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伝説の少女漫画雑誌「カーディガン」について

1980年代前半のことだ。

ある漫画雑誌が、ほんのごく一部の漫画ファンを騒がせていた。それが大風社の発行する少女漫画月刊誌「カーディガン」である。この時代に青春を謳歌したコアな漫画読みならば、懐かしさを感じる響きかもしれない。


「未開のアリス」おーはしともえ
「リスとリボン物語」梶冬香 
「ただリュディガーのために」山本基子


上記の作品をはじめ、現代までファンに愛され続けている名作が、カーディガンには数おおく掲載されていた。そしてそのどれもが他誌の少女漫画とは一線を画す存在感を発揮していた。絵柄や物語の手触りは繊細でありながら、既存の漫画的文法にとらわれない斬新さを持ちあわせていたからだ。


実はカーディガンの第一号は、当時まだ週刊だった少女漫画誌「セーター」の別冊号として発売された。表紙にも小さくだがそのように記載されている。

つまりセーター本誌ですでに人気を獲得している作家を数人よびよせ、その作品で読者をひきつけようという作戦だ。しかして本命は経験の浅い新人作家たちであり、彼女たちに連載をもたせ育てる土壌として、カーディガンを機能させようとしていたのだ。そうすることで新人作家に実力がつき、やがてはその作品を看板として掲げる。これが当初のヴィジョンだったに違いない。

ところがその目論見が実現されることはなかった。何故なら月刊誌カーディガンは、たった3ヶ月で廃刊になったからだ。



どうして廃刊になったのか?

売れなかったからだ。
ぜんぜん売れなかったからだ。

先述したように、カーディガンの作品はどれも前衛的で、ありていに言えば、すごくわかりにくかった。

たとえば花直鴉(はなすぐからす)の短編「薔薇図鑑」もそのひとつだ。この作品には人間が登場しない。ほかの動物も登場しない。薔薇も出てこない。薔薇図鑑なのにだ。なら何がでてくるのか。それは花崗岩だ。あと凝灰岩だ。つまり岩だ。どちらの岩も擬人化されているわけではない。ただふたつの岩石が年月とともに朽ちてゆくさまを、これでもかというほどの繊細なタッチで描いたのだ。そんな作品を掲載したところで、はたしてその少女漫画誌は売れるだろうか。

売れなかったのだ。
ぜんぜん売れなかったのだ。

別の例として、澤なおみの長編(になる予定だった)作品「はちみつ色の砂漠」をあげてみよう。シンプルで可愛らしい絵柄ながら、クローン人間の女子高校生を主人公として、思春期のアイデンティティクライシスを見事に描いた傑作SFだ。だがこれも普通の漫画ではない。何故かページが上下さかさまなのだ。きっとあなたは不思議に思いつつも本をひっくりかえして読み進めようとするだろう。だが次のページで再びさかさまになる。その次は見開きの右と左でそれぞれさかさまなのだ。何故このような表現方法を選んだのか、手元の資料ではその意図を確認することはできない。

いずれにせよ、このようにトリッキーでアナーキーな作品ばかりでは、売れるわけがないのである。頼みの綱であったセーター本誌からの遠征組も、タガが外れたのか若手以上にアシッドでサイケデリックな作品を連発した。大御所の大橋知子にいたっては、漫画ではなく小説を書いていた。カンフーファンタジーゾンビー小説だ。

このようやありさまでは、3か月で廃刊という結末も、なるべくしてなったのだとしか言いようがない。


だがしかし。

売れなかったからと言って、誰にもかえりみられることがなかった、というわけでは決してないのだ。


後続に与えた影響

漫画家の泉スモモ。小説家の大連寺百拳。音楽家のアマテラス遥。映画監督の芦野浦平良。そのほか現在活躍する多くのクリエイターが、カーディガンからの影響を公言している。たった3か月分しか発売されていないにもかかわらずだ。そしていわずもがな、我々ソニックパルスフィクションも、その独創的な作品群から大いにインスピレーションを受けている。


「漫画に一番必要だと思うものは?」


この質問に、当時カーディガンの編集長だった飯塚ミキオはこう答えている。


「新しさです。それ以外は不要です」


このシンプルな回答からは、飯塚氏の断固とした漫画観と信念が感じられる。そして新しさを追及するあまり、当時の少女たちをぽかんとさせる結果となってしまった。

それでもカーディガンのまいた種は、今も一部の人々の心で育ち続けている。そしてその種が咲かせる現代の花は、見事な大輪となって人々の心を華やかせているのだ。


※Photo by allison griffith on Unsplash

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