ユネスコ「世界の記憶」「日本軍『慰安婦』の声」に対する意見書①(2016,6、22)

私が数年前にユネスコ「世界の記憶」国際諮問委員会に提出した意見書を今日から4回連載する。この意見書は、島谷弘幸・日本ユネスコ「世界の記憶」選考委員会委員長の同国際諮問委員会のレイエス議長宛の書簡 に添付する形で公的に送付されたものである。以下が私の意見書の全文である。 

  私は戦争プロパガンダを中心に、米英加などの国立公文書館所蔵文書を長年にわたって研究してきた。中国が一昨年ユネスコ世界記憶遺産に登録申請した、いわゆる「従軍慰安婦」に関する資料について全容は不明なるも、ユネスコののHP 上等で公開されている利用可能な情報を踏まえた 問題点について意見を表明したい。
 ユネスコの世界記憶遺産のサイトに公開された中国側の登録申請書には、提出した資料が慰安婦「強制連行」の証拠だと書かれているが、資料を検証した結果、以下の問題点があることが判明した。

中国の申請資料の基本的問題点

 まず基本的な問題点について指摘したい。第一に、中国が「写真の現物と著作権は、中国にある」と主張している上海の「楊家宅慰安所」の写真は、福岡市在住の産婦人科医、天児都さんの父・麻生徹男氏が同慰安所で軍医として勤務していた折に撮影したものであり、写真フィルムは天児さんが所有している。
 ユネスコは「世界記憶遺産保護のための一般指針」の「2,5,4」で、「『法の支配』を尊重します。・・・・
著作権法、著作者人格権・・・を、誠実かつ透明性をもって守り、保ちます」と明記しており、所有者が許可していない写真を無断で申請し、著作権を持っていると虚偽申請していることは、同指針に違反する。
 また、ユネスコは記憶遺産のガイドラインで、登録の選考基準として、「資料の来歴は確実に分かっているか否か」「複製品や模造品、偽造品などが本物と誤解される可能性があるか否か」などと規定しており、この規定に反する。
 第二に、同指針の「4.4.3」には「アクセス可能とすることを要求する」と規定されているにもかかわらず、中国は申請史料の一部しか公開していない。
 歴史的事実やその評価については諸説があり、客観的検証が必要不可欠である。資料公開並びに客観的検証を拒否する中国の一方な主張にもとづいて記憶遺産として登録されるようなことになれば、ユネスコの国際的な信頼と権威を著しく損ねることになる。
 第三に、中国が登録申請した資料の中には、資料のごく一部のみを抜き出したものがあり、資料全体の脈絡の中で位置づけ、評価できないために、資料の内容の真正性について審議し判断することができない。

