政治と音楽と個人的な体験


草の根研究会さんで輪島裕之「創られた日本の心」(以下、「輪島本」と略す)の読書会をさせてもらった。

「演歌」というジャンルが、どのようにして形成されていったのか、そこから色々な論点が取り出せて面白い。(というか、逆に輪島本はカバー範囲が広すぎて、読書会の課題本としては、ちょっとつっつきづらかったな?と思った)

まあ、やいやい茶化して遊ぶにはあんまり向いてない本だけど、めちゃくちゃ良い本なので絶対に読んでください。

そして、この記事は、だらだら書き連ねていた文章が六〇〇〇文字を超えてしまったので、忙しい人は読まないで下さい。

本文章の、ざっくりした構成を紹介すると、

Ⅰでは、読書会にあたって勉強した事柄を。

Ⅱでは「個人的な音楽体験」を書いていきます。

別段オチのある文章ではないので、何も期待せず読んでいただければ幸いです。

Ⅰ - 最近読んだ本について

読書会にあたって勉強した本をアウトプットしていきます。

1.「ジャズ・アンバサダー」
これは、猫町倶楽部という読書会サークルで音楽ライターの柳樂光隆さんがおすすめしていた本です。ジャズという音楽が、「アメリカニズム」を体現する音楽であると同時に「反米」を意識した音楽でもある…。みたいな事が書かれていました。

前述、輪島本とかすっている部分もありました。(輪島が「創られた「日本」の心」を書くにあたって参考にした、ホブズボウムの引用が多かったり)

ただ、世界史に疎い私にはよく分からない部分もあったので勉強会が待たれる一冊。(「誰か頼んだぞ」、という気持ちエネルギーを飛ばしておく)

自分が、わかった部分だけ軽く要約すると、

ジャズは1920年代にアメリカで社会現象になった。その時点ではアメリカ国内では、「不良少年の音楽」だった。

フランスは、はじめからジャズに対して好意的だった。

それから、ジャズが正統なアメリカ文化として認定されて、輸出されていった経緯…。かつては「不良少年の音楽」だった「ジャズ」がハイカルチャーの仲間入りをして、「ジャズ大使」を各国に派遣する事になる。(かつて「ジャズ」が担っていたポジション(=「不良少年の音楽」)は「ロックンロール」に置き換わっていた)

それから戦間期〜戦時期におけるファシズム・国家のジャズ受容、冷戦下における共産主義国家におけるジャズ受容について書かれてました。

「ジャズ大使」に任命されてからのエリントン、ブルーベック、ルイアームストロングのエピソードは、皆かっこよく見えます。何しろ「大使」、、

「ジャズメンの与太話」というよりかはちゃんとした資料に基づいたエピソードが多くて、その辺もジャズ本の中では珍しいのかな、と思いました。

2.「タンゴの真実」
バンドネオン奏者の小松亮太がタンゴを解説している本です。主にアルゼンチンタンゴについて書かれています。(ただし、ピアソラファンには厳しい)

結構前に菊地成孔さんが紹介していたので買ったのですが、そのまま放置していたので、この機械に読んでみた。分厚い。そして、読みづらかった。

タレント本っぽくもあるけれど、装丁は専門書を思わせます。
内容もかなり細かい、突っ込んだことが書かれています。ただ、ちょっとカオスな本でした。
写真や楽譜が何枚も掲載されているけど、正直、そこが一番しんどい、、笑

「バンドネオン」というドイツ産の楽器が「タンゴ」の「タンゴらしさ」を担っているという事がわかったのですが、小松さんのバンドネオン愛がすごすぎて…。

ただ、「タンゴというジャンルは西欧フォーマルなので、ラテン音楽ファンにはウケがよくない(但し、ピアソラは別格)」とか、「民族性は低くて、移民たちがブエノアイリスで作りあげていった音楽」といった箇所から、先の輪島本とのつながりも感じられて面白かったです。

