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決して滑らないスケーター“ロバート・B・パウエル”について

スケートボード。スケボー。スケート。SK8。呼び方は人によってさまざまなれど、そこから思い浮かべるイメージはおそらく同一のはずだ。縦長のデッキ(板)に四つのウィール(車輪)がついた乗り物、これに決まっている。

きっとスケートボードに興味のない人でさえ、いちどはストリートや公園でライディングするスケーターを目にしたことがあるだろう。ましてストリートのカルチャーになじみのある者となれば、それはもう、いたって日常的なアイテムであるにちがいない。

グラフィティライターにしてスケーター、DJにしてスケーター、フォトグラファーにしてスケーター、トイアーティストにしてスケーター、ショップ店員にしてスケーター、フリーターにしてスケーター、無職にしてスケーター。世の中にはそんな人々がごまんといる。それというのも、スケートボードはストリートカルチャーにおいて人と人がまじわる、いわば交差点のような存在にほかならないからだ。

あらゆる要素を内包している巨大なストリートカルチャーのなかにおいて、スケートボードほどアイコニックなアイテムが他にあるだろうか。あるかもしれない。ないかもしれない。どっちでもいい。とにかくスケートがアイコニックであることに変わりはない。

スケートボードとは一体なんなのか。街や路上を自在にクリエイトするための相棒だ。スポーツ競技の道具でもある。人によっては単なる移動手段にすぎず、なかには不良キッズが迷惑行為にもちいる悪質なおもちゃだと考える人もいるだろう。だが我々はなにも、その答えを明確にしようと考えているわけではない。こうした数あるアンサーのなかに「スケートボードはアイコニック・アイテムだ」という回答もある、ただそのことを言いたいだけなのだから。

さて。すっかり前置きが長くなってしまったが、どうが許してほしい。なにしろロバート・B・パウエルというスケーターを紹介するうえで、上記の話題を欠かすことは決してできないのだから。



カリスマ的なオーラ

皆さんは「SMASHER MAGAZINE」という雑誌を御存知だろうか。これはアメリカで発刊されているスケートボード専門誌だ。1982年の創刊以来、世界中のスケーターに愛読され続け、今や他誌の追随を許さないほどの影響力を持っている。ましてその表紙を飾る人物となれば、それは現在注目度ナンバーワンのスケーターであると同義なのだ。

そんなSMASHERの2018年9月号で表紙を飾った男こそ、スケートボード界の超新星、現在20歳のロバート・B・パウエルだ。

ちなみに表紙の写真は、キャップをかぶったロバートが自分のシグネチャーデッキをわきに抱え、ドーナツを食べながら、群衆にまぎれて地下鉄に乗りこむ場面だ。華麗にトリック(技)を決めている瞬間でもなければ、自分のデッキをクールにアピールしているわけでもない。ただスケートボードを持って地下鉄に乗ろうとしている、それだけのシーンだ。文字にしてみると平凡なストリートフォトであるかのように勘違いされてしまうかもしれない。

しかし現物を見ればわかると思うが、そこにはロバートの凡庸ならざるオーラがみなぎっているのだ。かぶったキャップの角度、デッキを抱えるさりげなくも美しい姿勢、ドーナツを口に運ぶ手のあざやかさ、あごひげのなんかいい感じ。そのすべてにスケーターならではのクールでドープなグッドヴァイヴスがみなぎっている。一見しただけで彼がタダ者ではなないと理解できるだろう。

また彼が所属するチーム“GOLIRA”のスケートビデオ作品「KID B」においても、その非凡さを確認することができる。ぼろぼろになったシューズを修復する姿、デッキのグラフィックを真剣に見つめるまなざし、仲間のひとりに「あのスポットつっこんでみろよ」と語りかけているいたずらっぽい笑顔。そこにカリスマとしか表現しようのないストリート的オーラが満ちていることは、疑いようのない事実として立証されていることが明白であることが完全にゆるぎないはずだ。

だがこのスケートビデオを観たみなさんは、疑問に思うかもしれない。何故なら50分近い映像作品のなかで、ロバートは一度もスケートボードに乗っていないからだ。これはいったいどういうことだ。SMASHER誌の表紙を飾るほどのスケーターならば、見る者の度肝をぬくトリックを連発してくれるはずなのに。どうしてスケートに乗らないのか。そんな問いに対する答えは簡単だ。


