っている。家に侵入したムカデを真夜中に見失い、一晩中探し回った果てにブルース・ハープの中から出てきてハーモニカがトラウマになった。誰へともなく発した「ただいま」に応えたのが巨大なカマドウマのジャンプ音だったこともある。とにかく虫との戯れは毎日のことで、卒業するころには顔面に盛大に蜘蛛の巣を引っ掛けた程度じゃ何も感じなくなっていた。

忘れられない出来事は他にもある。京間の6畳1K、水道費込みで家賃28000円という田舎価格にしたってワケありを勘ぐってしまうアパートだったので、壁が極端に薄い。翌日も1限から授業だというのにお隣さんが狭い部屋に人を集めてどんちゃん騒ぎ…それはまだいい。問題はそれとは逆方向のお部屋で、普段はテレビの音が漏れ聞こえる程度だが、時たま荒げたような声が響く。どうやら通話相手と揉めているようで、そんな時、僕は壁に耳を当てるのが癖になっていた。

ある夜、その部屋の住人が自殺を試みた。

隣部屋のチャイムが鳴りやまなかったのだ。あまりに繰り返し鳴るものだから何かの取り立てかと思ったが、ドアスコープを覗くと廊下に警察が2人いて、傍らには青年がうずくまっていた。突然、ベランダの向こうからカーテン越しにまばゆい光が刺す。パトカーのヘッドライトが、山中に似つかわしくないほど煌々と隣部屋の雨戸にスポットを注いでいた。

雨戸を破って突入するんだ、となんとなく理解した。こういうの、近隣住民には何の説明も無いんだな。事情聴取とかあっても良いのに――自分の中の冷静な部分がそう思った。冷静じゃない部分のせいで、僕は靴を履き、外に出て、警察2人と青年の横を通り過ぎながら町の麓の方まで降って行った。必要性の低い買い物をしながら、記憶を整理する。

チャイムと同時にドアノブを何度も捻る音やノック音、呼びかけもあった気がする。鍵はスペアキーでも開けられないよう内側から壊されていたらしい。うずくまっていた青年も、最初は声を掛けていた。隣の住人の友達だろう。SNSでか、直接か、隣部屋の男は自殺をほのめかした。心配して警察を呼び、確認してみれば案の定…というあたりだと予想したけど、詳しいところは知らない。

自宅に戻った時、隣部屋のドアの前には青年がまだいて、膝を抱えてすすり泣いていた。パトカーはまだあったし、ドアは空いていたが、真っ暗な部屋の中を覗く度胸はなかった。

後日、学科の中で「自殺未遂の話」が持ち上がった。学生ばかりが住んでいる地域だから、こういう噂は回るのが速い。近くのアパートで自殺未遂をやった奴がいるらしい、しばらく授業に顔を出していなかったアイツではないか、などと冗談半分の憶測が飛び交う。僕も素性を一切知らない死にたがりに思いを馳せた。それは隣の部屋の彼かもしれなかったし、他の誰かかもしれない。何せ全国5位だ。予備軍はいくらでもいるのだろう。

一週間ほど静謐を保っていた隣部屋だったが、ほどなくしてまた、テレビの音漏れが聞こえるようになった。新しい入居者か、元の住人か。いずれにせよ、音漏れは以前ほど鬱陶しく感じなかった。

あの時、壁に耳を当てて聞いた会話。自殺の理由は、他愛ない、恋愛関係のもつれだ。通話先の女性の声すら壁の向こうに漏れてしまうような環境で、乞いすがるように泣き喚いた、隣部屋の彼。取り繕う言葉と、飾りようのない情けなさ。それを知っているのは僕だけじゃないだろうけど、僕がそれを知っていることを、知っているのは僕だけだった。

大学を卒業してから僕は2回の引っ越しを経験した。東京へ出て国分寺に2年間住み、今は新宿。田舎にいた頃、気が滅入るほど幅を利かせていた空は少しずつ肩身が狭くなり、夏場の蝉の声もどこか行儀良さげになった。東京では虫は堂々と表を歩かない。蜘蛛の巣を引っかけられることもない。

あの部屋のことは、きっと一生思い出す。当然のことだ。初めて親元を離れ、人生の多感な時期を過ごした場所なのだから。山籠もりのような学生生活を仙人のような住所で送った。狭く、虫だらけで、音は丸聞こえ、隣の部屋では人が死のうとする。

今はとっくに別の誰かが寝食をしてて、そして後悔してるだろう。開き直ったか、慣れてきた頃かもしれない。ついでに言うとトイレなんかも激狭だ。

悪い部屋には住むものじゃない。失敗したと思うならすぐに引っ越したほうがいい。それは間違いない。だけど「忘れない部屋」というのは、きっと「いい部屋」だったんだと思う。どれだけ住み悪かろうが、そこは一回きりしかない自分の人生に、何かを与えてくれた場所なのだ。

部屋で送るのは人生だ。そして僕らの人生は、その部屋で終わるかもしれない。隣部屋でどうやってか命を落としたかもしれない、落とさなかったかもしれない彼のように、未来はえらく曖昧だ。この先、何度引っ越すとしても、僕は選んだ部屋でしっかり記憶を刻みたい。

半分の哀悼と、半分の謝意を、壁の向こうの105号に。

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