中国の申請資料の具体的問題点

 次に、いわゆる「従軍慰安婦」の主な申請史料の具体的問題点について指摘したい。
 まず第一に、中国が「慰安婦を輸送する船」と説明している写真の唯一の根拠は船体に「慰」の文字が掲げられている点にあるが、戦時中、最も多く使われた「慰」は、「慰安婦」の「慰」ではなく、歌手や漫談師が各地を公演して回った「慰問団」の「慰」である。
 船を背景にして立つ9人の真ん中には芸人と思われる人が立っており、後列の左端には日本の有名な歌手である東海林太郎が映っている。馬場マコト『従軍歌謡慰問団』(白水社)によれば、東京日日新聞主催、陸軍省後援の「派遣在満皇軍勇士芸術慰問団」の団長に選ばれたのが東海林太郎であった。 船体の上部に掲げられている「大興」という場所は黒竜江省にあり、この船はアムール川を往来し、大興を発着点にしていたか、経由して「慰問団」を輸送していた船と思われる。
 第二に、中国が「黒竜江省の慰安所」と説明している写真は、正面に見える一段高い舞台中央に舞台が設置され、その後ろに映画のようなものー白樺の林の中の道-が映っている点から考えれば、これは「慰安所」ではなく、慰問団が公演を行った講堂の写真だと思われる。いずれの写真も撮影者、撮影日時、撮影場所が一切不明である。
 第三に、1945年3月30日の「満州中央銀行・鞍山支店の電報」には、同銀行の支店長が本店資金部に対し、「徐州准海省の連絡部(7990部隊)が、鞍山経理司令部に「慰問婦」仕入資金として、25万2千円送金した」と報告したと書かれているが、「慰問婦」は軍の士気を高めるために歌や踊りを披露する歌手や踊り子であり、「慰安婦」とは全く異なる。「受取人は米井ツル」と書かれており、中国の軍閥と日本の民間業者とのお金のやり取りを記述したもので、「慰安婦」の「強制連行」や「性奴隷」を立証するものではない。
 第四に、憲兵の「日本軍犯罪月報」(1943年)には、日本軍将兵が「慰安所に於いて慰安婦に暴行」とあるが、その説明の下に「非違通報」と書かれており、その将兵が取り締まられていたことを示している。すなわち、この資料は慰安婦が法的に保護され、「性奴隷」ではなかったことを立証している。
 第五に、日本軍北安地方検閲部が作った「郵政検閲月報」にある日本兵が家族に宛てた手紙について、中国は「日本軍が女性を性奴隷にした犯罪を告白している」と説明しているが、「恋人を追って行く女性も限りなくある」と書かれており、慰安婦には移動の自由があり、「強制連行」や「性奴隷」ではなかったことを示している。
 第六に、元日本兵の代表的な供述として、佐々真之助中将と広瀬三郎中佐が女性を強姦したとする供述が挙げられているが、慰安婦は生活苦という経済的理由で慰安所にいたことを示しており、料金も支払われていた。いずれの供述も慰安婦を「強制連行」して「性奴隷」にしたことを示すものではない。彼らはどのような状況で尋問され、法的保護を受けていたのか、裁判にかけられたとすれば、その議事録があるはずであるが、それも公開されていない。
 第七に、中国が追加申請した吉林省档案館所蔵の「日本軍の慰安婦記録」(25件)も慰安婦の「強制連行」「性奴隷」を立証するものではない。
 第八に、その25件の資料の一つに、南京周辺にいた日本兵と慰安婦の数を記した、1938年に憲兵によって書かれた『南京憲兵隊管轄区域の治安回復状況の調査報告書』には、日本軍が中国人市民に無料で病気やけがを治療する様子が記されており、2万5千人の日本兵と、141人の慰安婦がいたと記録されている。しかし、141人の慰安婦が日本兵全員の相手をしていたわけではなく、慰安婦が「強制連行」され、「性奴隷」として働かされたことを立証する記述はない。
 第九に、1938年に上海市警察が作成した報告書には、親日中国人が慰安婦の「強制連行」に携わっていたと書かれているが、資料には「親日」を裏付ける証拠はなく、日本という言葉すらない。この資料には、中国人が中国人女性を強制的に売春婦にしたことしか書かれていない。

中国が追加申請した資料の問題点
  
 中国が追加申請した「従軍慰安婦」資料の一つに、「中国共産党が調査した、戦犯日本兵1000人の供述書」があり、「1000人以上の日本の戦争犯罪者たちが、1952年から1956年にかけて、中国共産党政府の調査を受けた。その内、約8,5%が『慰安所を設立した』と認め、61%が「慰安婦と性的関係を持った』と供述した」と書かれている。しかし、中国側が主張する慰安婦の「強制連行」や「性奴隷」として扱われたことを立証する資料は皆無である。
 中国が追加申請した「従軍慰安婦」文書の冒頭には、「『慰安婦』とは、日本帝国軍によって性的に隷属させられた女性のことである。これらのほとんどが、日本軍によって強制的に性奴隷にされた」と書かれている。しかし、慰安婦は「強制連行」されたのではなく、「法的保護を受けた風俗業」であり、戦時中、多くの交戦国が同様の施設を設置しており、日本の慰安婦制度のみが特別であったという事実はない。
 
このように、中国は「強制連行」や「性奴隷」を立証するものではない断片的な資料を繋ぎ合わせて強弁していること自体に問題があり、中国の申請は政治的プロパガンダと言わざるを得ない。また、前述したような出所不明の写真を申請することは、ユネスコ記憶遺産ガイドラインの、「資料の来歴は確実に分かっているか否か」という選考基準を満たしておらず、紛争等から記憶遺産を保護しようという本来の記憶遺産事業の趣旨が損なわれ、ユネスコが政治的に利用される懸念があるため、申請は却下されるべきである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?