3.「民謡とは何か」「東アジア流行歌アワー」
ガチの専門書っぽい。

「民謡とは何か」では、「戦前の国営放送には民謡の番組があったけど、国家の検閲が入っていた為、猥雑な民謡は放映されなかった」といったエピソードや、それと並行して文化人類学者たちが民謡の収集をはじめていたというエピソードなど、実資料に基づいた情報が多いので、(ケレン味こそ無いけど)信頼性が高そう。

特に、柳田國男のいう「本当の民謡」(=「作者不詳の曲」という定義)は厳しすぎるので「民謡は、いつの時代にも滅びかけているという事になる」という問題が提出されているのが面白かったです。

「東アジア流行歌アワー」は、日帝・朝鮮・台湾・中国において、国家と音楽がどの様に絡まり合っていったのかについて。こちらも資料・実証に基づいて書かれておりました。

自分には、ちょっと脳みそが追いつかない部分があったので、こちらも勉強会が待たれる本です。(imdkmさんとか、やってくんないかなぁ…)

もちろん、適当に拾える部分だけ読んでも、とても面白かった。戦時期の服部良一のアクションは知らなかったし興味深かいものでした。(大谷・栗原「ニッポンの音楽批評」だけを読むと、戦前の流行作曲家に対して「オイオイ」って思っちゃうけど、服部良一は戦時下もイイ仕事してたらしいですよ、、笑)

あとは、国家における音楽の規制の話が多いですね。

先の、輪島本と照らし合わせると、他国では「流行歌の規制」を積極的に行なっているのに対して、戦後日本での「放送禁止歌」は、文部省まで問題が持ち上がって民間が自主規制するという流れがあり、そういう所に国民性が表れていて面白いですね。(「日帝時代の反省」という色合いも大きいのでしょうが)

4.「芸者論」「どうにも止まらない歌謡曲」
「芸者論」は、タレント活動もなさっている岩下尚史の代表作です。この本は、和辻賞なるものを受賞しています。

自分は「芸者小唄」が知りたくて読んだのですが、ポップな入門書かと思いきや、文体がゴリゴリの文化人類学だったので、想定外だった…、汗

芸者の歴史を、折口信夫の方法論に則って、中世まで遡って紐解いています。(「中世まで遡らないでくれ〜」と思いながら読みました、、笑)

「儀式」とか「神」みたいなワードが頻出するので、目がすべってしまいました。今の時点では「もう一回読もう」とは思えないかなぁ…。
ただ、前半の「待合政治」が出てくる辺りは「なるほど」と思いました。

「どうにも止まらない歌謡曲」は、「ジェンダー歌謡史」(??)を軸に、歌謡曲を論じたエッセイですです。(輪島本では、この本について「方法論には疑問があるけど、端的にめちゃくちゃ面白い」と書かれていて、その通りでした)

最近、ちくま文庫から、文庫版(2022)が出ましたが、文庫本の前書きでしれっと作者が「印象批評」である事を認めています。

上野千鶴子「女ぎらい」みたいなドライブがかかった文章で、確かにめちゃくちゃ面白いのですが、舌津さんが標榜する「ジェンダー歌謡史」が一体なんなのか…。全体像を知りたいところです。作者の舌津さん以外、知るよしもありませんが、笑

序文で「ウーマンリブが1970年代に始まったのだから、(1970年代の)歌謡曲と関係がないはずがない」みたいな啖呵が切られていたけど、内容は主に歌詞批評でウーマンリブの話は特に出てきません。

白眉だったのは、後半「歌謡曲の中に出てくる英語」について扱っている章で、「日本の歌謡曲は英語文法を正しく扱えていない」と攻撃しまくっているあたりです。アメリカ文学の研究者の専門性が遺憾なく発揮されています。

そして、「そんな中でも、ゴダイゴだけは正しく英語を扱っている」らしいです。

但し「ガンダーラ」のサビで「愛の町ガンダーラ♪」と歌っているけど、それは「いただけない」と書いてあって、「「愛の町」は「I know much」を意識して歌っているんだろうけど、それは違うぞ」と書かれていました。いやー、楽しい。

5.「平成日本の音楽の教科書」「ニッポンの音楽批評」
どちらも大谷能生関連です。

この記事を書こうと思った動機の一つが、「平成日本の音楽の教科書」が良すぎたからなので、あえて要約しない。みんな、読もう!

