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「辛い」時に「辛い」と言える人がいる

学校はわりかし好きだった自分。
勉強もスポーツも苦手じゃなかった。
友達付き合いもできたし、楽しかった。
行事ごとも積極的だったし、学級委員をしたこともあった。


学校はわりかし好きだった自分。
だから気づけなかった。
学校に来るのが苦痛だった人たちの気持ちは。
いじめとかではなく、普通に学校生活を送っているように見えた人にも苦痛を感じている人がいたかもしれなかったこと。


Eテレの「8月31日の夜に。」という番組を見ました。
9月1日は子どもの自殺率が一番高い日と言われているそうです。
それは多くの学校が2学期が始まる日となるから。
また学校が始まるということに悲観してしまい、自殺する子どもが多くいるから。
そんな辛い想いを持っている”生き辛さを抱える10代の方に寄り添う番組”として、「8月31日の夜に。」は例年放送されているそうです。


僕が「気づけなかった」と書いたのは、いじめなど表面に出て視認できる辛さではなく、笑っている人の中にも生き辛さを感じていた人がいたかもしれないということ。

仮面をつけ始めたのは自分からなのに、仮面をはずすことができない

と番組であったように、人に合わせて生きていく中で自分が消えていくような感覚を持っている人もいる。
表に見えないところで人は苦しんでいることがあることを忘れないで生きていきたい、そう思った。
かくいう僕だって辛いこともあるし、けれどそれは人には見せたりはしない。
人の心は分からない、それを忘れてはいけない。


日本語には「羨む」や「恨む」「占う」「うらぶれる」など”うら”とつく言葉がありますが、この”うら”は”心”を表しているそうです。
”うら”がなぜ”心”なのかというと「表ではない=人から見えない」ということだそうです。


見えない心を見るための努力、ではなく、
見えないのだから、僕には計り知れない感情を人それぞれが持っている、ということを前提に接したい。
願わくば、大切な人が「辛い」と思っているときに、「辛い」と言ってくれるような自分でいたい。
そしてそれに応えられるような自分でいたい。
僕が「辛い」と思っているときに、あの人に「辛い」と言える自分でいたい。


アジアを旅している時に「深く信頼しきった人に囲まれて生きること、生きてく上でそれが一番大切なこと」だと思った。
深く信頼しきった人、というのはつまり、そういう辛い時に辛いと言い合える関係なのかもしれない。


いろんなことをぐるぐる考えた夜でした。


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