彼はスケートボードが下手くそなのだ。
死ぬほど下手くそなのだ。

ロバートは雑誌のインタビューにこう答えている。


「俺は昔から運動が苦手でね。それは今も変わらないよ。なにせデッキに足を乗っけただけでバランスを崩してコケるんだぜ。コケるのはけっこう痛いから、絶対スケートには乗らないことにしているんだ」


なんということだろう。どうしてそんな人物が、スケート誌の表紙を飾っているのか。どうしてさまざまなカンパニーからサポートを受けることができるのか。



リスペクトされるということ

カリフォルニアに生まれたロバートは、幼少からスケーターという存在に憧れていた。往年のレジェンドスケーターたちをビデオや雑誌でチェックし続けた。だがそれはライディングやビッグメイク(大技)に惹かれていたわけではなかった。彼らの自由でクールな佇まい、そしてふんいき。なによりスケートボードというアイテムそのものの尋常ではない格好よさ。そういったものがロバート少年の心をつかんだのだ。

スケートを始めた当初こそ義務的にトリックの練習をしたものの、すぐにやめた。そこに興味はなかったからだ。代わりに彼はふんいきや佇まいを身につめるための努力と研究を重ねた。一番クールに見えるスケートデッキの持ち方を徹底的に追及し、同時にそれが自然体になるまで、鏡の前で何度も練習した。毎日8時間練習した。ファッションもスケートデッキが映えることを第一にしてコーディネートした。毎日8時間コーディネートした。

彼は当時をこう回想する。


「もちろん最初は馬鹿にされたさ。お前はフェイク野郎だとも言われた。だけど俺はまるで気にしなかった。自分がやりたいことはなんなのか、俺自身が知っていたし、やりたいことに対してシリアスに努力しているってことも俺自身が知っていた。だからなにも問題なかったんだ」


やがて仲間たちの見る目も変わっていった。ロバートにそれっぽい佇まいが備わり始めていたのだ。なにより彼が触れることにより、スケートボードというアイテムが通常の5倍ほどもクールに感じられた。これがふんいきのもたらすパワーだ。よそから彼らのローカル(地元)にやってくるスケーターたちも、初見でロバートがここのボスであると判断した。それほどのふんいきを身につけていたということだ。ロバートは完全にリスペクトの対象となっていた。

いつしかスケート業界にロバート・B・パルエルという男の噂が広まり始めた。そして“GOLILA”に所属するスケーターからチームに誘われた。もちろん彼の佇まいとふんいきを買ってのことだ。当初はロバートをスケーターであると認めなかったカンパニーの人間もいた。だがそういった連中はロバートと対面するや否や、彼の全身からほとばしるレジェンド的オーラに当てられて失神し、入院した。それがロバートのチーム入りが決まった瞬間だった。その3カ月後には、彼のシグネチャーデッキが発売されていた。

こうしてロバートは磨き上げた佇まいとふんいきによって、プロライダーの仲間入りを果たした。あれができなきゃダメ、これができなきゃダメ。スケーターたちが陥りがちな数々の固定観念を、見事に粉砕してみせたのだ。

そしてまた、運動が苦手だというキッズスケーターに対して、彼はこうコメントしている。



「いいか、俺は世界で一番下手くそなプロライダーだ。同時に世界で一番クールなプロライダーでもある。もしきみの目標がオーリーやらキックフリップやらを決めることなら、メイクできるようになるまで練習するだけだ。ほかに道はない。だがクールなスケーターになりたいということなら、道は無限に用意されている。それを忘れるな」


スケートボード。それは自由という概念が形を成したアイテムだ。だからこそ人々を惹きつけるアイコニックさを有している。周囲に流されず、自分で決断し、自分のやりたいようにやる。それが自分にとっての正解だ。

己をつらぬき続けた男ロバート・B・パウエル。誰よりも自由な彼が示したアンサーは、いつまでも世界中のスケーターを励まし続けることだろう。



※photo by Oliwier Gesla on unsplash

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