「ニッポンの音楽批評」は大谷と栗原裕一郎の共著で2021年刊行。「平成日本の〜」と相互補完的に読める内容でした。

どこを取り出しても面白い本ですが、ペリー来日の時に、ペリーがミンストレルショーが連れて来ていたって話とか、明治期エリートの間で、ワーグナー・ブームがあったって話とか、本当に面白い…。(当時の知識人はニーチェ等を通じてワーグナーを知っていたらしい)

「演歌」まわりのエピソードで言うと、川上音ニ郎の「オッペケペー節」の流行や、1960年代以降の音楽批評として、新左翼の音楽批評(相倉久人・平岡正明)と、別の潮流として吉本隆明「マスイメージ論」が位置付けされているのが面白いなと思いました。

6.「パンク/ハードコア史」「恋の花詞集」
パンク専門ライターの解説本と、橋本治の音楽エッセイです。

「パンク/ハードコア史」では、パンクの定義を「歌い方だ」と定めているのが明快でよいと思った。
あとは、「パンク」や「ハードコア」が、ポリティカルな音楽であり、もはや音楽なのか活動なのかわからなくなっていくあたり(crassとか)が楽しかった。(と、同時に「だから、自分にはあんまり縁がなかったんだなあ」と思った)

あとは、ニューヨーク・パンク以外にも、ボストンのパンクと、カリフォルニアのパンクがあって、その区分はあんまり知らなかったので学びがありました。

特にボストン周辺の、健康的なパンクスの流れが1990年代に大ヒットする事(グリーンデイや、オフスプリングス)など、「へえー」みたいな感じ。

「恋の花詞集」(1990)は、橋本治濃度が高くて読みづらい本ではあったが、強烈に面白かった。

自分は、橋本治びいきなので「橋本治は、どうして、この時代にここまで正しくあれたのだろう」みたいな感想になってしまいますが(つか、資料としても、批評としても早すぎ)

この本が、舌津本の10年前、輪島本の20年前に在野の作家によって書かれていたというのは驚異ですね。

これからアカデミックな研究が進んでいくと「橋本治の意見がもっと証明されていくのでは」とすら思っています。完全に信者の意見ですが。

特に最後のエッセイはすごい。これを読んだら橋本治をミソジニーだなんて、口が裂けても言えないのではないか。

6.「リアルブラジル音楽」「サンバの国に演歌は流れる」

全然違う本だけど、どちらも良い本です。
然し、ブラジルという国はどこか全体像が見えづらい…。(両方読んだけど、よくわかりませんでした、、)

読書会に向けて読んだ本の、ざっくりした感想は以上になります。



Ⅱ - 個人的な音楽体験

ここからは、個人的な音楽体験について書いていきます。

1.
自分はニートの頃(2007〜2011)、鷲崎健のラジオを聞いていた。

鷲崎のラジオには「誰も知らない名曲集」というコーナーがあって、自分はそのコーナーが好きすぎて「誰も知らない名曲集」だけ編集してまとめたものを、ニコニコ動画にアップしていていました。

そこで「ブルース」や「バイオリン演歌」、「岸井明」「美空ひばりのリズム歌謡」「ソフトロック」「ジャグ」「ジプシー・スウィング」など、(マニアックな?)音楽を知った。

鷲崎は「バイオリン演歌」を「大正時代の演説の歌」と説明していた。その辺りが、輪島本と微妙にかすっています。

さらに輪島本に引き寄せていえば、鷲崎は「流し」のイメージに近いと思いました。

昔、阿佐ヶ谷ドラムで鷲崎のライブを見た時に、鷲崎は古本屋で買ってきた歌本をパラパラめくって適当に弾き語りをしていたのですが、それが最高にかっこよかったです。

2.
鷲崎の影響でブルースを聴きはじめました。

自分はインターネット世代の雑食リスナー(maltineのtomadさんの一個上)なのですが、ブライアンイーノやロバートフリップ、坂本龍一を神聖視していた時期があるのです…。

