表現する理由

他者に伝えなくていいものは表現する必要はあるのでしょうか。

自分を生き易くするために身近な人に「私はこんな人間です」と理解してもらうことは必要かもしれません。
仕事を円滑に進めるためにコミュニケーションをとることは必要かもしれません。

SNSが発達して国民総発信時代となっている現代。
私たちは何のために発信するのでしょうか。
明確に「〇〇な事実をみんなに伝えたい」とか「■■を伝えることで人の役に立ちたい」と伝えたい理由がある人は構いません。
しかし、"want"の意思を持って”伝えること”を捉えている人は多くないと思うのです。

かくいう僕も、noteを続けていることやkindle出版をしたいと思っていることもありますが、自分の発信で飯のタネが作れたらなと思って始めたのが正直なところです。
誰かに伝えたくて、という溢れた思いがあるわけではなかったのです。
未だに僕の文章が誰かの役に立つのか、必要とされるのか、半信半疑でものを書いています。
僕がモノを書く理由の模索はこれからも続くのでしょう。


今日「ダンシングホームレス」という映画を見ました。
ホームレスの人を集めたダンス集団「新人Hソケリッサ!」を追ったドキュメンタリー番組です。
映画の中で一人のホームレスの方がこんなことを言っていました。
(記憶で書いているので正確なセリフじゃないのであしからず)

親を大切にできなかったこと
友人を大切にできなかったこと
ネガティブな記憶は強く残る
今ダンスという形でポジティブに発散している

これが彼にとってダンスという表現をする理由の一つです。

昔音楽雑誌で、歌手のCoccoさんは「歌をつくることは身体を刻んで血を出すことに似ている」というようなことを読みました。


新人Hソケリッサ!のホームレスの方も、Coccoさんも、人に魅せるという外向きの発信の前に、自分の奥底と向き合う内向きの工程を経ていました。

内観と発散

表現に必要な両輪を廻し続けたとき、僕はどのような変化をするのでしょうか。
表現することの楽しみが一つ増えた気がしました。

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