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話題の「遊郭」について思ったこと。

Twitterからの転載です)

 署名募集中だから発言を選んでしまうんだけど、いいか言っちゃおう。遊郭の件。

 遊郭を知らない人が作品を見てその言葉を知ったなら、遊郭の印象はその物語から受けたものになる。
これが前提だと思う。
 遊郭をどう捉えるべきかどう教えるべきかという話になるのは、一足飛びだと言わざるを得ない。

 あらゆる事象を客観視する自由が人にはある。
 この件は子供達を想定せざるを得ないけど、この点は同じであるし、「子供達がどう捉えるか」「大人はどう教えるか」という話になってしまったら、それは一線を超えたものがあると私は思うよ。

 他人の家の教育方針を議論しだすようなものでね。

 あくまで一般論としてならともかく、この件への他者の態度を品定めするようなことや、憶測で他者の考えを決めつけるようなことが起きてしまったら。
 それこそ「自由な発想や調べ物ができる社会」というのを否定してしまうよね。
 物語の感想を周りが決めつける必要ないもの。

 自由さを奪ってはいけないと思うよ。
 何かセンシティブになりそうな事柄が話題になると、すぐ正解を決めてしまいたがるよね。日本人の性質なのか……。
 でもそれって同調圧力の一種だとも私は思うし。

 「子供に聞かれたらどう答えればいい」って、その時点でうろたえる必要ないじゃん。
 「聞かれたけどどう答えよう」って質問ならわかる。
 子供にちょっと待ってねと言ってから、その子に適した答えを探したりアドバイスを募ったりできるんだから。

 言葉や物語に「解釈の正解」という足かせと重りを付けるようなことをすれば、最終的に言葉を確かめることすら恐怖になるよ。

 その恐怖を持たない次の世代以降に、がんじがらめの解釈監視社会からの脱却を期待するなんてことにもなりかねない。
 歴史ってそういう流れが繰り返されてるとこあるから。

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