だから、ブルースへの距離はちょっと遠かったです。

ということで、昔読んだブルース関係の書籍を簡単にレビューしていきますね。またレビューかよって感じですが、、汗

・花村萬月「ブルース」
端的に言ってよくない。

・永井ホトケ隆「ブルースパラダイス」
説教くさいが面白い。

・リロイジョーンズ「ブルースピープル」
よい、予備知識なしで読んだ。

・ポールオリヴァー「ブルースの歴史」
読んだけど覚えてない。

・小出斉「ブルースCDガイド・ブック」
バイブル。

そんな感じっす。

特に、リロイジョーンズの本をプリミティブな状態で読めたのは今思うとよかったです。様々な文脈に取り込まれている本なので。

「ブルースピープル」は黒人音楽のポリティカルな側面を強調する本です。(然も、「ブルース衝動」という抽象的な概念を使った観念的なブルース論ではある)
一方で「ブルースCDガイド・ブック」(以下、「小出本」と略す)はカタログとして最高。

小出本に限らずだけど、ブルースを語る時、「一口にブルースと言っても色々ありまして…」みたいな所がある。

アメリカは広いし、音楽の歴史も長いので(20世紀だけでも100年間あるんだぜ)、黒人がやってる音楽=ブルースなのか、もっと別の何かで判断するのか(「ブルース衝動」なのか)そんな事を考えはじめると、「ジャンルとは何か」という答えのない問いになってしまうので、その問いは一旦置いておきましょう。

小出本には、「モダン・ジャズ」以外の(アメリカの)ブラック・ミュージックが殆ど網羅されている気がする(「ザディコ」とか「セイクリッド・スティール」まで載ってる)、やばい本ですよ。

YouTubeのおかげで、音源聞きながら読めたのも、またよかったです。

3.
ニートの時、ワールドミュージック系の本も何冊か読みました。

正直「ポリティカルな視点でワールドミュージックを紹介する本」は、本自体も、紹介される音楽も退屈なものが多かったです。単純に、自分が「良書」に出会えなかっただけなのかもしれません。
(まあ、リロイジョーンズや、ソウルフラワーユニオンは個人的には「全然アリ」だったので、単純に「波長が合うか合わないか」みたいな事なのかもしれないですが)

あるいは、「民族音楽+ロック=革命の解答完了」ってトーンで来られてしまうと、ちょっと安直な印象を受けてしまうのかもしれない。

話は脱線しますが、3.11の後、斉藤和義が「ずっとウソだったんだぜ」と歌って、いきものがかり水野が、それに噛み付くという事件が起きましたが(https://togetter.com/li/121705)、自分は水野の意見に同調します。(いきものがかりの「ラブとピース」(2016)って、その顛末を主題にしていると思うんですけど、政治的な是非はともかくストレートに良い曲)

さらに、そういった(「ずっとウソだったんだぜ」的な)「直線的なプロテストソング」について連想するのは、糸井重里がキヨシローを批判したコラム(https://www.1101.com/darling_column/archive/1_0830.html)で、こちらは批判的な文脈で引き合いに出される事が多いですが、糸井の個人主義的なスタンス(=「プロテストソングよりも「君が僕を知ってる」の方が人を救う力がある」といった主張)は、逆説的に糸井の政治性を物語っている様にも思えます。

糸井の、個人的で、草の根的な活動は新左翼の思想と首の皮一枚でつながっていて、それは「68年」思想を糸井なりに血肉化したものだと思います。(同時に糸井は吉本隆明の直系でもあるから、ややこいのですが)

何を言っているのか、わからなかなってしまったのでここで終わり、終わり、終わりー!!

それでは聴いてください、「ハッピーカップ焼きそば」という曲です。

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